38話 解放と自由



「バルドル殿には迷惑をかけたな。すまないな」

「……こっちも頭ではわかってるよ。奴隷が出ることに誰が悪いなんて、簡単には言い切れねぇことはよ」


 ゼナードが去ったことで訪れた静寂を破ったのは、アウルの謝罪の言葉だった。

 ルシアンは二人の様子を黙って見ていたが、あまりにも悲しいやり取りを前に、もどかしい気持ちを抑えるのに必死だった。


 アウルは多くの犠牲を支払ってきた。

 慕ってくる部下を亡くし、まだ若い愛する息子を亡くし、ようやく平穏が訪れたと思えば、領地経営に圧迫される日々が待っていた。

 その結果がリルベスの民の悲劇やバルドルの負担へと繋がっている。

 愛する者達を失いながらも、国を救って帰還したというのに、自身の領民が王都民の奴隷になってしまう無念に、耐えられる人間がどれほどいるだろうか。全く胸糞悪い話である。


「アウルさん……僕の提案を聞いてくれますか?」

「……もちろんだ。もはや私はルシアン殿の部下という扱いになるのだからな。どうかその知恵でリルベスを救って欲しい」


 そう言って頭を下げるアウルの姿に、怒りのような感情が湧き上がってくる。偉大な騎士にこのような真似をさせていいはずがない。

 アウルは決して愚か者ではない。努力をした方向や時間を費やした事柄が、武力や防衛に特化していただけだ。そして時代の流れにより、それらの重要度が低くなった。ただそれだけの話だ。


「僕は元騎士です……セグナクト王国第二騎士団団長アウル・リルベス殿。あなたのような偉大な騎士に頭を下げられては、僕は萎縮してしまいますよ」

「……そうか。いまだ私をそう評価してくれるか……話を聞こう。ルシアン殿」


 自嘲するように笑って、顔を上げたアウルの表情は、戦場でよく見た騎士団長のものだった。

 ルシアンがアウルに敬意を払い続けるのは、当然のことだ。それはこれからも変わらない。ルシアンは騎士としての自身が好きではなかったが、騎士という職業に就いている者達は尊敬していた。

 

 ——殺し、殺される職業。共に笑い合った者、共に困難を乗り越えてきた者、仲間と呼べる存在が、明日はいなくなってしまう事もあるのが騎士だ。

 だからルシアンは、いずれ訪れる悲しみや苦しみに耐えるために、騎士団の面々とは深い付き合いをしないように徹してきた。


「……本題に入ります。剛鼻竜の棲家すみかであった洞窟の開拓を進めたいのですが、その際はリルベスから騎士や採掘に長けた者を出していただきたいのです」

「……それについては問題ない。洞窟には危険度の高い魔物が棲みついている可能性が、高いだろうからな」

「ありがとうございます……期間は春までの数ヶ月で片付けたいと思ってます」

「冬のうちに片付けるということか……それは可能なのか?」


 ルシアンのあまりにも強引な期間設定を聞いたアウルは、穏やかな表情でありつつも、その声色は真剣なものだった。

 ルシアンも通常では考えられないことを、言っている自覚はあったが、リルベスにとっては利点だらけだと考えていた。


 地方領の冬は、家畜や自然生物の冬眠に合わせて統治者も民も活動をやめて、その年の疲れを癒す休暇として過ごすのが基本だ。要は暇な時期といえる。

 しかし現状のリルベスにとっては、その休暇が毒として働く可能性がある。貧しい者にとって暇とは最大の敵だ。普段は考えないような、よからぬことをしてしまう可能性すらある。

 貧民街出身のルシアンは、その気持ちをよく理解している。

 そして冬に活動する利点は、このことを防ぐことだけではない。


「リルベスの騎士であれば、可能ではないですか? それに洞窟に魔物が潜んでいるとするなら、動きの重くなる冬眠の時期を狙うのが賢いと思います」

「……これは失念していた。相手は人間ではなく魔物だったな。ルシアン殿の言う通りだろう」


 戦争であれば宣戦布告や開戦の合図などの暗黙の了解がつきまとうが、魔物相手の狩りはなんでもありだ。むしろそうしなければ、こちらが狩られる危険性すらある。

 そしてもし凶悪な魔物が洞窟に棲みついているとするならば、リルベス側であると推測していた。

 

 いずれ山岳地帯の開拓をするつもりだったルシアンは、すでにミーリス側の洞窟付近を、ベルと共に調査している。

 おそらくリルベス側は洞窟付近はおろか、森の深層部すら調査が行き届いていない。

 これは過去に『黒刃狼』がミーリスに流れてきたことや、リルベスの魔物による災害の件数を見れば明らかである。

 ルシアンはそれらの問題を、この機会に一掃してしまいたいと考えていた。


「とはいえ僕に最終的な決定権はないので、後日改めて、父上を交えての話し合いをすることになりますが、嫌とは言わないと思います」

「……何から何まで助かるよ」

「この程度のことはなんでもありませんよ! それに! 二領を繋ぐ道を敷くのは、ただの前段階ですよ?」

「……前段階とは?」


 ルシアンはすでにリルベス領の改革について計画していた。併合を受け入れた時点で、リルベスはミーリス領の一部となるのだから当然だった。

 それに数多の無念を乗り越えて、大陸を平定した偉大な騎士——アウル・リルベスという男に報われてほしかった。


「騎士の都市リルベスを——賭博とばく都市にします!」

「ッ!? 賭博都市とな……」

「……おいルシアン……お前勝手に決めちまって大丈夫なのか?」

「お姉ちゃんは可愛いルシアンが悪い顔をするようになって悲しいよ……」


 ルシアンが告げた改革案は、これまで静かに話を聞いていたナイラとバルドルも、黙っていられないようだった。


「なに? アウルさんならうまくやってくれると二人は思わないの?」

「いや、そういう問題じゃねぇだろ……国の許可とかエドワード様とか立ちはだかる壁は多いだろうが」

「んーボクは大丈夫だと思うよー。あんだけ煽ったブラコン王太子が許可出さないとかあり得ないし、奴隷教育を許可したエドワードさんも、ルシアンに甘々だしー」


 呆れたようなバルドルと不敬極まりないナイラが意見を出す中、アウルだけは何かに悩むように難しい表情をしていた。


「……賭博対象になるものはうちにはないぞ。それに賭博場ができれば、治安が悪くなるのではないか?」


 アウルが絞り出した意見は、まさしくリルベスを愛している者の口からしか出ない言葉だった。

 しかしその点も騎士の都市であるリルベスであれば、成立させることができる。


「アウルさんの懸念はごもっともです! ですがこれは騎士の都市であるリルベスだからこそ! 成立することなのです!」

「……ま、まるで詐欺師のような語り口だな」


 ルシアンがイカれ狂人であることに気づいたのか、アウルのそれなりに失礼な言葉に、バルドルが苦笑いをしていた。

 しかし自分の世界に入り込んでいる『幸福製造機』と化したルシアンは、もはや止まることを知らない。


「賭博対象は——騎士の決闘。治安の維持も騎士が警備隊として巡回すれば問題ないでしょう?」

「ッ!? 騎士に見せ物になれと言うのか!?」


 ルシアンが告げた内容は、セグナクト王国に尽くしてきた騎士に対する、侮辱と言っても過言ではないかもしれないが、もうセグナクト王国に刃は必要ない。


「アウルさん……言いたいことはわかります。ですが行き場のなくなった騎士は、これからどうするのですか?」

「それはッ……」


 時は流れて変化していく。その大きな波を制御することはできない。だから人は変わらなければならない。しかし全てを変える必要はない。変わらない美しさというものも確かに存在する。

 騎士として鍛え続ける事は変わらず、これからは王国の刃としてではなく、愛する故郷のために、自身の栄光のために、その武を磨き続ければいいのだ。


「僕は良い落とし所だと思っています。騎士として武を磨き続けることができて、リルベスの発展のためにその武を振るう。それはいけないことでしょうか?」

「リルベスの発展のために……か。そうか……もう良いのだな……我々は王国を背負う者としてではなく、愛する故郷のために戦っても良いのだな」


 カラカラの声で絞り出したアウルの言葉は、全ての騎士達の切実な叫びのように聞こえた。

 戦争は終わったが、確実に多くの人間に傷を残している。そして全てを投げ捨てて戦った者達を出迎えたのは、残酷な時代の変化と貧富の差による、悲劇だったのだから。


「アウルさん——リルベスはもう十分なのです。十分過ぎるほど、その身で戦争の傷を受け止めました。解放される時がようやくきたんです。そして自由の翼は僕が授けます。ミーリスと共にリルベスを幸福へと導いてみせます!」


 ルシアンは力強い眼差しで、アウルに誓うように宣言した。


「……やはり詐欺師のような語り口だな……しかしゼナード王太子殿下が言っていた事を理解したよ。私も見てみたくなった! 信じてみたくなった! ルシアン殿が築き上げる理想郷というものを!」


 そう言ってルシアンと力強く握手をしたアウルの笑顔は、憑き物が取れたような爽やかなものだった。


(僕が騎士になってなかったら、リルベスやアウルさんに対して、尊敬する気持ちを持てなかったかもしれない。賭博都市の案も間違いなく、思いつかなかった。父上は一体どこまで……えてたんだろうか……)


 エドワードのこと、ポータを育てること、リルベス併合のこと、ルシアンのやるべきことは絶えない。

 その事を理解した途端、無性にラクシャクで待つ三人の婚約者を抱きしめたくなった。

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