36話 ゼナード=セグナクト=レストレス


「なんで俺まで呼ばれることになってんだよ……こっちは暇人じゃねぇんだぞ……王族ってのはそんなに偉いんかい」

「まぁまぁ! 王太子も考えあってのことだと思うし、大したことない話だったら、ぶん殴ってもいいんじゃなーい?」

「……バルドル……絶対にだめだよ」


 ゼナードを説得するために、王宮の応接間に案内されたルシアンは、思いのほか緊張をしていなかった。

 それよりも狂犬のように荒ぶるバルドルと、それを後押しするかのような、ナイラの様子に手を焼いていた。


(でもますます謎を深まるばかりだ……僕もそうだけど、バルドルは特に意味がわからないよね……三人の共通点と言ったら、父上の弟子ってこととナクファムの貧民街出身なことしかない……どういうことだろう……)


 ゼナードと直接的な繋がりのあるナイラは、何かしらの事情を知っている可能性が高いが、教えてくれる様子もなく、いつものように悠々自適ゆうゆうじてきにくつろいでいる。


「ゼナード王太子殿下が参られました」


 三人のそばに控える王宮の執事がそう告げた後、ゆっくりと応接間の扉が開かれた。


「え?」


 現れたのは二人の男性。

 一人は黄金の短髪をきっちり整えた三十代の偉丈夫、セグナクト王国王太子ゼナード=セグナクト=レストレスだ。


 ルシアンが驚いたのはもう一人の方だ。

 

 ゼナードの後ろを歩く、いかにも誠実そうで屈強な男——セグナクト王国第二騎士団団長アウル・リルベス子爵。リルベス子爵家の当主である。


 ルシアンは呆気に取られながらも、挨拶のために立ちあがろうとしたが、ゼナードがそれを制止した。


「急な呼び出しですまぬな。がどうしてもお主達と話をしておきたくてな。まぁ堅苦しいのは好かぬ。この場は普段の物言いでも構わぬぞ」

「……お心遣い感謝いたします」


 ゼナード=セグナクト=レストレス——これが生まれながらにしての王。

 そう表現するのが正しい男だった。立ち振る舞いや喋り口、穏やかな表情でありながらも威圧感のある瞳。傲慢で、尊大で、気高い、セグナクト王国の次期国王となる人物。


「それで……王太子殿下とリルベスの貴族様が、私共になんのようでしょうか?」

「ちょっと! バルドル!」


 バルドルのあまりにも失礼な物言いに、ルシアンは大焦りで制止した。

 現在の王国は、血筋による支配からの脱却を目指しているとはいえ、完全にはその方針が定着しきっていない以上、いまだ繊細な問題でもあるのだ。

 そんな中バルドルは、まるで取引相手にでも話しかけるような気安さで、疑問を飛ばしていた。


「ふむ。善なる奴隷商バルドルは、アウルに良い印象を持っておらぬようだ。当然のことであろうな」

「……すまないな。バルドル殿」


 しかし当のゼナードは気にしていないようだった。アウルに至ってはバルドルに謝罪までしている。

 ゼナードとアウルの対応を受けたバルドルは、感情的になってしまったことを悔いたのか、眉間に皺を寄せて黙り込む。

 それから耳が痛くなるほどの静寂が訪れた応接間は、異様な空気感に包まれていた。


「……よしっ、が話を進めねばなるまい。早速であるが賢人ルシアンよ。おぬしはナクファムをどう評価する」

「……ッ」


 あまりにも唐突な質問に、ルシアンは心臓が飛び出るほどに驚いたが、すぐにいつも通りに思考を巡らせていた。この質問にどう答えるかということに対してだ。

 本心で話すか、建前で話すか、ではその分量はどれほどまでにするのか。


「……正直に言っていいよ」


 困ったように笑いながら、小声で囁いてきたのは横に腰掛けているナイラだった。

 確かにわざわざこのような場を設けておいて、媚びへつらって欲しいと望むほど、ゼナードは愚か者ではないだろうと考えたルシアンは、口を開いた。


「……恐れながら申し上げます。華やかさという観点からすれば、素晴らしい都市であると言えます」

「……で、あるか。続けよ」

「……ただ王家の掲げる理想とは、遠いものかと愚考します」

「難儀な言葉を使う必要はない。直接的な意見を求めておるのだ。はっきりと申せ」


 ゼナードはルシアンの畏まった物言いにフンっと鼻で笑い、より直接的で本質を穿うがった言葉を求めた。


「では失礼します。はっきり言いますといびつです。力に溺れる一歩手前、王家は政治体制の再編などする暇もなくなるほどに、危険な状態だと思います」


 言い切った。少し前の時代であればありえない物言い。木端貴族の嫡子が、王国全体で見ても圧倒的な高貴さを誇る王太子に、物申すなどありえないことだった。

 しかしタガが外れたルシアンは、止まることを知らない。


「王家がこれ以上の強欲で民を甘やかすことは、かつての僕たちのような存在を、生み出すことになるでしょう。なのでナイラは返してください」


 どさくさに紛れてナイラを解放することを約束させようとしたが、伝えた言葉に偽りはなかった。


 王都ナクファムは大陸の中で、異界と呼べるほどの異様な空間だ。他領と比べて生活水準の格差や貧富ひんぷの差がありすぎるのだ。

 そんな王都にひしめいているのは、権力を持った豚共だ。国のために国民のために何かをしたわけではない。ただ王都に住んで高度文明時代の恩恵を受けているだけ。ただそれだけなのだ。

 爆発的な発展を遂げた王都では、一般市民ですら奴隷を何人も買っている者もいる。既得権益者は奴隷を何人も、遊びで殺していることも知っている。


 そしてその奴隷達は、高度文明時代の恩恵を受けれなかった地方領から生み出されている。

 

 一体、人はどうしてしまったというのか?


 これから人は何を始めてしまうのか?

 

 ナイラの能力によって得た恩恵を使い、人間を弄び、殺し、道具や家畜にしている者もいるのだ。

 ルシアンは人の美しさや尊さを知ってはいるが、醜さや残酷さも知っている。人は何にでも成れるのだ。

 

 この現状はセグナクト王家の掲げる理想とは大きく異なる。『民を導く能力があるから』ナクファムで優雅に暮らしているのではなく、『ナクファムに住んでいるから』弱者を弄ぶことができているのだ。

 そしてセグナクト王家は、そのような愚か者共を制御できていない。人の欲望を、残酷さを、承認欲求をみくびった結果が、王都ナクファムのいびつさの正体だ。


「……ふむ。ナイラの件については許可しよう」

「え!?」


 ルシアンの言葉を聞き、何かを考えるように瞳を閉じていたゼナードは、あっさりとナイラの帰還を許可した。


「ただし一つ条件がある」

「……なんでしょうか」


 やはり一筋縄ではいかないようで、ゼナードは綺麗に整えられた口髭を、指先でいじりながらルシアンを見つめた。

 その捕食者のような強者の瞳を前に、ルシアンは怖気付くことなく、ゼナードを見据えた。


「リルベス子爵領を併合へいごうせよ」

 

「「……ッ!?」」


 ルシアンとバルドルは同様に、言葉が出ないほどに驚いていた。

 意味がわからなかった。想像もつかない話だった。貴族としての格は、男爵であるミーリスの方が下である。

 その上リルベス子爵家は、セグナクト王国の大陸統一に貢献した誇り高い一族だ。それをミーリスがリルベスを併合するなどと、全く意味のわからない話だ。


「おかしな話ではあるまい? ルシアン・ミーリス。騎士の任を十年勤め上げ、退任後、数ヶ月でシビネ料理という美容料理を発明。魔物喫茶という新事業も立ち上げ、今年度のミーリスの収益は、前年度の三倍にも上ると聞いた」

「……それは僕の力ではありません……あくまで僕は能力のある者に知恵を貸しただけであって、多くの人間の努力の末に成り立った結果です」


 王太子であるゼナードが、辺境の地であるミーリス領の内情に詳しいことに驚きはしたものの、ルシアンは事実を述べた。

 しかしゼナードの意図によって、この言葉を引き出されたような感覚が遅れてやってくる。


「ふむ。おぬしが答えを言っておるではないか。ミーリスの優秀な者達は、おぬしの力になるとな。ナクファムに対しての評価は、我もおぬしと同意見だ。だからこそルシアン・ミーリス——おぬしの理想郷を証明して見せよ」

「な、なにを……言うのですか」


 ルシアンは未曾有みぞうの焦りからくる、身体の震えを止めることで精一杯だった。


 ゼナードという漢が恐ろしかった。


 ミーリスにリルベスを併合させることによって、より統治能力のある人間が、より多くの土地を管理するという貴族制度の廃止に繋がる一歩目を、ルシアンに踏み出させようとしているのだ。

 そしてミーリスには優秀な人材が多くいるということを、ルシアンの口から直接言わせてみせた。


 詰まされた……そう感じた。このような傲慢で腹黒で狡猾なやり口はある人物を連想させた。


「この世のことごとくを支配することは不可能だ。人間とはその数だけ思考があり、欲望があり、感情がある。国王である父は……我々はこのナクファムで失敗したのだ! だからこそ見たくなるのだよ……」


 失敗したことを、喜んでいるようにも見えるゼナードの力強い言葉は、常人では発せない覇気を感じさせた。

 そして一瞬の間をつくった後、続く言葉を紡いだ。


「廃太子となった我が兄——エドワード=セグナクト=レストレスと、その意志を継承せし三人の賢人が築き上げる理想郷を、我に見せてみろ!」


 そう言ったゼナードの慈しむような笑みは、ルシアンの父であるエドワードを彷彿させた。


 


 

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