35話 愚者の根源


「先生! ごちそうさまでした! 今日のことは絶対に忘れません!」

「大袈裟だよ……でも今日はポータにとって、始まりの日だからね。これから先、自分を見失うようなことがあったら、その時は今日のことを思い出して初心に帰るといいよ」


 料理店を出たルシアンとポータは、午後からはそれぞれ別の用事がある。

 ポータはバルドルの書類作業の手伝いがあり、ルシアンはナイラの荷造りの手伝いをするつもりだった。


「じゃあポータ! 午後からも頑張ってね! ラクシャクでの日々のことも考えておいてね!」

「はい! ありがとうございます! それと先生……」

「ん? どうしたの?」

「……し、師匠とお呼びしてもよろしいでしょうかっ!」


 別れの挨拶をして歩き出そうとしたルシアンに、ポータは切実な声でお願いをした。

 そのポータの願いを聞いたルシアンは、だらしなく破顔はがんしそうになったが、弟子の前で情けない姿を見せぬよう堪えていた。


「……好きにするといいよ。かわいい弟子の初めての願いなんだ」

「僕が……師匠の……弟子……幸せです。ほんとうにありがとうございます! 地獄の底でも天国の果てでもどこまでもお供させてください! 師匠!」


 決意表明したポータの瞳は、先ほどまでの弱気な奴隷のものではなく、黒炎を灯した狂信者のものへと変貌していた。

  その熱意のこもった視線を受けたルシアンは「ま、また迎えに来る」と伝えて、ナイラの研究所へと向かった。


(慕ってくれるのは嬉しいけど、なんか違くない? いや……あんな怖い顔する子じゃなかったのになんで? ポータにはもっと爽やかな、ラクシャク名物美男子先生になって欲しかったのに……このままだと狂い散らかした狂信者になっちゃう……)


 チラリと後ろを振り返ると、いまだに頭を下げ続けるポータの姿を確認できた。ルシアンは逃げるように早足でナイラの研究所を目指した。


 ——『教育者』とは一体何を教育するものなのか?


 ルシアンの脳内には、そんな疑問が浮かんでは消えてを繰り返していた。





「いやぁ助かったよー! ルシアンありがとねー!」

「疲れた……王都に来てから今日が一番疲れた」


 夫婦の自宅はブライスが荷造りをしているらしく、研究所程度ならすぐに終わるだろうと、たかを括っていたルシアンの考えは甘かった。


 十一年という時を過ごしていたナイラの研究所は、清潔感は保たれていたものの、よくわからないガラクタに溢れかえっていた。

 それらは高度文明時代の遺物だったり、ナイラが自作したゴミだったりと返還するものや、捨てるものとの分別に手間がかかった。

 セグナクト王国で、最も厳しい訓練をする騎士団に所属していたルシアンだからこそ、さばき切れた作業だと言える。


「いやーほんとにね……ありがとうルシアン」

「……ナイラ、今までごめんね」


 ルシアンに背を向けてお礼を言ったナイラの表情が、どんなものか見ることはできなかったが、静かで穏やかな声色から容易に想像できた。


「ボクもう無理だったんだ……もっと頑張れると思ったし、平和になったこれからが大事だってわかってるんだけど……もう無理なんだよね」

「……うん」


 王都ナクファムは夢がある。夢があって華やかで輝かしい都市だ。そして世界のどこよりもいびつだ。


 現王であるカイサス=セグナクト=レストレスの政策は、初めは成功だったように思える。

 ナイラの力を借りることで……高度文明時代の恩恵を受けたことで皆が喜んだだろう。しかし落としどころがわからなくなってしまったのだ。


 これは現代人に制御できる力なのか? 


 そんな疑念をいだきながらも、喜ぶ民の姿に止まることができなくなってしまったのだ。

 その歯止めの効かなくなったナクファムの姿が、ナイラの心を締め付けている。

 いつか彼女の研究結果を、悪用する愚か者が現れるのではないかという不安に、押しつぶされそうになっていたのだろう。


「ねぇルシアン……発展や改革って一体なにが正しいんだろうね」

「……ッ……ナイラッ! 僕はッ! 僕は……」


 ——ナイラがしてきたことは間違ってない! 民は喜んでるじゃないか! ナイラのおかげでセグナクトは大陸を統一できた! これから理想の世界ができるかもしれないじゃないか!


 ——ではなぜ奴隷は存在する? これからとはいつだ? 何十年後? 何百年後? 何千年後? バルドルはいつまで戦い続けねばならない? もはやそれは失敗しているのではないか? 愚か者に力を与えた結果がこの王都の姿だろう?


 相反する二つの思考がぐちゃぐちゃに混ざり合ったことで、ルシアンはそれ以上何も言うことができなかった。


「なぁんてねっ……でもルシアン。君は目をらさないで? 発展とは……改革とは何か。しっかり自分の信念を持って貫き通すんだよ? もちろんボクたちも支えるし、目を逸らさない。これが王都で失敗したボク達……ううん、お姉ちゃんからの助言だよ?」


 偉大な姉のその言葉は、荒れた心を浄化するような神聖さを含んでいた。ルシアンは溢れ出る涙を抑えるように瞳を閉じた。


 ——ルシアンは王都ナクファムを憎んでいた。


 考える頭も持たぬ、欲にまみれた愚かな人間を生み出し、ナイラ、バルドル、ルシアンをあの地獄へと叩き落として傷つけた。

 そのくせに大人になってからも、ルシアンから姉と兄を奪っていった。

 

 『ラクシャクをナクファムのように発展させれば、みんな帰ってきてくれる。またみんなでのどかなラクシャクの地で幸せに暮らせる。もう大切なものを奪われずに済む』

 

 ルシアンが狂ったように動き回っていたのは、そんな幼稚な思考が始まりだった。

 二人をナクファムから取り戻すためには、力が必要だと考え、騎士となって世界を見て回った。

 当然エドワードとマリーダへの恩や、ミーリス領への愛が動機でもあるが、ナイラとバルドルへの思いは同じくらい大きかった。

 奴隷を育て上げれば、バルドルの戦いを終わらせることができると思った。ナクファムのようにラクシャクを改革すれば、ナイラが帰ってきてくれると思った。


 貧民街の三人を傷つけて、ゴミのような扱いをしたナクファムを見下したかった。ナクファムが憎い。

 そんな幼稚な負の感情が、狂ったように動き回るルシアンの根源の一つだった。


 ——本当の愚か者はルシアンだったのだ。


「ボクもバルドルもね。気づいてたよ。だってボクたちの中で一番甘えん坊で、優しくて、可愛くて——愛に飢えてたのは……ルシアンだもん」


 そうだ。二人はとっくの昔に前を向いて歩いているのだ。ルシアンだけが取り残されていた。憎しみと恨みと嫉妬に取り憑かれていた。


「でもね? 今は違うでしょ? ううん! 違うって言いなさい! 大人になりなさい! ルシアンには本当に大切な人達がいるでしょ?」


 本当に大切な人……ルシアンにとっての『太陽』『大地』『花』——愛しい三人の妻がいる。そして最高の人生を迎えるという目的がある。


「だからもう終わり。ボクの戦いもルシアンの憎しみも……バルドルはほんとにすごいんだから。なんでも一番最初に気づいて先頭を走ってるんだからね?」


 やはり敵わない……自惚れていたわけではないが、ルシアンより強い人間は多くいるのだ。

 だからこそ燃える。だからこそ成長できる。空っぽだったルシアンは、いくらでも愛を吸収できる。

 エドワードとマリーダに親というものを教えてもらった。アーシェ、ベル、ウルスラに妻というものを教えてもらった。そしてナイラとバルドルに憎しみを捨てることを教えてもらった。


 ——完成した。


 不思議とそんな言葉が脳内を駆け巡った。

 成長をするたびに、これ以上はないと思ってきたルシアンの信念が、ラクシャクへの理想が、この時を持って完成したのだ。

 真の愛を知り、憎しみが浄化されたルシアンは静かに瞳を開けた。


「……ありがとう。ナイラ。本当の意味でミーリス領と……僕なりの改革と向き合うことができるよ」


 改めて決意することができた。ミーリス領を改革するということを。

 ナクファムに勝つためではなく、ナイラとバルドルを取り戻すためでもない。高度文明時代の遺物や、適性の水晶に支配されることもない。

 ルシアンなりのやり方で、全員を幸福の沼に沈めてやるのだと。


 ——『幸福製造機』としての在り方を。


「うん! じゃあ……明日、王太子ゼナードと話し合うことになってるから、頑張って説得してね! ルシアンにとっても良い話ができると思うし、一石二鳥だねッ!」

「……へ、え?」


 先程までの聖女のような雰囲気を全く感じさせず、悪戯っ子のような口調でナイラから告げられた言葉に、ルシアンからは阿呆のような声が出た。


 (これのためか? ゼナード王太子殿下と戦わせるために……嘘だよねッおねえちゃん! いい感じだったよね? 僕たち最高だったよね? ねぇ……ナイラッ!)


 ナイラにぐちゃぐちゃに弄ばれたような気持ちになったルシアンは、その日、ラクシャクで帰りを待つ婚約者たちに、気持ち悪いほどにねっとりとした、欲望と狂愛を詰め込んだ手紙を、大量にしたためた。



 

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