34話 後継者?
王都へ出張して一月の時が経った頃、バルドルの奴隷商店では、ルシアンによる算術の授業が行われていた。
「ルシアン先生! 今日もありがとうございました!」
「ポータは賢いね! もう掛け算までできるようになったんだから。僕も驚いてるよ!」
ゼナードとの会談の日まで暇を持て余していたルシアンは、王都でダラダラ過ごすことを嫌い、婚約者達とダラダラしていた日々が、嘘のように働き続けていた。
二週間前にバルドルの手伝いを申し出た際に、ちょうど見て欲しい奴隷がいると紹介されたのがポータだった。
ポータはリルベス子爵領から送られてきた二十人の奴隷の一人だ。
ポータの両親はセグナクト王国の兵士だったらしく、最後の戦争——ナスリクとの戦いで戦死してしまったそうだ。
庇護者である両親を失ったポータは、リルベスの村民の家をたらい回しにされていたと聞いている。
国からもらった両親の
その話を聞けばバルドルが、個別に教育を頼んだことにも納得がいった。このあまりにも理不尽すぎるポータの環境を、バルドルは許せなかったのだろう。
「ルシアン先生の教え方がわかりやすくて、なんでも理解できそうです! 僕は将来は先生のような人になりたいです!」
「……ポータ、僕と昼食を食べに行こう。いいお店知ってるから……好きなものなんでも食べていいよ」
今まで生徒達からドロドロの愛情を向けられていたルシアンは、ポータの
久しぶりに教育者として誇らしくなったルシアンは、ポータを昼食に誘った。行き先はもちろんバルドルの行きつけの料理店だ。
「え、いいんでしょうか……僕は奴隷で、先生は貴族様です……」
「……ポータ、その気持ちは捨てよう! すぐには理解できなくとも、僕にはそんなことは思わなくていいよ」
ルシアンは二週間の教育の中で、ポータのことを気に入っていた。強者になる資質を十分に持っていると感じていた。
不幸や逆境の中でも心が折れずに直向きなことは、その時点で人間として美しくも強くもあるが、何よりルシアンが評価している点は、精神力と順応力だ。
両親がいなくなり、他の村民の家をたらい回しにされ、奴隷となったこの状況でも、自身のやるべきことに向き合っている。これは簡単にできることではない。
その精神力と順応力は、ルシアンですら感心するものがある。ゆえにポータには、ルシアンの理想を知ってもらいたかった。適性検査もまだしていないが、ラクシャクに連れて帰りたいと思っているのだ。それほどまでに彼を気に入っていた。
第一期生であるルシアンの婚約者達はすでに教育を終えており、ミーリス領の改革をするに当たって、対等な立場で意見を出し合い支えてくれている。
一人の生徒ならば、新しく迎え入れても問題ないだろうと考えていた。
「……はい! 先生がそう言うなら絶対です! 僕は先生のような人になりたいので、いつかは必ず理解してみせます!」
「う、うん! だったら僕とご飯食べよう! バルドルも手が離せないみたいで、一人で食べるの辛かったんだ!」
ポータの幼さの残る中性的な笑顔に、なぜか少しの寒気を感じたルシアンは、
「はい! お供させてください!」
「う、うん……じゃあいこっか」
綺麗にお辞儀をしたポータの姿に、ルシアンは戸惑いながらも料理店へと向かった。
(なんか……ポータって変な宗教とかにハマったりしないよね? 僕だからいいけど、あまりにも信じすぎじゃない? いや、嬉しいんだけど……ちょっと怖い)
——まるで狂信者じゃないか。
ポータの盲目的な信頼を受けたルシアンの心の中では、そんな言葉が浮かんでいた。
◇
料理店の個室へと案内されたルシアンとポータは、以前バルドルが食べていた『ステーキ』という分厚い炙り肉を頼んでいた。
「うわぁ……すごい! 先生! 本当にこれ食べてもいいんですか!?」
「ポータは小柄だからいっぱい食べて大きくならないと! 何をするにしても、まずは健康な体が大事だよ?」
「はい! ありがとうございます! いただきます!」
「火傷しないようにねぇ」
ポータはお品書きも見ずにルシアンと同じものを頼んだせいで、ステーキが届いた時に大きく驚いていた。
ルシアンはこの牛肉の塊の何が、バルドルを夢中にさせていたのかを考えながら、ステーキに手をつけた。
香辛料とかけ汁を浴びた柔らかな牛肉は、ナイフとフォークがスっと簡単に通る。切り分けた肉の赤い断面からは、ジュワッと肉汁が溢れ出てくる。
美味を期待したことで分泌した唾液を一回ゴクリと飲み込んで、一切れの牛肉を口に放り込む。舌触りがよく、程よい弾力のある牛肉は、一噛みするごとに旨みの凝縮された肉汁を口内に弾けさせた。
「うんまぁ……ばるどるぅ早く教えてよぉ。ずるだよこんなの」
ただの原始的な分厚い炙り肉だと思っていたステーキは、独自の調理法と香辛料やかけ汁によって優雅な味わいを実現させていた。
分厚い炙り肉という単純な料理であっても、調理法や香辛料次第で、これほどまでに人の心を掴めることを知ったルシアンは、美食の重要さを認識した。
この知識をラクシャクで活かせないかと考えていたルシアンは、ポータの反応が気になり視線を向けたが、彼はステーキに手をつけておらず、ルシアンの方を見てニコニコしていた。
「え? どうしたのポータすごく美味しいよ?」
「先生の食べ方が綺麗だったので、どうにか真似しようと観察してました!」
「……ッ!? ポータ僕の食べ方真似できる?」
「んー完全に再現するのは難しいと思いますけど、やってみます!」
そう言って披露したポータの食事の作法は、少しぎこちなくはあったが、ルシアンの目から見ても上品な部類に入るものだった。
「……せ、先生……おいしいですっ! すごくおいしい! ありがとうございます! 一生の思い出になります!」
満面の笑顔で喜ぶポータを見て、ルシアンは驚愕していた。
騎士になる前にマリーダから食事の作法を叩き込まれたルシアンは、それが一見で
食事の作法とは決まった動きを覚えて、無意識に動く首や背筋の抑制をし、他人からどう見えているか、客観的視点を理解した上で成立するものである。
それを元村民の奴隷であるポータは、たったの一見で模倣してみせたのだ。
(これは絶対に僕の『教育者』としての恩恵じゃない……僕はただ目の前で見せただけで教えてはいない。考えられるのはポータの資質……もしくは適性……君はもしかして……)
ルシアンはポータのように異常な吸収力を持った人物に一人だけ心当たりがあった。
——『教育者』の適性を持つルシアンである。
それならばポータの賢さは全て納得がいく。ルシアンも同じだったからだ。
教えられたことをすぐに自分のものにして物事を観察し、結論を出すために考察する。導き出した答えを実践してさらに理解を深める。それがルシアンの知識や知恵の正体だった。
ポータは似ているのだ。思考手順、行動までもが。爽やかな笑顔を振り撒くようで、その奥にはねっとりとした視線で、人やモノを観察するという姿までもが。
もしラクシャクに教育者が増やせるのならば、ルシアンが直々に教えを授ける必要もなくなる。
それは教育者としてだけではなく、今後は領地経営のことや、貴族としての付き合いを求められるルシアンにとっては、魅力的な話だった。
そのことからポータを育てあげ、ラクシャクへと沈めるため、正式に勧誘することを決めた。
「……ポータ、僕の弟子にならない?」
「……ぇ?」
少年のようにも少女のようにも見える成人したてのポータは、一瞬固まった後、その中性的な顔をくしゃくしゃにして静かに涙を流していた。
「……嘘じゃないですよね……ぼく、ぼくずっと先生に買ってもらいたいっておもってました……戦争が終わってからはずっと苦しかったけど! この二週間はずっと幸せでした! ぼくをルシアン様の弟子にしてください!」
ポータの魂の叫びに、胸が切り裂かれるような思いにさせられた。ルシアンは失念していた。ここ最近は、強者とばかり触れ合っていたせいで忘れていた。
生まれながらの強者など存在しない。最初は皆平等に弱者なのだ。そしてそれは今のポータにも当てはまる。
苦しくないわけがなかった。辛くないわけがなかった。それでもポータは諦めずに、幸福な未来がいつか訪れると信じて、生にしがみついていたのだ。
そのことを思い知ったルシアンは、すぐに動き出した。
「ポータ、君は賢い。でももっと賢く強く幸せになりたいのなら、僕から学びなさい。そして僕のようになるのではなく、いずれは僕を超えてみせるんだ!」
「せんせい……ぼく、がんばります! 強くなります!」
ルシアンはポータを抱きしめてそう言った。
かつてのエドワードがルシアンにそうしたように。そしてポータの姿を見て新たな決意が芽生えた。
——ラクシャクの地に学校をつくる。
一人の限界を感じたのだ。教育者を増やして、もっと早く、もっと多くの奴隷を教育しなければ、いつまで経っても間に合わないと考えたのだ。
世の中にはまだポータのように絶望しながらも、未来のために踏ん張り続けている人間がいるのだ。
そのような悲劇を終わらせるためにも、学校をつくろうと思った。
(いずれポータには教育機関のまとめ役になってもらう。そのためにも僕が教えれるもの全てを彼に注ぐ)
ルシアンの脳内には、新たなラクシャクの改革が思い浮かんでいた。
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