妖精達の小噺〜ベル〜
ルシアンが王都へと出張して一月の時が経った頃、長い赤髪の牛獣人の女——ベルは
「……ルシアン……ルシアンッ! なぜだ! ルシアンッ! ルシアンッ! ルシアンッ! ルシアンッ! ルシアンッ!」
森林地帯の整備と開拓を任せられているベルは、無意識のうちに森の草原地帯を抜けて、深層部の魔物を蹴散らしながらルシアンの名を呼んでいた。
——ベルは発狂していた。
その原因はルシアンの手紙の少なさにあった。
アーシェ、ベル、ウルスラの三人は、ルシアンがラクシャクを離れてからたったの二日で狂い始めた。
ベルはルシアンからつけられた歯形や手形によるあざが、日に日に薄れていく様子を見るのが辛かった。その様子は、まるでルシアンに捨てられていくような感覚を植え付けた。
その寂しさを埋めるように、ベルはルシアンへの情熱的な愛を注ぎ込んだ手紙をしたためた。
このことを思いついたのはベルだけでなく、アーシェとウルスラも同様だったようで、その日の彼女達の住む別館は、少しだけ明るさを取り戻していた。
しかしその明るさもほんの数日で闇に包まれた。
ベルはルシアンへ十五枚の手紙をしたためた。内容はラクシャクの様子、どれだけルシアンを愛しているか、帰ってきたら真っ先に抱いて欲しい、躾けられたことは守っている、といった狂愛をありとあらゆる表現を使って、ひたすらに書き殴っていた。
手紙を書いているときは幸せだった。ルシアンに教育されたおかげで賢くなったベルは、さまざまな言葉で愛を表現できることに満足していた。
しかしルシアンから返ってきた手紙は、たったの一枚だった。何かの冗談だと思い、屋敷の郵便物を管理している使用人に、もっと手紙がないかの確認を何度もとった。
いつのまにか横には同じように顔を青くしたアーシェとウルスラもいた。
冗談ではなかった。何度確認しても一枚のみだった。手紙の内容も一枚にきっちりと完結するように書かれており、ルシアンらしい丁寧で情報の詰まったものだった。
ベルは自室で泣いた。惨めだと思った。まるで奴隷だった頃の自分に戻ったような気がしていた。
それからのベルは、ルシアンとの思い出を辿るようにラクシャクの各地を歩き回った。
ルシアンの寝室にこっそり入り、彼の衣服を盗んで色んな事に使った。彼の下着を口に含んだときは、思わず牛の鳴き声のような汚い声が出てしまった。
その後は、ルシアンと野営したミーリスの森にある湖へ向かった。その場所は彼が初めて野外でベルを抱いた場所だ。深呼吸をすると脳にジンジンとした甘やかな痛みが走り、心が満たされた。
最後は自室のベッドで横になり、膝を丸く畳んで瞳を閉じた。ルシアンの記憶をゆっくりと思い出すためだ。
(あんなにあたしに、酷いことを教え込んだのに! 近くにいなくなったらすぐに捨てるのか……いやだぁ……会いたい……ルシアンッ!)
三人の婚約者はルシアンをぐちゃぐちゃにして管理すると誓っていたが、ベルは逆にルシアンに管理されていた。
ベルの前では穏やかで優しいルシアンなど存在しなかった。色々なことを教え込まれて、我慢させられ、弄ばれ、最終的にはご褒美をあげるかのように優しく抱かれた。
今ではルシアンが手を叩くだけで体が跳ねてしまい、腹を撫でられるだけで下腹部がうずいてしまう体にされてしまった。
ルシアンに力の強さでは勝てるとわかっていながら、彼の冷たい支配者の瞳で見つめられると、モジモジすることしかできなくなっていた。
屈服して酷いことをされた後には、優しく労わるように抱かれて愛を囁かれる。
『僕がこんな風に乱暴になるのは、ベルの前だけだよ』
そう囁かれたベルは、ありとあらゆる方法でルシアンに服従の意思を示した。
裸で土下座してルシアンの足を舐めた。快楽で気絶するたびに、尻や太ももを叩かれて起こされた。クローゼットに隠れて、アーシェやウルスラを愛おしそうに抱く姿を見せつけられることもあった。
そうしてルシアンに満足させられまくったベルは、もう彼の命令がなければ、生きていけないほどに依存させられている。
それなのにルシアンの手紙は一枚だった。ベルは何十枚も愛を語ったというのに、ルシアンはたったの一枚だ。
——なぜだ? 何かがおかしい。
そう思考して辺りを見渡すと、なぜか大量の魔物の死体が無惨に消し飛ばされていた。思い
ドロっとした暗闇の森の中で我に返ったベルは、この後三人で久しぶりの報告会をすることを思い出して帰宅した。
◇
「ルシアン様は浮気をしています」
「「……ッ」」
風呂上がりのベルは、容赦のない悲劇を突きつけられた。ルシアンが浮気をしている——そう告げたアーシェの青色の瞳は、人でも殺したのかというほど暗く濁っていた。
「……何を根拠にそう思った?」
「せんせ? 嘘だよね……私のこと愛してるっていっぱい囁いてくれたもんッ……いやだよぉ……早く帰ってきてよぉ……せんせぇ……わたしいきていけないよぉ……」
ルシアンの可愛がりに鍛えられたベルは、思ったより冷静でいられたが、甘えたがりのウルスラの脳には、受け入れられない衝撃だったのか泣き出してしまった。
「しっかりしろッ! ウルスラ! このままじゃ泥棒猫にあたし達の夫が奪われてしまうぞ! いいのか!? また弱い女に戻るのか!」
「え……わ、わかったぁ……でもその女殺したら犯罪者になっちゃうよぉ……犯罪者になったら先生のお嫁さんになれなぃ……」
ベルはなんとかウルスラを泣き止ませることに成功したが、泥棒猫という表現は少しまずかったと後悔した。
もはやウルスラは当たり前のように浮気相手を殺すつもりらしく、いつものくりくりで愛らしい黒目は、死を感じさせる深淵へと変貌していた。
「……ウルスラちゃんはいいことを言いましたが、今は浮気女のことより、ルシアン様のことを考えるべきです。どうにかしてこらしめたいのです」
「……薬使っちゃおうよぉ。ないの? 私たち以外の女が小鬼に見えるようになるやつとかぁ……すっごく強いやつ」
ベルは理解した。珍しくまともな理性が残っているのは自分だけだと。
ベルも二人の気持ちは痛いほどに理解できる。しかし、薬を使って強制させるという作られた感情で、愛されて満足できるわけがなかった。
ルシアンはベルがどんなに倒錯的な要求しても、愛情の溢れる獰猛な瞳で蹂躙してくれた。知らないこともたくさん教え込んでくれた。そんなルシアンを愛しているのだ。
「あたしは薬に頼るのは……嫌かな」
「なぜですか?」
「だってそれはルシアンの意志じゃな——
「媚薬や興奮薬を使えば、ルシアン様は獣のようにベルちゃんを抱き潰すでしょうね? 普段は抑えている理性がなくなったら、ベルちゃんは一体どんな酷いことをされてしまうのでしょう?」
一瞬で口の中に唾液がたまるのがわかった。アーシェの言葉はベルを興奮させるには十分すぎた。
確かにルシアンはベルの要望通り、酷いことをノリノリでやってくれるが、まだ温かな優しさを感じるときが多い。それがなくなるとしたら——ルシアンは、一体どんな酷いことをしてくれるのだろうか。
「しょ、しょれでも……ダメだ。でもその薬は個人的に欲しい……あたしは使わないぞ? き、危険なものだから少し調べておきたいだけだ!」
「うわぁ……よっわっ。腰震えてるし、唾液溜まりすぎて上手く喋れてないよぉ? こっちは知ってるんだよぉ? ベルがきったない声で先生に媚びまくってるの」
「くっ……うるさい! ウルスラこそルシアンにバブバブ甘えすぎだ! なんだあの喋り方! 歯が全部無くなりでもしたか!?」
「ふーん。でも先生はそんな私がかわいいってぇ」
埒があかない。ウルスラと阿呆のようなやり取りをしている場合ではないが、言われっぱなしでは終われなかった。
「……私たちが一人ではクソ雑魚なことは知ってます。かくいう私もルシアン様の体を前にしたら、自分を抑えることができませんから」
「ア、アーシェ……そんな弱気なことを言うなんてアーシェらしくないぞ……」
そうは言ったがベルは知っている。三人の中で性癖が最も終わっているのは、アーシェだということを。
アーシェを抱く姿をルシアンに見せつけられた時は、嫉妬というより困惑が勝つほどイカれていた。
「ですから三人の本気で挑みましょう。私たちの全てを使ってルシアン様をこらしめます。二度と這い上がって来れないように、愛の深淵へひきずりこんでやりましょう」
そう言ったアーシェは何を想像しているのか、暗い瞳のまま
——
それがアーシェの正体だ。
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