第33話 正義のヒーロー


「ちょっとちくっとするから我慢してねー! ルシアンはいい子だねー!」

「……僕は二十五歳の元騎士だよ」

「ナイラッ! オレのこともいい子いい子してくれッ! クソッ……不死身頼む……お前からも言ってくれッ!」

「……こいつ本当に英雄なんだよな?」


 料理店を出た四人はせっかくなので、ルシアンとバルドルの適性が変質しているかの確認に来ていた。場所は教会ではなくナイラの研究所である。


 王国の知恵であるナイラと王国の槍であるブライス夫婦にもなると、王国全体で二〇〇個ほどしかない貴重な水晶も、贈呈ぞうていされるらしい。

 その事を聞いたルシアンは貸与ではなく、贈呈ということに心底驚いた。そして喜びもした。

 つまりはナイラとブライスがラクシャクに定住すれば、ラクシャクでも適性検査ができるようになるということだ。


「んー残念だったねー! ルシアンはまだ『教育者』のまんまだったよ!」

「……一応、つい最近まで先生だったからね」


 実際は生徒達にも両親にも教えてもらうことの方が多かったが、教育者としての心構えだけは忘れたことはない。

 ルシアンは愛しい婚約者たちの顔を思い出して、ふにゃふにゃの笑顔を浮かべていた。


「うわぁ……ルシアンもそんないやらしい顔するようになったんだね。大人になったみたいでお姉ちゃん悲しいや」

「……こいつの嫁たちはおっかねぇぞ。なんせルシアンへの手紙で、うちの郵便受けがパンパンになってたからな。なんかの嫌がらせかと思ったくれぇだ」


 しくしくと嘘泣きをするナイラに、真剣な表情でバルドルが注意した。

 ルシアンの婚約者たちはバルドルが紹介したようなものであるが、彼の言う通り郵便受けがパンパン過ぎてルシアンですら引いていた。

 大量の手紙は三人の婚約者のせいにされているが、どさくさに紛れてエドワードの手紙も、郵便受けをパンパンにする手助けをしていた。

 ルシアンは最近、ラクシャクで愛に狂っていない人間は、存在しないのではないかとまで考えていた。


「……あー早くラクシャクに帰りたいなぁ。ルシアンが頑張ってくれるし、もうすぐかー! じゃあ次はバルドルの番だよ!」

「……はいよ」


 バルドルを水晶の前に促しながら笑顔で言ったナイラの言葉に、一気に気持ちが重くなったルシアンは頭を抱えた。


(……忘れてたぁ。いやだぁ。意味わかんないよ! ゼナード王太子殿下と話すことなんてないのに……というかなんで僕のことなんて認知してるんだろ。ナイラの弟分だから? ミーリス家の嫡子だから?)


 ルシアンはゼナードとナイラの思考が全く理解できなかった。

 ミーリス家は辺境の男爵家であり、木端中の木端貴族こっぱきぞくだ。そうでなくても貴族制度を無くそうとしている王家からすれば、貴族の嫡子のことなど興味すらないはずだ。

 ナイラの弟分だからという理由は、さらにあり得ない話だろう。

 セグナクト王家は暗愚あんぐではない。ルシアンの目から見ても賢王の一族と呼んで差し支えない。

 大陸統一の功績はナイラや三神器の力が大きな要因ではあるが、人を上手に従わせるというのも立派な能力なのだ。

 考えれば考えるほどに意味がわからなくなったルシアンは、このことについて思考することをやめた。


「はーい! 結果発表——え? 何これ」

「ん? なんだ?」


 ルシアンはナイラの反応を見て、初めて適性検査を行った時の係の女性の反応を思い出した。


「正義のヒーローってなんだ」

「ぷっ……あっはっはっは……ひぃ……おもしろ……あぁ……ヤバい……笑い死ぬ……バルドル……ぷっ……」


 突然大笑いし始めたナイラに全員が驚いたが、正義のヒーローとは何か理解ができない三人は、ナイラが落ち着くのを待つしかなかった。


「あーめっちゃ笑った。ヒーローっていうのはね。一万年前の言葉で【英雄】って意味だよ……あーヤバい。言葉に出したらまたこみあげてくる……」


「じゃあッ! バルドルは正義の英雄ってこと!? すごい! バルドルすごいよ! 僕は納得できるよ!」

「……う、うるせぇよ」

「うおぁッ! その凶悪な顔で照れるときついですよーバルドル兄さん」


 ナイラもブライスもバルドルを揶揄っていたが、ルシアンだけはキラキラの視線を向けていた。

 バルドルの元々の適性は『内政官』という国を支える事に特化したものだったが、『正義のヒーロー』の方が圧倒的に納得ができる。

 特に奴隷たちからすれば、バルドルはまさしく英雄であり、不条理と戦い続ける姿は正義に溢れているだろう。

 ルシアンは騎士時代に強い男はいくらでも見てきたが、かっこいい漢の代名詞はエドワードとバルドル以外ありえないのだ。


「ルシアンは本当にバルドルが大好きだねー! ボクのことはどうでもいいのかなー?」

「……その言い方やめてよ! ブライスさんが怖いんだから! それに僕の知る限り、適性の呪縛を最初に突破したのはバルドルだよ!」


 今でこそルシアンも婚約者たちも『適性の呪縛』を突破しているが、バルドルはさらに早く突破していた。

 ルシアンが騎士となって、ブライスと出会うより早く、バルドルは奴隷商人として不条理と戦っていた。

 その姿を見て惹かれない男など存在しないだろう。バルドルはルシアンにとっても正義のヒーローなのだ。


「……ルシアン、これからうまいもんでも食い行くか? 王都はラクシャクに比べると海鮮はまずいが、肉はそれなりにうまいぞ」

「はいはーい! ボクたちも行くよー! もちろんバルドルの奢りでー!」

「おいっ! 押すな! 俺はルシアンに言ったんだよ! いてぇ! わかったって!」

「ありがとーっ! バルドル兄さん!」


 ルシアンを甘やかそうとしたバルドルは、なぜかナイラに背中を押されて夕食をたかられていた。

 なんだかんだ仲のいい二人が遠くなっていく姿を見ていると、一切の音もなくブライスが横に来ていた。


「不死身ぃ……」

「な、なんですか?」

「……ありがとな」

「え?」


 突拍子もなくお礼を言ってきたブライスに、ルシアンは戸惑った。ナイラのことで恨まれることはあっても、感謝されることはなかったルシアンには意味がわからなかった。

 

「いやーナイラは、ああ見えてずっと限界だったんだよ。もう疲れてるんだ。適性の水晶のことを強引に発表したのも、ラクシャクに帰りたいからなんだよ。お前にならわかるだろ……ルシアン」

「……ごめんね」


 真剣なブライスの表情と言葉を聞いたルシアンは、何に対してかわからないが、謝罪の言葉が自然と出た。

 ブライスの言うことが理解できるのだ。ナイラが怖がっていることなど、ルシアンにはもちろんのこと、おそらくバルドルも理解している。

 ナクファムが異常な発展をしていくたびに、高度文明時代の研究結果を発表するたびに、ナイラの精神を蝕んでいたはずだ。それは猛毒がじわじわと侵食するように。

 ルシアンが騎士として十年耐え続けたように、ナイラとバルドルはいまだに耐え続けているのだ。


「僕がゼナード王太子殿下を説得しますから。ブライスさんはナイラとラクシャクで、どう過ごすかでも考えててくださいよ」

「……お前たち三人を育てた土地だ。さぞ素晴らしいんだろうな! 楽しみだ!」


 ルシアンに最高の褒め言葉をくれたブライスの表情は、国を守る英雄の顔ではなく、愛するものを守る一人の漢の顔だった。


「おーい! 二人ともいくよー! ボクお腹すいちゃったよー! 置いて行っちゃうよー!」

「今行くぞー! バルドル兄さんとはいえナイラと二人きりなんてさせないぞー!」


 ナイラの呼びかけに応じたブライスは、さっきまでの口調ではなく、ナイラと同じように間延びした口調に戻っていた。


(きっと元々さっきまでの話し方が本来のブライスさんのものだったんだろうなぁ……良い夫婦は似るって言うけど二人を見てるとよくわかる。僕も負けてられないね!)


 ルシアンは三人の婚約者と愛するラクシャクの思い出を力に変えて、ナイラをラクシャクへと帰還させるためにゼナードと話をすることを決意した。

 

 


 

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