第32話 英雄ブライス



 ナイラの夫——ブライス・ザンドは数多の呼び名を持つ。有名な呼び名だけでも英雄ブライス、嘘つきブライス、虚槍ブライス、最高の槍術士など様々だ。

 セグナクト王国では最高の騎士である【虚槍きょそうブライス】【宝剣ほうけんメリクル】【星弓せいきゅうプロル】の三騎士を三神器と呼び、その直属の配下を含めて神器隊と呼ぶ。

 セグナクト王国の大陸統一の大きな要因になった高貴な人物でもあり、まさしく英雄と呼ぶべき人物だ。

 しかしこれはあくまで、ブライスのことを知らない人からすればの話だ。


「ナイラは今日も可愛らしい。オレはお前と結婚できて幸せ者だ。早く穏やかな田舎で二人で暮らそう」

「もーブライス恥ずかしいからやめてよ! ボク二十六歳だよ? ルシアンとバルドルも見てるから!」


 小柄なナイラを膝の上に乗せて、頭を撫で続けている赤髪の偉丈夫——ブライスはナイラ狂いの阿呆なのだ。


「あのぉ……本題に入らない?」

「ナイラが幸せなことはいいことだけどよぉ、こうして目の前で見るのは……きちぃな……」


 早く本題に入りたいルシアンと、妹夫婦が作り出す空間に耐えられないバルドルが苦言を呈す。


「あっごめんごめん! 二人はブライスの適性が体術士だってこと知ってるよね?」

「うん。有名だから知らない人の方が少ないと思う」


 ちまたでは嘘つきなどと言われているが、王国の神器であるブライスの適性証明書は、国でも管理されているはずだ。

 それにルシアンの婚約者であるベルの姿を見れば、体術士の適性が破格な戦闘力を持っているのは、火を見るより明らかだ。


「ブライスはね! 適性が変質してるんだ!」

「……ッ!? まって……続きを言うの少し待って……」


 軽い口調で伝えられたナイラの言葉に、殴られたような強い衝撃を受けた脳が高速回転を始めた。 


 『適性が変質する』


 ナイラの言った言葉が本当だった場合、あらゆる事柄に影響を与えることになる。

 大陸の人類が適性検査の水晶を使用するようになって約五〇〇年。人類は呪いとも、祝福とも言えるような水晶のお告げを大事にしてきた。

 有能な適性であれば喜び、無能な適性であれば悲しむ。無能な適性に選ばれた者の中には、酷い扱いや惨めな思いをしてきた人間も少なくない。

 大陸の歴史を振り返れば、適性の差による差別や迫害、内乱や一揆までもが起こった経緯がある。

 ナイラの言葉とは、それら全てを根底からひっくり返してしまうほどのことなのだ。


「……ブライスの適性は何に変質したんだ? 時期はいつ頃だ」

「……変質した時期は大陸統一後の翌日、その日以降の水晶が映した適性は——『英雄』。今朝もちゃんと確認したから間違い無いと思う。もう三ヶ月間も定着してるから」


 バルドルは我慢できなかったのかナイラに話の続きを促した。この話は奴隷商人であるバルドルにとっても重要な話であることから、堪えきれなかったのだろう。

 ルシアンは激しく思考が揺さぶられる感覚に、吐き気を催していた。適性の変質が事実ならば、それは喜ばしい事でもあり、恐ろしい事でもあるのだ。


「ナ、ナイラ……」

「このことは王太子ゼナード経由で、王国の中枢にも伝わってるから、そんなに心配しなくて大丈夫だよ。ボクは人の可能性を証明した。それを国民にうまく伝えるのは、王家の仕事——だよね?」


 カラカラの声で弱々しくでたルシアンの声に、ナイラはくすりと笑った。彼女のその笑顔は幼さなど微塵も感じさせない強者の笑みだった。

 改めてナイラの強さと優しさに触れることになった。彼女はルシアンを安心させるためだけに、真剣な表情でそう言ったのだ。


 ルシアンの思考手順は、まず起こりうる最悪の状況から考える。今回の件は間違いなく、人類にとって明るい話題である。

 しかしルシアンは長年の考察癖により、無能扱いされてきた適性の人間が、反旗を翻すことを想像したのだ。

 そのルシアンの思考を理解しているナイラは、優しい言葉で姉のように弟を安心させた。


「……ごめんねナイラ……僕こわくて……でもありがとう」


 ナイラに隠し事などできるわけもないルシアンは、力なく微笑みながら情けない本音をぶちまけた。

 

「……ねぇバルドル」

「……なんだ」

「ルシアンってほんとに二十五歳なんだよね?」

「……さぁな。歳はわからんが、言いたいことはわかる。こいつは誰にでもそうだ。気をつけろ」

「……ルシアン。お姉ちゃん大好きって言いなさい」


 ぶつぶつ会話していたバルドルとナイラは、ジトーっとした目でルシアンを見ていた。

 当のルシアンはナイラの後ろにあるギラリと煌めく猛獣の瞳が、怖くて仕方なかった。


「不死身ぃ? いい歳こいて姉ちゃんにバブってんじゃねぇぞー? 義理のお兄様が漢らしくしてやろーか?」

「……遠慮しておきます。お兄様……あと不死身って呼ぶのやめてね」


 ブライスがルシアンを不死身と呼ぶのは、ルシアンの同期の騎士は全員死んでいるからだ。

 それどころか神器隊や団長などの指揮官を除いた一般騎士の中で、十年も生存しているのはルシアンだけだ。まさしく不死身なのだ。平凡の中の非凡。それが騎士としてのルシアンの立ち位置だ。


「それでナイラは、その結果に対してどう思ってるの? なんで変質したと思ってるの?」

「多分適性の水晶って、検査した時点で一番優れた資質を映し出すだけだと思ってるんだ」


 適性が変質するとわかったことを踏まえると、ナイラの発言は納得できるものだった。深く考えれば人間の適性が、たったの一つなわけがないのだ。

 例えばルシアンの場合、槍はもちろんのこと、扱いの難しい刀も剣も弓もある程度は使える。思考能力を活かして、内政官としての能力もそれなりにあるだろう。しかし適性検査の結果は『教育者』のみだった。

 これはルシアンの婚約者やバルドルも同様に言える。

 加えて適性検査は本来、十代で行われるものだ。経験値の足りていない時期に適性を見て、その人物の何がわかると言うのか。

 ルシアンが騎士を辞めて適性検査場を訪れた時に、係の女性が驚いていたことから、国民は水晶の結果を疑うこともしてないだろう。

 

 全く恐ろしい話だった。『適性の呪縛』を突破している者からすれば、適性検査のいびつさには疑問を持てたが、高度文明時代の遺物が示すことなのだから、正しく信じるべきだという先入観に、人類は長き時を弄ばれてきたのだ。

 ルシアン自身も今となっては違和感の塊だと感じるが、ナイラのように明確な意志を持って動けなかったことを悔しく思った。


 ——人間の可能性を舐めるな。


 ナイラはずっとその信念を持って、人間の可能性を信じていたのだ。高度文明時代の恐ろしくも便利な知識を一人で受け止めて、孤独な戦いを続けていた彼女を誇らしく思った。


「……これで無適性の奴らも救われるかもな」

「ボクは無適性の謎も解明したかったけど、あれは本当に無理すぎだよー。言葉が理解できないのはどうしようもできないんだよねー」


 バルドルとナイラの言う無適性は、国民の約四割に値すると言われている。無適性と言っても水晶が全く反応しないわけではなく、水晶に映し出される言葉の意味がわからないということだ。

 有名なものを挙げるのならば、『サラリーマン』や『アイドル』と言った謎の言語の適性だ。

 水晶は一万年前の遺物であることから、おそらく一万年前に存在した職業までもが映し出されているのだ。

 理解するためには、失われた言語や文化、概念的なモノを一から学習する必要があるが、ナイラが理解できないのでは導き出すことは難しい。

 しかしこれからは適性の水晶に縛られることなく、自由に生きていける可能性がある。それを促すのは国であり、決断するのは一人一人の国民であるが。


「ところで……英雄ってどんな能力があるの?」

「……オレも知らねー」


 思考がスッキリしたことで、ルシアンはポンっと湧き出た疑問をブライスに投げかけたが、どうでもよさそうな返事が返ってきた。

 苦笑いするしかなかったルシアンは、バルドルが二枚目の炙り肉を頬張り始めたのを見て、この話はここまでかとぬるくなった紅茶を啜った。


 

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