第15話 ウルスラの教育①


 

 ルシアンは生徒三人と戦うことを決めたが、三人が強くなることを最優先に考えているのは変わらない。

 ルシアンの幸せは、生徒を奴隷という世界の不条理から這い上がらせて、愛するラクシャクの地に沈めることにある。

 そして領都ラクシャク——いてはミーリス男爵領を改革することを何よりの幸福としている。


 生徒が狂っている時、教師もまた狂っているのだ。


「よしっ! じゃあウルスラは早速、魔物について勉強しよっか」

「先生……大丈夫? 私たち恩知らずなことしちゃった自覚があるんだけど……」


 すでに納得していたルシアンに対して、ウルスラは少し申し訳なさそうな表情をしている。その姿を見てルシアンの口から、ふふっという笑い声が漏れる。


「僕は三人のことを、恩知らずだなんて思ってないよ。むしろ感心したんだよ? 僕の生徒はもうこんなに賢くなったんだーってね?」

「……先生、すき」

「はいはい。でも僕は負かしたいなら、勉強を頑張って強い女性にならないといけないでしょ?」

「うん……私、勉強頑張って強くなって先生のことぐちゃぐちゃにしたい!」


 ようやくいつものウルスラに戻ったのはよかったが、最後の余計な一言にルシアンは苦笑いをするしかなかった。


(できれば、家族と穏やかに暮らしたいっていう望みのために頑張って欲しいなぁ……)


 しかしどんな理由であれ、ウルスラがやる気になってくれることは、ルシアンにとっては良いことなので、本題の飼育士としての教育に入ることにした。


「ウルスラは【桃羊ももひつじ】っていう魔物は知ってる?」

「知ってます。桃の香りがする羊みたいな魔物だと本に書いてありました。かわいいんですか?」


 ウルスラの教育日程を最後にしたことには理由がある。

 ルシアンが目指している事業を始めるには、ただの商家の娘だったウルスラに、魔物の知識を詰め込む時間が必要だった。

 そのためアーシェとベルの教育をしている間、ウルスラにはひたすらに魔物に詳しい書物を読んでもらっていた。


桃羊ももひつじはすっごいかわいい。かわいいし、もふもふなんだよ。狩人達の中では【魔物よけの雑魚】なんて呼ばれてるくらいにはかわいい。」

「ほんとですか!? もしかしてそんなかわいい羊さんがこのミーリス領に……」

「なんと……います! それも大量に!」

「先生……早く会いたいです! 飼いたいです! もふもふしたいです! お世話したいです!」


 桃羊——通称【魔物よけの雑魚】


 のっぺりとした顔に、もふもふの毛、桃の香りを放つこの魔物は、聞いた限りでは有用そうな魔物であるが、狩人達の中では全く評価されていない。

 その理由は長所となる部分が、生きている間にしか発揮されないからだ。

 肌触りの良いもふもふの毛皮は質の良い衣類や寝具しんぐになるかと思いきや、桃羊の体を離れた途端、枯れ草のようになってしまい使い物にならない。肉や角も同様に腐ってしまう。

 唯一、体臭の桃の香りだけは有用で、人間だけが良い匂いと感じるらしく、肉食の魔物や獣にとっては悪臭に感じるらしい。


 つまりルシアンの望む『かわいい魔物と触れ合って癒されよう計画』のために、生まれてきた生物と言えるのだ。

 実際には、順序は逆である。騎士時代に桃羊などのかわいい魔物を飼うことで、癒されたいと思ったのがこの事業のきっかけだった。


「ウルスラが桃羊と心を通わせることができたら、この施設でも飼っていいよ?」

「ほんとですか!? 絶対メロメロにしてみせます! 私、居住区の犬や猫でこっそり練習してたんです! 絶対やってみせます!」


 やはり年頃の少女達にはかわいい生き物とは魅力的に映るのか、ウルスラは言われてもいないのに、自主的に練習をしていたようだ。

 箱入り娘のウルスラが生き物の世話をすることに、負の感情をいだく可能性も考えていたが、思いのほか、この事業に対して熱意を持ってくれているようで、ルシアンは頼もしさすら感じていた。


「ウルスラは偉いね! 自主的に練習もしてたなんて本当に偉いよ!」

「先生……大袈裟だよぉ!」


 ウルスラは照れたように笑っていたが、ルシアンは本気で感動していた。

 甘やかされてきた無能だと自身を評価していたウルスラが、自主的に一人で練習をするという成長を見せたのだから、これで感動しない教師はいない。


「ウルスラは生き物の世話をすることに対して、抵抗はない? かわいい魔物を飼育する予定だけど、当然、楽なことばかりではないよ?」

「はい! 理解してます! でも生き物のお世話をすることが、後々のことにも力になると思えばすっごくやる気が出るんです!」

「後々のこと?」

「いずれは先生のお世話をして管理もすることになるでしょ?」


 言ってのけた。ウルスラは自分の発言になんの疑問も持たず、あまりにも軽い声色ですごいことを言ってのけた。


(もしかして三人に沈められたら、一人で生きていけなくなるようなことされるの? ぐちゃぐちゃにするとか、お世話して管理するとか……すごいこと言われてるんだけど)


 ルシアンはその姿を想像してぶるりと体を震わせたが、強引に思考を放棄して話を戻した。


「そ、そっか……それで桃羊の飼育は明日に挑戦する予定だから、今日はこれから桃羊の知識を教えるね。」

「はぁい! よろしくお願いしまぁす!」


 甘えたような返事ではあるが、ウルスラは確かな情熱を持っているようだった。


「桃羊は草食なんだけど、特にナール草やイルミ草といった薬草を好むんだ」

「んーということは、うちで飼うときはちょっと気をつけないといけませんね……」


 悩むような顔をしたウルスラは、ルシアンの伝えたいことを正確に汲み取っているようだった。

 すでに教育施設の花壇では、アーシェが新種の根菜を初めとした薬草を植えている。ルシアンはその小さな植物園を荒らさないように、気をつけて欲しいと伝えたかったのだ。


「それと一番気をつけなきゃいけないのは、ベルの槍の音だね」

「槍の音……?」

「そう。桃羊の唯一の天敵が大足鷲おおあしわしっていう大型の鳥の魔物なんだ……その飛行音とベルの槍から鳴る音が似てるから、気をつけないと怯えちゃうと思うんだ」


 大足鷲おおあしわしは桃羊の香りを感じにくいのか、その大きな足で桃羊を捕まえて、捕食対象の魔物や獣の巣へと連れ去り、成体の魔物を避けてから卵や幼体を食べる賢い魔物だ。

 桃羊を捕食するのではなく、魔物よけとして利用することで繁栄してきた魔物である。


「なるほど……桃羊を飼ったら三人でしっかり話し合わないとダメだってことですね?」

「そういうことだね!」


 賢い三人ならば注意点さえ抑えておけば、うまくやっていけるとルシアンは考えていた。それに桃羊はかなり飼育が簡単で、人に慣れさせることさえできれば、早い段階でルシアンの新事業を開始することができる。


「先生は、なんでそんなに魔物に詳しいんですか?騎士の仕事に魔物討伐もあるんですか?」

「ん? 騎士時代に出会った傭兵に教えてもらったからだよ」


 ルシアンが騎士として大陸中を飛び回っていた時に、南国の山岳地帯に住む傭兵部族が味方についたことがあった。

 その部族は『魔物使い』と呼ばれ、魔物を使役して戦うことを主流としており、魔物と意思疎通を取り、奇抜な戦略を可能とする力は味方ながら脅威だと感じた。

 その姿を見た時にルシアンはこの事業を思い至り、かわいらしい魔物達について話を聞いていたのだ。

 弱い魔物のことばかりを聞いてくるルシアンに、魔物使い達は戸惑っていたが、彼らしか知らないような知識まで教えてくれて、気のいい連中だったのは確かだ。


「へぇ……魔物使い……ちょっと怖いかも……」

「ウルスラも桃羊を飼育し始めたら、立派な魔物使いだよ?」


 ルシアンは怖がるウルスラを揶揄った。


「じゃあ今日はこれくらいにしとこうか! 明日は桃羊の捕獲のために、準備もしなきゃいけないし」


 ラクシャク東部の森林地帯の中層はルシアンにとっては簡単な場所でも、ウルスラにとってはそうではない。万全の状態で明日を迎える必要がある。


「はーい! じゃあ先生……私頑張りましたぁ」


 待ってましたと言わんばかりに、ルシアンに向かって両手を広げてご褒美を待つウルスラ。

 ベルを特別扱いしたルシアンに拒否権はないが、いざ目の前にすると、良心が騒ぎ立てる。


「先生? ベルのお腹はなぐっ——きゃあっ」


 あまりベルのお腹を殴った話をされたくなかったルシアンは、黙らせるようにウルスラを引き寄せて抱きしめた。

 標準的な女性の体型であるウルスラの体が、ムニュッと柔らかさと熱を伝えてくる。


「せんせっ……せんせっ……せんせっ……」


 ルシアンの胸元に顔を押し付けながら強い力で抱きしめ返してきたウルスラは、くぐもった声で甘えるように囁いていた。


(ベルのご褒美に比べると、全然マシだ……でもウルスラはすごく興奮してるみたいだ……これ本当に大丈夫なのかなぁ)


 そもそも大丈夫でなくても、ベルのお腹を殴ったことを人質に取られているルシアンは従うしかない。ルシアンは左手でウルスラの綺麗な黒髪をあやすように撫でながら、そんなことを考えていた。


「せんせぃすきぃ……だいすきぃ……」


 甘えたがりの十七歳、ウルスラは子供のようにルシアンに甘えて、しばらく離れてくれなかった。



 


 

 

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