第14話 ル???の教育①
ベルの教育初日の朝を再現するように、ルシアンは頭を抱えた。
ウルスラの教育のために教育施設の大部屋へと向かったルシアンは、訓練場で鍛錬をしていたベルと挨拶を交わし、薬師のメリックの手伝いに向かうアーシェの快活な挨拶に癒された。それはまさしく素晴らしい一日の始まりと言えるはずだった。
大部屋にやってきたウルスラに制服を渡したことで、彼女は可憐な少女らしく喜んだ。そして彼女はそのままの笑顔でご褒美について意思表示をした。
「先生? 私へのご褒美は、先生の
ラクシャクに来てからのウルスラは、面談の時に見せていた無表情は完全になくなり、感情が豊かになった。それが本来の姿なのだろうと思ったルシアンは嬉しくなっていた。
しかしご褒美の要求をしたウルスラは、小悪魔という表現がお似合いの表情をしていた。甘えるような表情でありながら、どこか命令するような圧すら感じさせる。
「んーウルスラ……流石にそれはダメだよ」
ベルに脳を鍛えられたルシアンでも、ウルスラのその要求は呑めなかった。いくら教師と生徒といえど、十七歳の少女を抱きしめることなど、度を越しているからだ。
それと同時に命の危険性があったベルには、特別に度を越したことをしてしまっていることから、アーシェとウルスラに後ろめたさがあったのも事実だった。
いや、そもそもご褒美とはなんなのか? という疑問すら持ち始めていた。そのようなルシアンの思考達は、ウルスラのある一言で無に帰される。
「先生……あんなにかっこよくベルのお腹を殴ったのに、私の抱擁がダメなんですか?」
「……は?」
ルシアンは頭を抱えた。バレていた。
昨夜、ベルの部屋の扉が少し開いていたのは、ルシアンの勘違いではなかったのだ。どうやってこの場を切り抜けるか、冷や汗をかきながら『賢人』の脳を全開でぶん回し、ルシアンは言葉を紡いだ。
「……なんのこと? ベルのお腹? 殴る? 僕は教師だよ? 嫌だなぁウルスラ。そんな夢を見たの?」
全く愚かな脳である。賢いのと嘘が上手いのは別だった。そう、これは紛れもない事実なのだ。
ルシアンはベルの角を握り、お腹を突き出すよう命令し、そのお腹に拳を突き立てて彼女を満足させた。
「先生? 私は別に脅したいわけじゃないの……奴隷の私たちに、こんな素敵な環境をくれた先生には感謝してるの」
「……あっ……あぁ……ウルスラ……」
困ったように笑ったウルスラが女神に見えた。
こんな教師を許してくれるのかと。ラクシャクを素敵な環境と言ってくれるのかと。
「ただ私は、先生に抱きしめられたいだけなの……そうしたらこの事は誰にも言わない。これは安い話でしょ?」
「それは……」
あまりにも安すぎる話だ。ベルの件については、ルシアンの全てを失脚させるほどの力を持った話題である。それにベルの
「それにね……怖いの……」
「……怖い?」
しばらく黙りこんで思考をぶん回していたルシアンに、ウルスラがわざとらしく怯えた表情を見せた。
「アーシェに知られた時が一番怖い……先生、ぐちゃぐちゃにされちゃうかも……」
(……なにをッ!? 僕の何が? 本体が? え? なにそれ……怖い……)
一体、何がぐちゃぐちゃにされてしまうのか想像もつかないルシアンは、ウルスラと同じ表情を浮かべることしかできなかった。
「でも、アーシェがそんなこと……」
「先生は私たちの気持ちに気づいてるでしょ?」
太陽のような笑顔のアーシェと、暗い愉悦に浸るアーシェを思い浮かべていたルシアンは、ウルスラの予想外の角度からの言葉に驚いた。
(気づいてはいるし、否定もする気はないけど……三人にはもっと多くの人と関わり合って欲しい)
三人の生徒がルシアンに好意を持っていることには気づいていた。
三人にとっては奴隷から救い上げてくれた王子様にでも見えているかもしれないが、三人はこれから多くの人と出会い、いつか自身の幸せに向き合う時がくるのだ。
ナイラとエドワードがそうだったように。
三人の尊敬や感謝の念からくる好意は、いずれ時間と他人が解決してくれるものとして、否定せずに放置していたのだ。
「うん……三人の気持ちは否定しないよ。でもそれは時間が解決してくれるよ」
「うん、二人も今はそれでいいと思ってるし……私もそうだったんだけど……ベルのはさすがにやりすぎだよ……先生」
ルシアンは何も言えなかった。その通り過ぎた。しかし、もう止めることもできない。
ベルには戦士の才能がある以上、質の良い訓練を続けてもらわねばならない。そこでルシアンがご褒美をやめて、一度味わった快楽を取り上げるということは、確実にベルのやる気を削ぐことになる。
ルシアンはベルが他の方法で充足感を感じて、ご褒美が必要無くなるまでは、続けてあげるつもりだった。
「だ、か、ら、もうどうせならアーシェにも、私にも同じようにやりすぎたら、不満は出ないと思うの!」
真剣な表情でベルについて考えていたルシアンは、聞こえてきたウルスラの言葉に理解が遅れた。
今までの真剣な空気はこの言葉を伝えるために、お膳立てをしていたのではないかと感じさせるほど、ウルスラは
(ハメられたのか? いつから? いつのまにか敬語も無くなってるし! 僕は元騎士で! 二十五歳で! 教師なんだぞ!)
「ねぇ先生、だめ? アーシェにも、私にも、ベルみたいなご褒美くれたら平等だし、もっとラクシャクのために頑張れるんだけどぉ……だめぇ?」
「……ッ……ッァ……ぃ……いぃ……ぃいよ」
「やったーっ! じゃあ私は毎日頑張るから教育が終わった時は、毎回抱きしめてね? 先生?」
畳み掛けるように告げられたウルスラの言葉を、ルシアンは肯定することしかできなかった。
ウルスラの言う通りだと納得したからだ。ベルのやる気を削ぐことなく、ルシアンの
ベルだけ特別扱いしてしまったようで、後ろめたさを感じていたルシアンには『平等』という言葉がかなり効いた。
しかし今のルシアンは、違う感情に囚われていた。
(これは策略か? 僕が小娘三人にだし抜かれたとでも言うのか?)
ルシアンがそう感じるのも無理はなかった。
偶然というには、あまりにもうまくできた話なのだ。
まず、アーシェが軽いご褒美を要求したことによって、ルシアンは生徒にご褒美を与えることへの、抵抗感がなくなった。
そして次は、ベルが人には言えないような特別なご褒美を要求したが、抵抗感の薄れていたルシアンは、渋々その要求を受けた。
最後にウルスラがその様子を材料にして、ルシアンを一方的に支配している。
その結果、三人は欲しいものを手に入れたのだ。
ルシアンは過去のことを振り返った。いくつかの場面が脳内に思い起こされる。
ラクシャクに到着した生徒達に『三人には仲間になってもらう』と告げたこと。
三人の生徒は定期的に『報告会』というものを行なっていること。
そしてアーシェの面談の後に、バルドルがルシアンに告げた言葉。
『そうか……自分が育てた女にぐちゃぐちゃにされてもしらねぇからな』
まさか——
(ッ……ア、アーシェか……アーシェなのか? この底なし沼のような策略の発案者はッ! その沼に僕を沈めようっていうのかッ!?)
ルシアンはたどり着いた一つの仮説に驚きつつも、まだ違和感をぬぐいきれていなかった。
三人が仮にルシアンを底なし沼に沈めようと考えたとしても、このように遠回しかつ巧妙な手口を思いつくとは考えにくいのだ。
そのやり方はまるで——
(まるで僕が考えた策略みたいじゃないか)
そう考えた時——ルシアンの脳内にある一つの答えが浮かびあがってきた。
教育中のアーシェもベルも、十代の世間知らずの小娘とは思えぬほど賢かった。今回のウルスラの話も今まで甘えてきた商家の小娘とは思えぬほど、上手に展開していた。この三人の生徒はある一つの共通点がある。
それは——『ルシアンの考え方や思考をよく聞かされている』ということだ。
(……なんで気づかなかったんだ!? 今思えばおかしい! アーシェもベルも僕の言いたいことをよく汲み取っていたじゃないか!)
おそらく三人の生徒はルシアンから知識や知恵や動きだけでなく『思考能力』までも学んでいるのだ。
ルシアンは『教育者』という適性の恐ろしさを身をもって知ったのだ。
「先生……ニヤニヤしてどうしたの?」
ルシアンは笑っていた。恐怖など
そしてその最高の三人を、愛するラクシャクの地に沈めることに、名誉や使命感すら感じていた。
「ウルスラ……いや、アーシェとベルも……僕は負けないから。よく考えられた策略だけど、僕は君たちの先生だからね」
その言葉を聞いたウルスラは一瞬驚いた後、すぐに美しい笑みを浮かべた。それはまるで挑発するかのような笑みだった。
「……ふーん。気づいたんだ先生……やっぱりすごいね? でもね……先生に好きな人がいても関係ないからぁ。絶対に私たちの沼に沈めるから」
ウルスラは美しい笑顔から滲み出る、暗い感情を隠すことなくそう言った。
こうして【可愛い生徒をラクシャクに沈めたい、狂い教師ルシアン】と【愛するルシアンを底なし沼に沈めて、ぐちゃぐちゃにしたい三人の狂い生徒】の意味のない戦いが開始したのだった。
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