第二十話


「えっと、あなたは?」


「ワシは槍木に呼ばれて来たんじゃよ、ちと遅かったようじゃがな」


老人はそういいながら和服の袖から扇子を取り出すと、優雅にあおぎ始めた。


こんな死臭がすごい所でよくくつろげるな、この爺さん……。


全く動揺していない所を見ると、きっと似たような修羅場をいくつも潜り抜けてきたのだろう。


「こりゃひでぇや。それでオジキ、槍木の死体はどう処理しますか?」


更に後ろから白シャツに黒いスラックスの体格の良い男が現れる。彼は金髪オールバックで頭部にサングラスを乗せていた。


 捲られた腕にはびっしりと彫り物が入っていて、明らかに真っ当な世界の人間ではなさそうだ。


「いつも通りにやっておけ。いうまでもないが掃除は徹底的にな」


爺さんは口元に笑みをたやさないものの、部下であろう男に指示出しをする目つきは猛禽類のように鋭かった。


「この人たち、絶対カタギじゃない……」


隣からアルカが肘で俺の腹をつついて、こそこそ囁いてくる。彼女にしては珍しくとても不安そうな表情をしていた。


正直、俺もちびりそうだけどアルカの前でただブルブル震えてるわけにもいかないよな。


「あの、警察に通報しなくて大丈夫なんですか?」


恐る恐る、爺さんに話しかけると彼は何を言っている?とでも言いたげにこちらを見てくる。


「この状況、捜査になれば真っ先に疑われるのはお前らだぞ。特にそこのお嬢さん、アルカちゃんは既にサツに目をつけられているだろう?」


「な、なんであたしの名前を?」


名前を呼ばれて動揺したようにアルカが訊ねると、爺さんは不敵な笑みを浮かべていた。


……この爺さん、かなり事情に詳しいな。


その口ぶりからは言外にお前らのことは全てわかっているという意図が込められているように思える。


「はっはっは、ジジイの耳は地獄耳なんじゃよ。とにかく、お前らのことは助けてやれとサナエから言われておる。義理と人情は守らんとな」


アルカの言葉を煙に巻くように、爺さんは答えた。


なるほど、槍木がサナエさんを見捨てるわけには行かなかったのは、こういうバックがいたからという訳なのだろうか。


「ところで、サナエさんは無事なんですか?」


「あぁ、ぴんぴんしておるよ」


俺の問いに爺さんは心配無用とばかりに親指を立てて、にこにこと笑ってみせた。


黒服の男は本当に槍木をおびき寄せて殺す為にサナエさんをさらっただけで、初めからどうこうするつもりはなかったのだろう。


「こんな所で立ち話もなんじゃ、後のことは若い衆にでも任せておけばいい」


爺さんが、パンパンと二度手を打つと先ほどの金髪オールバックが遠くから小走りで駆け寄ってきた。


「オジキ、処理はもうじき終わりますぜ。ところでこの方たちはどうするんで?」


「ひとまず、ウチへ案内する。それでいいかね、お二人さん」


「は、はい」


爺さんの有無を言わせぬ確認に、アルカがひきつった笑顔で返事をする。


わかる、本当はすぐにでも帰りたいよな。俺もアルカと全く同じ気持ちだよ。


「では、こちらへお乗りください」


廃ビルの出口には丁寧に黒い乗用車が横付けされていた。


いつの間にか白い手袋をはめた金髪オールバックがわざわざ後部座席の扉を開けてくれる。


促されるままに、俺たちはやたらと座り心地の良い皮のシートに腰掛けた。見た目通り、想像もつかないような高級車なんだろう。 


 ……いや、だからといって全然くつろげないけど。


「ねぇ?これやばくない?あたしたちどうなるんだろ」


「大丈夫だろ。取って食われるわけでもあるまいし」


「そ、そうよね」


俺が不安そうなアルカを励ますと、彼女は自分を落ち着かせるように何度も頷いていた。


「何かあったらちゃんと守ってね?」


「お、おう」


珍しくアルカがしおらしいことを言いながら手のひらを重ねてくるので、俺はそれを握り返した。


エアコンの効いた車内で、少し冷えた彼女の体温だけがじんわりと伝わっている。


ーーー


「到着しました、足元にお気をつけて」


数十分後に下ろされたのは、ビル街の隙間にぽつんととり残されたような古い住宅地の一角だった。


ここは駅の近くなのだろうか、繁華街の喧騒が聞こえる。


「まぁ、狭い家だがくつろいでいってくれや」


爺さんに通された応接間には『泰然自若』の達筆な習字が飾られていた。その他にも盆栽やら高そうな日本酒などが並んでいる。


俺たちは促されて、大きな座り心地の良いソファに腰掛けた。


「二人とも腹減ってるじゃろ?好き嫌いは?」


「と、特にないです」


アルカがやたらと姿勢良く背筋を伸ばしながら、首をぶんぶんと横に振った。


「んじゃ、寿司でも握らせるか」


爺さんがどこかへ電話をかけると、五分もたたずに岡持ちをたずさえた板前さんが現れる。


「さて、お前さんたちを呼んだのは何も一緒に晩飯を食べる為という訳じゃない」


「それはそうですよね」


アルカはすっかりかしこまっているようだった。借りて来た猫ってのはまさにこういうことを言うんだろうな。


「なあに、そんな緊張せんでもお前さんたちはただジジイの話を聞いてくれるだけでいい。若いネエちゃんがいると飯も上手くなるしの」


しばらくして机の上に寿司下駄が並べられると、爺さんが口を開く。


うわ、すっかりスケベな目線でアルカを見てやがるな。アルカは今日も露出の多い服装だし仕方ないか。


なんというか、いつの間にかあんまりアルカを他人にじろじろ見られたくないという気持ちが湧いていることに気がついた。


……この感情は忘れよう、なんか癪だし。


「タツオはワシが軽く面倒を見てやっていた。槍木もそのおまけみたいなもので、それなりに可愛がっておってな。まぁ、どうしようもないガキ共だったが、死んじまったのは残念だと思っとる」


そう語った爺さんの表情は、さっきまでとは一転して静かに死人を悼むものだった。


そうだよな、悪い奴らにもそれはそれとして大切な人間ってのはいるものだ。


じゃあ、どうして仲間と同じようにそれ以外を大切に出来ないのかとは思うけれど、きっと人生のうちで人一人が大切に出来る数なんてそう多くはないのだろう。


「実はな、あいつらの死は単純なものではない。ここ数年の間にダンジョン内で死んだタツオの関係者が多数いるんじゃ。それらは全て事故処理扱いされておるが、間違いなく殺人だな。そして、ワシらはその犯人をひっそりと追っていた」


「ちょっと待ってください。なんでそんなことがわかるんですか?」


断定するような爺さんの言葉に、アルカがたまらず確認を入れた。彼は、少しだけどう答えようか迷った後でゆっくり口を開く。


「裏社会の情報網は時と場合によっては国家権力よりも強いということじゃ。おっと、今いったことは内緒でな」


裏社会というワードに身体をぴくりとさせたアルカへ、爺さんは「しーっ」という仕草でウインクをした。


気づいてはいたが、はっきりと裏社会って言ったな。


「そして、情報を集めた中でわかったのは殺されたガキ共はみな、数年前に『臼井幸うすいさち』という女子大生が乱暴された事件に関わっているということだ。その意味はわかるな?」


「……復讐ってことですよね」


アルカの返答に、爺さんは満足げに頷いた。


復讐という言葉を聞いて、俺の頭にシイナの顔がよぎる。


彼女は多かれ少なかれこの件に関わっているのは間違いないだろう。


「ああ、動機はそれで間違いないじゃろう。ただ一般人がそこまで詳しい情報を知れるわけもない。そこでワシらは、警察の中に共犯がおると睨んでいる」


そうか、協力者の存在……それを俺はすっかり失念していた。そうだとすれば色々と納得のいくことがある。


例えば、事件の現場に不自然なまでに証拠が残っていないこと、とか。


「あの、事情はだいたいわかったんですけど。どうして、そんな大事な話をあたしたちにするんですか?」


「それは私がおじさんに頼んだのよ、あなたたち色々と知りたそうにしてたでしょ?」


部屋の奥から槍木の女、サナエがそう言いながら現れてどっかりと俺の隣に腰掛けた。


「あら、美味しそうなもの食べてるじゃない」


そして、何食わぬ顔で俺の前に置かれたウニの握りを食べてしまった。


おいおい、それ楽しみにしてたのに……。


俺は好きなものは最後に食べるタイプなのだ。


「あの、そういうのお行儀が悪いと思いますよ」


「あら、お嬢さんごめんなさいね。でも私、育ちが悪いものだから」


思わず、物欲しそうな顔でそれを見ているとアルカの手が横から伸びてきてウニを譲ってくれる。


そもそも、彼女は緊張しているのかあまり寿司には手をつけていなかった。


「色々と教えてくれてありがとうございます。あたしたちは犯人と直接対峙したんですけど、あいつの言ってることが本当ならこの件から引けばもう狙われないみたいです」


「へぇ、それならそれで良かったじゃない」


サナエはいつの間にか煙草に火をつけていて、もくもくと煙が部屋に漂っていた。


「犯人はどんなやつじゃった?」


「顔は殆どわからなかったんですけど、背の高い男でした」


「そうか」


アルカの返答に爺さんは瞑目して頷いている。


「お前さんたちはカタギの身でよく頑張ったな。ケジメを取らせるのはワシらに任せておけばいい」


「そうそう。このままやられっぱなしじゃ、組も槍木のやつも浮かばれないしさ」


そういう、サナエの目はどこか遠いところを見つめているようだった。


関係性はどうあれ、二人は確かに愛し合っていたということなんだろう。


「とにかく今日はもう遅い。疲れたろうからゆっくり寝て、明日の朝好きなタイミングで帰ればよい」


「ありがとうございます」


爺さんの言葉に俺たちは礼を述べて、そそくさとその場を後にし客間へと移動する。


そこには既にまるで旅館のような立派な布団が二つ用意されていた。


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