第七話


『ピピピピ……ピピピ……カチャッ』


 乱雑に目覚まし時計を止めると、カーテンの隙間から光が差し込んでいて眩しかった。


 眠気を押し殺して布団から這い出た時には、部屋にもうアルカの姿はなかった。


 代わりに机の上にメモ帳を裂いた書き置きが残されている。やたらと丸くて可愛らしい筆跡だった。


『おはよう、アキラ! っていうか、あんたの名前 シキシマ アキラっていうのね? 机の上に水道料金の封筒が散らばってるものだからつい見ちゃった、てへっ⭐︎ で、あたしは用事があるから先に出てるわね。あんたは今日もダンジョンに行くつもりなんでしょ? 冷蔵庫にちょっとした朝ごはんを用意しておいたから、温めてお味噌汁と一緒に食べなさいよ。栄養つけて頑張りなさい!』


 メモの表側の指示に従い、冷蔵庫を開けると目玉焼きとベーコンの乗った皿が入っていた。それを電子レンジで温めながら、メモの裏面を読む。


『……無いとは思うんだけど、もし私のことを誰かに尋ねられたら「そんな奴は知らない」って言っておいてね。特に私の友達を名乗る奴には注意して、あたしにはあんた以外に友達なんていないもの。あっ、それとスマホにはちゃんとパスワードをかけておいた方がいいわよ? 勝手にメッセージアプリで友達登録をしておいたから、何か急用があったらそこに連絡ちょうだい? P.S 夕飯までには帰る』


「何言ってやがるんだ?」


 読み終わると同時に、慌てて机の上に置かれていたスマホを手に取る。投げた時の衝撃か液晶画面が少し割れていた。


 それにしても、アルカはどうやってこれを天井から引き抜いたんだろう。この部屋には脚立もないし……。


「うん、確かに友人欄が増えてるみたいだな」


 中のデータを見ると【あかがね 亜流花あるか】というフレンドが追加されていた。どうやら、これがアルカの本名らしい。


 トーク履歴には、一時間ほど前に片手を上げて挨拶するパンダのスタンプが送られていた。俺も似たような動物のスタンプを送りメモを読んだ意思を伝えておく。


「ていうか、あいつは夕飯頃にまたここへ帰ってくるつもりなのかよ」


 ひょっとして、このまま成り行きでアイツと暮らすことになるのか……?


 でも一体何が理由で……?

 

 まさかのまさかで俺に気がある……とか?


「いやいやないない、どうせなんか別の理由があるんだろ。さぁ、馬鹿なこと考えてないで俺はいつも通りダンジョンへ行こう」


 浮かれた妄想を押し込めて、出来るだけいつも通りに支度をする。


 初心者向けの軽装をまとい、腰に護身用の剣を下げて、その他の細々とした準備をすませた。


 最後にしっかり部屋に鍵をかけてポストの裏側に鍵を引っ掛けておいた。こうしておけば、もしアルカが先に帰ってきても大丈夫だろう。


 なんか、まるで同棲してるみたいな心配だな。


ーーー


「……なんだなんだ?」


 昨日ぶりにやってきた【多摩東ダンジョン】は、物々しい感じで閉鎖されていた。遠巻きに配信者や野次馬がダンジョンの様子を伺っている。


 あの黄色いキープアウトのテープなんてTVドラマくらいでしか見たことないぞ?


「あー、そこの冒険者の君!ひょっとして【多摩東ダンジョン】に潜りに来たのかい? 残念だけど、今日は冒険者協会からのお達しで封鎖しちゃってるんだ」


「そうだったんですね。えっと、ここで何かあったんですか?」


 俺があまりに挙動不審だったのだろうか、規制線を越えてきた警察らしき男性に話しかけられてしまった。


 昔から、夜散歩してるだけで職務質問とかされてたんだよな。そんなに不審者顔かよ、ちょっとショックだぜ。


「詳細は職務機密なんだけど結構ニュースにもなってるから隠すだけ無駄かな? 僕たちは昨日このダンジョンで起きた事故の調査をしているんだ」


「事故……ですか?」


 彼はにこやかな笑みを浮かべながら、僕のすぐ側まで近づいてくる。身長の高い、どこか影のあるイケメンって感じの男性だった。


「そう、比較的珍しい事故でね。だから目撃者を探してるんだ。君はよくここのダンジョンに潜るのかい?」


 珍しい事故か、でもダンジョン内で起こるような事故なんて限られてはいると思うけれど。少なくとも、俺が幼少期に巻き込まれたような大規模のものではなさそうだった。


「ええ、平日はだいたい朝から夕方まで潜ってますよ」


「へぇ、それじゃあもしかして昨日もここにいた?」


「はい」


 そこまで会話が続くと、彼は少しだけ声のトーンが低くなった。何かをメモ帳に早書きしている。


「失礼だけど、名前をお聞きしても?」


「シキシマ アキラです」


「疑うわけじゃないんだけど、ちょっと確認させてもらうね」


 すると、彼はダンジョンの入り口にある端末の所まで歩いていく。そして、数分後に爽やかな笑顔を浮かべて戻ってきた。


「君はどうやら事故の起きた時間に、このダンジョンに潜っていたようだね。確認が取れたよ。ちょっと参考人として詳しく話を聞かせてもらってもいいかな?」


 雰囲気は柔和なままだが、どことなく纏う空気感が変わった。仕事モードに切り替わったんだろうか。断るという訳にもいかなさそうなので、頷いておいた。


「申し遅れたね、僕はこういうものなんだ」


「……警視庁ダンジョン犯罪課?」


 彼はサービスのつもりか、ドラマの中でしかみないようなポーズで警察手帳を見せてくれた。


 そこには、しっかりと彼が警視庁のダンジョン犯罪課に勤める刑事であることが記されていた。


「僕は執行しっこう 正義まさよし、気軽にマサヨシさんと呼んでくれて大丈夫だよ、アキラくん」


「……はい」


 彼は爽やかな笑顔をこちらに向けてくれているが、それがあまりにも爽やかすぎて直視出来なかった。


 高身長エリートイケメンなんて直視したら、ニートは溶け落ちてしまうのだ。


「で、ダンジョン内で変わったことはなかったかな?」


「いつもは見かけない危険なモンスターを見ました」


「それは、こういうモンスターだったかな?」


 マサヨシがファイルから取り出した資料には、昨日倒したヘルケルベロスの画像があった。細部の色は少し違うけども、恐らく同じモンスターだろう。


「はい、そのモンスターです。二層を探索している時に見つけました」


「ふむ、ヘルケルベロスが二層で……。やはり異常個体と見た方が賢明か」


 マサヨシは真剣な表情を浮かべながら、さらさらと何かをメモしていた。


「それで、そのモンスターを見かけて君はどうした?」


「勝てるわけもないので、一目散に逃げ出しました」


 本当は俺が倒したんだんだよ、なんてこの場で言ったらどうなるんだろうか。想像しただけで面倒なことになりそうだし、やめておくけれど。


 俺は自己顕示欲に呑まれて自爆するほど愚かではないのだ。


「そうだね。さっきライセンス情報を見させて貰ったけど、Eランクならそれが賢明だ」


 マサヨシは気にするなといった調子で俺を見ていたが、どう反応するべきかわからなかったので曖昧に笑っていた。


「それから、もう一つ聞きたいことがあってね。昨日、ダンジョン内でこの冒険者たちを見かけなかったかい?」


 そう言いながら、彼は胸ポケットから四人の顔写真を取り出した。


 そこに写っていたのは、左から順に知らない男が二人と、一人は有名な女性配信者……確か、名前は【シーナ】だった気がする。


 それから、最後に何故かアルカの写真が出された。


 その写真を見た時に少しだけ動揺してしまったが、マサヨシは俺の動作を特に気にとめていない様子だった。


「いや、誰も見てませんね。というより、低階層を歩いていただけなので他の冒険者とは会いませんでした」


「なるほどね。実は、彼らを事故の参考人として今朝から探しているんだ。うち一人の女性には連絡がついたんだけど、残りの三人はまだ自宅にも帰れていないようでね」


 マサヨシはこの四人を事故の参考人として探しているらしい。


 アルカがすぐ家に帰れない理由と、この事故には何か深い関係があるのだろうか。


 そんなことになるような事故って一体なんなんだ?


 俺がジッと並べられた写真を睨みながら考え事をしていると、マサヨシが手をひらひらと振りながら写真を回収していった。


「まぁ、何か些細なことでも思い出したらこの名刺まで連絡が欲しいんだ」


「わかりました」


 マサヨシは立派な名刺ケースから一枚こちらに差し出してくる。


 それを受け取ると、彼はすぐに身体を翻した。刑事というのは想像以上に忙しい職業らしい。彼にも相棒とかいるのだろうか。


「さて、ご協力ありがとう。君のこれからの冒険者人生に幸があることを祈るよ」


 去り際な台詞すら絵になるイケメンだった。あれはモテてしょうがないだろうな。


 差がありすぎて悔しいとも思えなかったぜ。


ーーー


「にしても、今日は多摩東ダンジョンに入れないんじゃ、少し遠出して別のダンジョンに行くしかなさそうだな」


 切り替えて、その場を離れようとした時だった。不意に野次馬の群れから飛び出してきた華奢な少女とぶつかってしまった。


「きゃっ」


「ごめん、怪我してない?」


「はい、大丈夫です!こちらこそすみません!」


 サングラスにキャスケット帽をかぶって顔の殆どを隠した少女は、何度もぺこぺこと頭を下げて謝ってくる。


 それを手で制すると、一転して彼女はジッと俺の顔を見つめだした。


「……あ、あの、ひょっとして貴方とどこかでお会いしたことありませんか?」


「いや、人違いじゃないかな?」


 少女にそう尋ねられてから、しばらく考えてみてもそこから知り合いの面影は感じられなかった。


 でももし昔のクラスメイトとかだったら……申し訳ないが覚えてないな。


「そうですか! 失礼しました!」


 彼女は俺の返答を聞くと慌てたように、そのままかけて行ってしまった。


 ……本当は知り合いだったらどうしよう。俺の対応で傷つけてしまったんじゃないだろうか。


「まぁ、くよくよしててもしょうがないか」


 さて、俺はとっとと別のダンジョンで稼がなくちゃな。無給のままで家には帰れないぜ。

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