第六話


「ようこそ我が家へ、って言うほど大したもんじゃないけどな。こんな安アパートで良かったらくつろいでいってくれよ」


「ありがとう、お邪魔するわね」


 部屋の前で五分ほどアルカを待たせ、慌てて人を入れられるくらいに掃除をした。


 一人暮らしの男の部屋なんて色々と女子に見せられないものだらけだからな。そういうものは全部クローゼットに隠しておいた。


 ……まぁ、だいたい大丈夫だろう。


「それにしても最寄りのダンジョンまでバスと徒歩で一時間もかかるとは中々の物件ね? これじゃ、早めに帰りたくもなるわけね」


「不便な分だけ家賃が安くて助かるんだよ。Eランクの稼ぎじゃ生活は常にギリギリなもんでな」


 このアパートは五畳半ワンルームで風呂トイレ別のキッチン付き。都心から離れているとはいえ、これで家賃五万ならそれなりだろう。


 正直、相場についてはあまりわからないが、これ以上の条件を選り好みしている余裕もなかった。


 大家も人の良いお爺さんだし、隣人ともトラブルはないので今のところ不満はない。


「別に責めてるわけじゃないわよ? あたしも小さい頃に住んでた家は狭かったわ。それに、久々にダンジョン以外で散歩できて良い気分転換だったもの。途中のスーパーで食材も買えたし」


 俺が買い物袋をキッチンに下ろすと、アルカが手際よくそれらを狭い調理台の上に並べていく。


「あたしはこのまま料理始めちゃうから、あんたは今のうちにお風呂でも入ってきなさいよ? 一時間はかかるから、のんびり湯船にでも浸かってて良いわよ。その方が疲れも取れるでしょ」


「ああ、そうするよ。助かる」


 俺の返事にアルカは曖昧に頷くと、そのまま真剣に料理を始めたらしかった。


 脱衣所の中にまで、包丁が食材を切る一定のリズムとアルカの機嫌良さそうな鼻歌が響いている。


 もし、彼女と同棲でもしたらこんな感じの日常になるのだろうか。


 女の子が壁を挟んだ向こう側で料理を作っているというシチュエーションは、白昼夢のようでまだあまり受け止めきれていない。


「あんまり考えすぎると、変に緊張するな」


 俺は、かぶりを振っていつも通り風呂に入ることにした。


ーーー


「さっ、たっぷり作ったからお腹いっぱい食べなさい! ちょっと多いかもしれないけど、男子だし問題ないわよね? どうぞ召し上がれ!」


 バスタオルで髪を乱暴に乾かしながら居間に戻ると、アルカは既に食事の用意を済ませていてくれたようだった。


 狭い食卓の上には、唐揚げや厚焼きたまご、ほうれん草のおひたしにきんぴらやその他幾つかの惣菜とお味噌汁まで所狭しと並んでいた。


「うおおおお! いただきます!!」


 これだけあると、どれから手を付けようか迷ってしまうレベルだ。


 ひとまず唐揚げを頬張ると、ジューシーな食感にしっかりと味が染み出してくる。他のおかずも見た目だけでなく、しっかり美味しく出来ていた。


 アルカは見た目によらず、かなり家庭的な女の子のようだ。単純だが、育ちの悪い俺にとっては生活力が高いというだけのことで彼女を見る目が変わりつつあった。


「今までこんな豪華な夕飯食べたことないよ」


「……そ、そんな大袈裟ね? こんなの至って普通の家庭料理じゃないの。まっ、でもそんな風に喜んでくれてると作った甲斐はあるわね」


「いやこれ、マジで美味いって!」


「もう、わかったからちゃんと飲み込んでから喋りなさいよ? 焦らなくてもたっぷりあるんだから」


 くすくすと温かく微笑むアルカに見守られながら、俺は次々と皿を空っぽにしていく。

 

 結局、ご飯のおかわりも三回はしてしまった。


ーーー


「……それにしても、まさか本当にスマホが天井へ突き刺さってるとはね。何があったらこんなことになるのよ?」


 食事が終わると、アルカが天井を指さして呆れていた。

 

 確かに、改めて言われるとアパートの天井にスマホが突き刺さっているというのは絵面も状況もかなりシュールだった。


「いや、ちょっと朝のニュースを見てショックを受けて」


「そんなにショックな朝のニュース?あぁ、あんたもしかして【るりてんちゃん】推しだったんだ。それはなんというかご愁傷様ね」


 彼女は一度ぐるりと部屋中を見渡すと、片付け忘れていたるりてんグッズに目をつけてからそう言った。


 やっぱり冒険者ならだいたいは今朝のるりてんショックを知っていたようだ。


「そうだよ。悪いかよ、ネットの偶像を本気で信じた哀れなD豚を笑ってくれ」


「そんなに卑屈になることないじゃない? 別に今時配信者の推しがいることなんて恥ずかしくもないし」


 アルカは困ったように落ち込んだ俺をフォローしてくれていたが、一度下げた視線を中々上げられずにいた。


 すると、彼女は思いもよらない提案をしてくる。


「そんなにショックだったんなら、いっそのこと推し変しちゃいなさいよ。どう? あたしの『眷属』になっちゃえばいいじゃない」


 アルカは悪くないでしょ?とでも言いたげな表情だったが、俺はすぐに首を振った。


「そもそも、アルカのことはもう純粋に配信者としては見られないよ。だって、俺の家にこうして上がってることが、既に視聴者からしたら裏切りみたいなもんだろ?」


 その若干熱のこもった反論を聞いて、アルカは少しだけ驚いたような表情をした。


「……へぇ、あんたって真面目なのね。確かにその通りね、あたしはこうしていま他の視聴者のことを裏切っているのかもしれない。けど、だからと言ってあんたのことまで裏切ったわけではないじゃない? 他の視聴者がどうなろうが、別にあんたに不利益はないでしょ」


「確かに、俺だけ優遇されてる分にはな。でも、それは配信者としての意識が低いんじゃないか?」


 俺の中ではダンジョン配信者というのは、ある意味で神聖不可侵の存在だ。


 そりゃ俺にだって、一オタクらしく『もしるりてんちゃんと付き合えたらな、デュフフ』みたいな想像をすることはある。


 だが、万が一、いや億が一! 実際にるりてんちゃんと付き合えるチャンスがあるとして、他の小天使たち全員を裏切って彼女を独占するのはタブーだ。


 それは配信者としての彼女の神聖さを毀損する行いだからだ。偶像はそれを信仰する信者まで含めて偶像だし、その偶像の中身を暴こうとするべきではない。


 簡単にいえば Yes 配信者! No タッチ!ということだな。


 逆説的に一度タッチしてしまったダンジョン配信者はただの女の子として見ることは出来ても、配信者として純粋に推すのは難しいことになる。


 配信の向こう側にいる真の姿を見てしまったら、もう彼女たちが見せてくれる甘い夢に騙され続けることは出来ない。


 そういうものだ。


「意識が低い……か。まっ、それはそうかもね? でも、別にあたしは【るりてん】たち【ダンライブ】みたいにアイドル売りしてる訳じゃないし、勝手に夢を抱いて勝手に失望されても正直困るわ」


 俺が何かをいい返そうと言葉を探していると、それよりも早くアルカが次の言葉を続ける。


「わかった。じゃあ、あたしを推せっていうのは素直に諦めることにする。あんたにとって配信者ってのはもっと夢のある存在なのよね? 少なくとも家に上がってご飯を作ってくれるようなリアルな存在じゃない」


「ああ、そうだな」


 俺が詰まりながらもしっかりと返事をすると、アルカは何故か少し感心したように頷いていた。


「……うーん。だったら、ただの女友達としてあたしの手伝いをしてくれないかしら。一人で色々やるのって結構大変なのよ」


「いや、それは」


 次から次へとぽんぽんと提案を投げかけてくるアルカに戸惑っていると、彼女はこちらを気にすることなく大きなあくびをした。


 それにつられながら、壁掛け時計を見ると時刻は既に十一時を回っている。


「喋り込んでたら結構遅くなっちゃったわね。ねぇ、今日はここで寝てっていい?」


「……辺りに宿泊施設もないし、追い出すわけにもいかないもんな」


 泊まらせるなんてつもりは毛頭なかった。が、もうとっくに交通手段もない時間だし、周囲に彼女が泊まれそうな施設もない。


 そんな状態で追い出すくらいなら、同じ屋根の下で一泊する方がまだ道徳的だ。


 完全にこっちのミスだったので、それ以上何か強くいうことは出来ずにいた。


「あたしはこの毛布一枚あればいいわよ。それとお風呂も借りるわね。あっ、覗きたかったから覗いてもいいわよ?」


「誰が覗くかよ!! もう俺はキッチンで寝るから、お前が部屋を好きに使っていいぞ」


 からかわれて耳の先まで赤くなるのがしゃくだったので、掛け布団にくるまりながらキッチンの方まで転がって逃げた。


 何なんだよ、この女は一体。


 どうしてこんなに俺の情緒を揺さぶってくるんだ。


 ひょっとして、俺がニートだから知らないだけで、女の子ってのはみんなこんな風な生き物なのか?


「あはは、いちいち照れちゃって、ちょっとした冗談でしょ? ……でもさっきの件は本気で考えておいてくれると嬉しいわ」


 アルカはそれだけ言いのこすと、風呂場の方へと歩いていった。


 安アパートで壁が薄いので、アルカの鼻歌とシャワーの音だけがしばらく聞こえていた。


 そのまま聞いていると、いやでもアルカのシャワーを想像してしまう気がしたので、ダンジョンとヘルケルベロスのことだけを考えていた。


 そもそも、なんであんなに強いモンスターが二層なんかにいたんだろう。アルカはあんな辺鄙なダンジョンで何をしていたんだろう。


 そんなことを考えているうちに、少しずつ瞼が落ちていって気がつけば眠りについていた。


ーーー


「……お風呂から上がったら、このシチュエーションで本当に寝てる男がいるなんて思わなかった。悪戯されるくらいは覚悟してたのに」


 うっすらとした意識の中で、誰かがこちらの顔をジッと覗き込んでいる気がした。


「まっ、それだけ疲れてるってことよね。今日は本当にありがとう。おやすみ」


 一、二回頭を優しく撫でられたような感触がして、その後でぱちんと照明が消えた。


 それを合図に、俺は今度こそ深く眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る