第二話


「ねぇ!誰かいるでしょ!?助けてってば〜〜!!」


 ジメジメしたダンジョン二層の通路に、尚も必死な女の声が響いていた。


 どうしよう、正直知らないフリをしていたい。どうせ、関わったら面倒なことになるだろうし……。


 俺は面倒ごとは避けたいタイプなのだ。


「そもそも二層に出てくるモンスターとまともに渡り合えない俺がでしゃばってもしょうがないよな」


 彼女が一体どんな災難に襲われているのかは知らないが、仮に良く見かけるようなウルフの群れだったとしても俺の戦闘力では到底撃退など出来ない。


「漫画の主人公でもあるまいし、こんなところで格好つけてもな」


 それにわざわざ危険を犯して人助けをしたからって、その女の子に惚れられる!みたいな事にはならない。


 軽くお礼をされて、連絡先くらいは交換できるかもしれないが、どうせ大した進展はしないのがオチだ。


 善意というのは大抵リスクとリターンが釣り合わない。だから逆説的に見返りを求めるな、などと言われるのだろう。


 現実とは非情なものなのだ。


「はぁ……しかし、わかってはいたけどダンジョンってのは恐ろしい所だな。誰かが君を助けに来てくれることを祈るよ」


 俺は小さな声でそんな事を呟きながら、そそくさと来た道を引き返す。可哀想だが、結局は関わらないことに決めた。


「女の子とはいえ、冒険者の端くれだもんな。危険は重々承知でダンジョンに潜ってるんだろう。……俺も、教習の時に口酸っぱく言われたしな」


 とはいえ、同僚なのだから素性は知らなくても「助かるといいね」くらいには思っている。俺は別にひとでなしという訳でもない。


 どちらかと言えば、根は優しい男なのだ。死んだ祖母からも『アキラは優しい子ねえ』とよく言われていたものだ。


「申し訳ないけど、俺には人を助けられるだけの力はないんだよ」


 ぼそぼそと何かへ言い訳しながら一層へと向かう通路を歩いていると、その途中で大きな衝撃がダンジョン内部に走った。


「……ん?地震か?」


 初めは地面そのものが揺れているのかと思ったが、どうやら凄い勢いで何かがダンジョンの岩壁を破壊しながら移動しているようだ。


 そのうち、音源が近くなり目の前の壁が崩れ落ちた。


「な、なんだコイツ……!?見たことないぞ」


 轟音と共に土煙の中から現れたのは、人よりも大きな獣型のモンスターだった。二層には数回来たことがあるし、生息するモンスターの傾向も知っているが、こんな奴は初めてみた。


 頭が三つもあるし、外皮は硬そうな毛に覆われている。とてもじゃないが、俺が腰に下げている護身用の安い剣では傷さえつけられなさそうだ。


「やべぇ、目が合っちまった」


 その獣は燃えるような赤い六つの瞳でこちらを見つめ、ガルルルと低い声で威嚇をしている。


 興奮しているのか重そうな腕をしきりに地面へ叩きつけていて、その度に辺りに振動が走った。


「あっ!! 冒険者み〜つけた!ダンジョンにいるってことは、あんたも冒険者だよね? あのね、アルカがゆるゆる雑談配信してたらぁ〜、なんかいきなり【Aランク】上位の【ヘルケルベロス】が出てきて襲われちゃったの!か弱い【Cランク】の女の子一人じゃどうにも出来なくて困ってたんだぁ……他の冒険者にモンスター引き連れてくるのがマナー違反なのはわかってるんだけどぉ……お願い、助けて♡」


 獣と見つめあっている間に、【アルカ】というピンク髪の女がするりと俺の腕を取ってきて何やらぺらぺらとまくし立てていた。


 わざとらしい上目遣いに、耳が溶けそうなほど甘ったるい声色。別の冒険者にモンスターをなすり付ける行為は【トレイン】と言って御法度だが、あまり悪いと思ってはなさそうだ。


「ねぇ〜、聞いてるぅ?」


 それにしても、ダンジョン配信者にしてはやけに露出の多い装備だ。豊かな胸元は大胆にあけているし、スカートは戦ったら中身が見えるんじゃないかというほど短い。


 コイツは、最近増えているという噂のエロ釣りで視聴者数を稼ぐタイプの配信者だろうか。こうすれば男なら簡単になびくとわかっているような振る舞いだった。


「……無視?」

「ああいや、悪い。でも申し訳ないが助けにはなれないと思うぞ」

「なんでよ!?」


 しばらく返事をしないでいると、わかるくらいに声色がワントーン低くなった。目つきも何処となく睨みつけているように見える。こっちが素なんだろうな、女って怖い……。


「なんでって言われても、俺はEランクだからお前より弱いし」

「はぁ〜?? 嘘でしょっ!? なんで、高難度の【多摩東ダンジョン】に低層とはいえEランクが一人でいるのよ!? それに、今時ガキでもないのにEランクなんてあり得ないでしょ!?ヒョロガリでも半年は潜ってればDランクは行けるのに!?」


 ぎゃあぎゃあとアルカがわめいている間にも、ヘルケルベロスは戦う体制を整えていたようだ。


 予備動作の少ない攻撃。目にも止まらぬ速さで、こちらに鋭い爪の生えた腕を伸ばしてきた。


「おいっ!何でもいいけど、戦闘中によそ見をするなよ!冒険者の基本だろうが!」

「えっ!?」


 思わず、虚をつかれて動けなくなっていたアルカを突き飛ばす。すると、ケルベロスの立派な腕についた長い爪が俺の腹部を一瞬で引き裂いた。


「最近は遊び半分で資格をとるやつが多いらしいけど、ダンジョン探索ってのは案外簡単に人が死ぬんだってな。Cランクのお前に忠告することじゃないかもしれないが、気をつけろよ」


 臓器が損傷し、口からも血液が吹き出し、遅れて激しい痛みがやってきた。


 止めとけばいいのに、ついとっさに助けてしまった。


 俺はどうやらちゃんと根は優しいらしい。


「あ、あんた……、弱い癖にあたしを助けてくれたの……?でも、そんな大怪我したら、冗談抜きで死んじゃうじゃない!」


 アルカは俺をぼうっと見つめながら、キャラ作りも忘れてそんな言葉を発していた。


 コイツも配信で楽に稼げるなんて話を真に受けて、冒険者になったタイプなんだろう。目の前で死にそうな奴を見て、ようやく危険を実感したような慌て方だった。


「そうかもな、俺はもう駄目そうだ。でも、せっかく助かったんだし、お前だけでも逃げたらどうだ? 俺を囮にすれば、今のうちに何とか一層までは戻れるだろ」


 どうにかまだ立ってはいられるが、患部からは大量に血液が失われていくのを感じる。


 正直なところ叫びたい程には痛いし、傷ついた部分は焼けるように熱を帯びている。


「……わ、わかった。そうするわ、あんたの事は絶対に忘れないから……!本当にごめんなさい!」

 

 アルカは冒険者らしい判断の早さで、俺に頭を下げると一層へ向かう階段の方へと去っていった。


 そうだ、それで良い。ヘルケルベロスはどうやらAランクのモンスターらしい。下手に残ればアルカ死んでしまうだろう。


 それでは単なる俺の傷つき損だ。


『ガルルルル……』


 ケルベロスはまだ倒れない俺に向かって、続けて攻撃の意思を示してくる。モンスターは基本的に人間の息の根が止まるまで容赦はしてくれない。


 その素早い攻撃に、とっさに左腕で身体を庇った。だが、強すぎる衝撃により俺の身体はゴムボールのように跳ね飛ばされてしまう。


 力の差があり過ぎるせいか、攻撃がヒットした時に左腕は切断されてしまったようだ。


「……よし、これでもう誰にも見られてないよな」


 力なく仰向けに倒れたまま、ちらりと周囲を確認すると、もう通路にアルカの姿はなかった。Cランクというのはダテじゃないらしく、逃げ足はわりに早いようだ。


「これでよし。俺の能力は他人に知られるとちょっと厄介だからな」


 誰からも見られていないことを確認し、俺は残った右腕でリュックから小さな魔石を一つ取り出す。


「まずは、魔力を補充しないとな」


 

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