第21話 不快感
目元の熱が少しマシになり、サングラスをかけ直す。乱れた髪を整えて、鏡を見た。汗ばんだせいか、髪はうねり、首や頬に張り付くのが不快だ。
さて、そろそろ戻ろう。
そう思うと緊張するが、心を奮い立たせて話し合いに臨む姿勢を作った。
トイレのドアに手を掛け、引く。
しかし、私が力を入れる寸前、ドアの向こう側から開かれた。
ーーそこに立っていたのは、伯母だった。
「えっ……?」
予想外の人物に驚いて立ち竦む。私は自然と後退り、再び洗面台の前に立った。
なんで、トイレか? いや、心の準備も何もしてないんだけど!
私の困惑をよそに、伯母はズンズンと目の前までやってくる。目が合えば、困ったような表情をしていた。私も、同じ表情ではないだろうか。
「サクラー、大丈夫よ」
「は?」
ーーぎゅっと抱きしめてきた伯母に私は大混乱である。
咄嗟に突き飛ばそうとして、敵わない力の差に愕然とした。
「おえッ……」
「気持ち悪いねー、吐きそう? 吐く? 吐いていいよー」
鼻につく酒の匂いと意味のわからない伯母の行動に、治った吐き気が込み上げてきた。
ゾワゾワと不快感が全身を走り、寒気を覚えるほどの鳥肌が一斉にたつ。
先述した通り、私は感覚過敏症である。服の擦れやちょっとした刺激に痛み、不快感、鳥肌ができるためスキンシップが大層苦手。尚且つ、今回のストレスの大元から直に接触されれば、途轍もない嫌悪感や不快感が蝕んでくるのは当然だろう。パニック発作の直後で体に力も入りずらい。また、伯母の力も強く、引き剥がせないのだ。
ーー弟とのハグとは全く違う。ただただ、耐え難いまでの精神的な苦痛と恐怖が襲ってきたのだ。
全身に鳥肌が立ち、四肢が震える。
悪夢だろうか。
「ごめんねー、こんなことになってねぇ。シノがあんなだからごめんねー」
「……はなして」
耳元で発される声は、私にとって騒音にも等しく、まるで脳を撫ぜられるかのような激しい不快感が生まれる。
私の感覚過敏は皮膚だけではない。視覚、聴覚、嗅覚であるのだ。これらは診断書も作成されているし、担当医と相談して日頃の予防策も講じている。ただ、今回のようにパニック発作の後はより敏感になるため気をつける必要がある。
しかし、そんなこと伯母は知る由もない。
怖かった。タイミングも悪い上、伯母の考えが全く読めずひたすら恐怖した。 そして、気持ちが悪かった。
「はなして!」
「はいはいはい、大丈夫よ。私がついてるじゃん。ねぇ?」
「うう……嫌だ、はなして」
「落ち着いて、サクラ。大丈夫よー。大丈夫」
なにも大丈夫ではない。本当に、お願いだから離してほしい。またパニック発作が出てしまう。
抵抗しても抑え込まれ、無意味に宥められ、私は鳩尾が再び冷たくなっていくのを感じた。パニック発作の前兆である。
喉からひゅぅひゅうと歪な呼吸音が出てくる。伯母は私を抱きしめたままうろうろし、気づくそぶりはない。
ーー過呼吸だ。
私は、しゃっくりに似た、ひゅうひゅうと不規則な呼吸によって少しずつピリピリと痺れていく指先の感覚を覚え、焦燥に駆られた。
過呼吸まで起こしてしまえば、最悪失神する。経験がそう語っていた。こんなところで失神などたまったものではない。なんせトイレである。加えて、伯母が居るのだから敵陣と言ってもいい場所だ。
そう思った私は、会場に向かって弟に助けを求めることを決めたのだった。
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