第16話 チリ積もった怒りのタネ
母が降り、静かな車を運転しながら、私は先ほど聞いた話を思い返していた。
ことの発端は、察していた通り伯母の余計な一言にあるらしい。受け流していたものの、一番触れてほしくない事を引き合いに出され、我慢ならなかったようだ。
まとめてしまえばそれだけなのだが、そこに至るまでの過程が母の怒りのパラメーターを振り切る要因になった。
箇条書きにするとこういうことだろう。
・昔の思い出話をしていた。その過程で軽く貶されたりもした。
・リカコさんについてしつこく聞かれた
・自分の老後のことで、墓の管理ができなくなるため墓しまいをしたいと母が口にした。
・なぜか急に母が離婚したときの話を持ち出され、「そんなだから離婚することになったんじゃないの」と言われた。
うん、箇条書きしても「これだけ?」と言われる内容だろう。
しかし、ところどころ聞こえた内容を思い返せば、伯母のマウント癖や粗探し、執拗な説教(というより、遠回しな貶し)は酷いものだったと思う。私が直接、離婚時のことを言われたら母以上にキレていたことだろう。何も知らない人間が口に出していいことじゃなかった。
溜息をつきながら、到着した会場の正面に停車させる。倦怠感が増して無気力になってしまう。これから伯母側の話を聞かないといけないわけだが、自分で撒いた種は自分で処理をしろと言いたい気分だ。母からの説明は、主観であるとわかっていても、伯母にヘイトを向けてしまうような、どうしようもない話だった。
会場に入ると、伯母とリュウ、かん姉がこちらを見た。ばあはどうやら、もう一眠りしに行ったらしい。じいが亡くってから眠れていなかったと聞いていたし、無理して聞かせる話でもない。
それに、ばあが居ないなら遠慮することはない。そう思った私は、コツコツと普段はひそめる足音を隠すこと無く、伯母に迫る。
「ねえ伯母さん。お母さんになんて言った? 何を話してたの? あらかた聞いたけど、こっち側の話も聞きたい」
あまり人と話すことが得意でない私にしては、非常に珍しいと自覚する程まくし立てながら聞く。
伯母は私の様子にたじろいだ。答える気がないのか、感情が高ぶって記憶が曖昧なのか、はたまた言いづらいのか。
そんな伯母の代わりに答えたのは、かん姉とリュウだった。
会場を出る前と変わらず、厳しい表情をして伯母を見ている。
「なんかね、シノはじいとばあが死んだ後、自分も歳だから墓の管理ができなくなるって。それで、墓をどっかに預けたいって話してたわけよ」
一拍置いて、かん姉は「そう話しとったのに、急にヒロのときの話をママがしたんよね。私も正直、それ関係ある? って思った」と続けた。
「そうなんよ。急にその話出てきて俺びっくりしたもん。しかも叔母が悪いみたいな言い方だったし……」
リュウは「ほんとごめん、サクラ。絶対解決させるから」と謝ってきた。
対して伯母は何も気にしていないようにビール缶を傾けている。この落差が悲しくて、かん姉とリュウが可哀想だった。
ふつふつと身体の奥底からたくさんの感情が湧き上がってくる。冷静に、冷静にと念じていても、私の口は聞きたいと思っていたことを口に出すことはなかった。
「ーーおかあさん、がんばっとったのに……このまま通夜も葬式も出んかったらどうしようぅ……ッ!」
不安は爆発的に広がって、涙とともに溢れ出てしまった。泣くつもりはなかったというのに、口を開けば嗚咽と弱音が漏れ出る。ああ、成人しても泣き虫だ。
そんな私に、伯母は笑いながら言う。
「なんで泣くん、サクラ。泣くことじゃないよー。シノが勝手に言って出てったんでしょ? サクラ悪くないじゃん。これは私とシノの姉妹喧嘩だから」
このとき、私は自分が泣き虫でよかったと思った。少しでも我慢強ければ、容赦なく殴っていただろう。嗚咽は怒声に変わっていたに違いない。きっと、こう言うのだ。「どの口で姉妹喧嘩とほざくんだ」と。
伯母も言った通り、私は何一つとして悪いことをしていないのだ。その私を泣かせる事態を引き起こしたことに気づいてほしい、切実に。
「そもそもさ、なんでこうなったん? お母さんは、墓を寺に預けるって話をしてたら急に旅館……急に離婚のときの話になったって言ってたんだけど」
大方聞いているものの、伯母の言い分を聞くべく知らないフリをして問いかければ、伯母は不服そうな表情で答える。おそらく、「なんで離婚の話を引き合いに出したのか」という言葉の裏側を察したのだろう。バツが悪い、ではなく不服そうなのがミソだ。
「いやね? シノが墓じまいをするって話しだしたのよ」
「うん、それはさっき二人も言ってたし、前から知ってる。去年くらいからばあたちと話してたやつね」
私はそう言って相槌をする。それに、伯母は「え?」という表情を向けてきた。
「墓じまいって、墓を撤去して寺に預けることでな?」
そう聞くと、伯母は訳のわからないと言いたげな表情をしていたが、かん姉が肯定した。
「将来的にばあも亡くなって、島にお母さんしか居らんようになって……お母さんも歳をとった時、墓の管理ができなくなるでしょ? そうなったらどうしようもないから、寺に預けたいなって話よ。去年くらいからそういう話してて、じいとばあも了承してるんよね」
さて、ここからが本題だ。なぜこの話題から母とヒローー元再婚相手の離婚話が出てきたのか。正直、私は離婚したことについてなんとも思ってない。聞いた当初はむしろ、ようやくかといった具合だった。
母が過労死する心配をするような環境だった。
本題に入ろうと口を開いた私は、伯母の声で出鼻を挫かれた。
「うん、そう聞いたよ。決定事項なんでしょ? 私に話す意味ないよね?」
「……ん? いや、お母さんは『私はこう考えてるんだけどー』って前置きしてたじゃんか。こう考えてるけど、どう思う? って聞いてたんだよ」
「でも決定事項だよね?」
「いや、一応二人にもこう考えてるんだけど……って聞いて了承もらったし、伯母さんはどう考えてるのかって話なんよ、これ。決定事項としての報告じゃない」
「でも決定してるみたいな話し方だったよ?」
「いやだから、お母さんは前置きしてたよ? 『私はこう考えてるんだけど』って。これは提案なわけで決定じゃないのよ。じいとばあのOKも貰えたけど、伯母さんはそこんとこどう思う?って聞いてるだけ。まだ仮の話だから」
「いや、決定だったってば」
急に語調を強くして伯母はそう言った。
しかし、私の言葉に同意するようにかん姉は「いや、サクラの言ってた通りよ」と言い、リュウが「叔母はちゃんと提案してたよ。俺も聞いてたけど、決定とかそんなんじゃなかった」と続けた。
そんな二人の言葉に、「あ、そう……」と反応した伯母にホッとする。やっと不毛なやり取りが終わるのか、と。
しかし、すぐさま伯母は私に問い返した。
「でも、すぐにするみたいな話だったけど」
「え? いやいや、将来的な話よ? それこそ、十数年後とかそこら。すぐじゃないよ」
「えー、でもそんな話し方よ?」
「いや、本当に将来的な話だって」
なんだか、どっと疲れてしまう。会話が無限ループみたいだ。何度説明しても、伯母の頭に入っていかないらしい。
ふと時計を見ると、時刻は午前4時過ぎだった。ちょうど、弟が船で到着する時間だ。
私は弟を迎えに行くべく、再び会場を出ようとする。
「ごめん、弟迎え行ってくるわ」
「おー、わかった。アイツにも説明せんとな」
「戻るときにあらかた話しとく。戻ったらまた話し合いな」
そう言うと、リュウは「了解」と応えた。
このまま何もなく、仲直り……いや、落とし所を見つけられたら良い。じいの葬式に、最大の功労者たる母が参加しないのは、じいも納得できないし私もできない。母の努力と献身を知る誰もが、納得なんてできやしない。
いつもは鬱陶しくてしょうがないおちゃらけた弟を、こうも焦がれる日が来るとは思いもしなかった。
天性のムードメーカーな弟は、こういう場面で必要なのだなと実感した。
それはそうと、戻ったらすぐに本題に入らなければ。
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