第6話 私情
一時間ほど経ち、母が会場に戻ってきた。丁度、ばあも控え室から顔を出してきたため、三人で席についてお茶を飲む。 今年の猛暑は異常とも呼べる程で、母は席に着いてすぐに「サクラ、クーラーボックスに水ってあった?」と問いかけてきた。
クーラーボックスにはジュース、お茶、コーヒー、水が入っていたため、席を立って取り出す。氷水が滴り、会場の床に水滴が散った。手早くテーブル上に備えられたティッシュで拭き取り、母に渡せば、すぐに飲み始める。
どうやら、車での移動で汗をかいたらしい。
「何してきたん?」
「支払いとか、愛犬の様子見に行ったりね」
「プリコ(プリティな子の略)バテてなかった?」
「いや、『あら帰ってきたのね』って感じだったよ」
「帰ってきたと思ったらまた出てったから、拗ねてそう」
我儘お嬢様、いやお姫様な母の愛犬チワワは世界が自分を中心に回ってるという態度で可愛らしい。幼い頃から共に育ち、こうして離れてもその愛情は変わらない。とはいえ、私に対する扱いがかなり酷いのが玉に瑕だが。母からも常々、「たくさん世話してるのにね」と笑われるほどに。
すると、従業員入り口から一人の女性が入ってきた。長い髪をポニーテールにし、ラウンド型のメガネをかけた細身の女性だ。母の知り合いらしく、母は気安い態度で「リカコ」と呼びかける。
どうやら、リカコさんというらしい。葬儀場の従業員らしく、黒いポロシャツを身につけている。胸元には、葬儀会社の名前があった。
「サクラ、あの人覚えといてね。お礼も言って。私の友達なんだけど、ほんと、葬儀代とか準備とか色々助けてもらったから。ばあの社員割引きの適応もしてくれたのよ」
「え、まじか」
葬儀代。そういえば、葬儀するのにもかなりお金が掛かる。すっかり忘れていたが、いくらかかるのだろうか。
いくらであれども、母とばあを助けてくれた人だ。それを聞いた時点で好感度はかなり高い。
「シノ、席順どうする?」
リカコさんは母の元に歩んで、手に持っていたバインダーをテーブルに置き、問いかけた。
「ん? 娘さん?」
「そう、長女のサクラ。すぐ帰ってきてくれたのよ」
「よかったね、シノ」
そう言って、リカコさんは母に微笑んだ。
「こんにちはー……」
目が合った私は、慌てて会釈する。リカコさんは、ペコリと頭を下げ、ボールペンで「こんな感じに考えてるけど、どう思う」と母に問いかけた。
こんにちは、じゃないだろ私。なんで人見知り発揮してるんだ。というか、お礼を言わないといけないのに……!
私は自分の内気さに嫌気がさした。
「リカコ、ありがとうね」
「ううん、気にせんとって。色々話を通したし。テル(ばあの名前)の社員割もね」
「ありがたいねぇ」
ばあはひたすら感謝していた。私は便乗して「そうだね」と頷いた。
「考えたんだけどね、喪主席にばあを置いて、その隣にミヨ(伯母)夫婦、私、その子供、長女夫婦とその子供……サクラ、弟になるよね?」
「別に大人と子供で分けることもできるよ?」
母が言った通りの並びだと、私と弟はかなり端の方になるのだろうか。祭壇の両側にテーブルが設置されているため、喪主席側の対面になるのだろう。
言ってはなんだが、これから来る伯母夫妻と従兄弟達に比べて圧倒的に過ごした時間が長い。少しだけ不服かもしれない。私はかなり心が狭いようだ。
そもそもの話、じいとばあの病院や介護じみた生活の中で伯母夫妻に助けられたことはないし、電話すらかかってこないため、この数年で印象が様変わりしている。悪い方に。
うーむ、一波乱なければいいが。
しかし、母とばあが離れるのも、母が伯母夫妻や従兄弟達に囲まれるのも不安がある。アウェーな空間でストレスだろう。ただでさえ葬式準備などで疲労しているのに。あとは、至極個人的なことだが……。
ーーばあの隣はお母さんでしょう。
この一言に尽きる。
長女だからと言って伯母を立てる義理はない。何もしてないし。共に暮らし、支えてきた母も実質喪主である。
「私、自分の子供と座りたいんだよね」
「何言ってんの、それは出来んよ!」
ばあが早口で捲し立てた。
これは子供と座るのが悪いとかでなく、母が喪主席側から離れるのを懸念してるのだろう。一番の功労者なのに、子供と座るとなると、端の席になる。それはダメだ。私も座りたいけれど。
「喪主の隣にアンタ、その隣に子供座らせればいいのよ。誰も文句言わんさ」
「いや、それはダメよ。一応、長女を立てないと」
「何もしてないのに立てなくていい」
珍しく、ばあは冷たい声でそう言った。しかし、母は譲らない。ここは長子を立てたいらしい。
「うーん、それだと子供と大人で分けようか。喪主側に大人、対面側に子供の年齢順にする?」
「そうしようか」
リカコさんの言葉に、母は頷いた。
実際はもっと悩み、話したのだが、最終的にこの案で纏まった。伯母夫妻が「喪主側は今まで世話してきたシノ達でまとまるべき」と言った際にはそうなるらしい。それが一番いいけれど、きっと何も言わないだろう。
定期的に母から聞かされるエピソードやばあとじいの複雑な表情を目にしてきた私は、伯母に対して不信感がある。
ともかく、席順は決まった。
リカコさんは、紙を手に再び従業員入り口に入っていく。それを見届けて、モヤモヤする感情を紛らわすように、じいへ線香を立てた。
葬式終わった後に手紙でも書こう、と心に決める。タイミングがあればお礼も言いたい。なんとなく、彼女も伯母達に不信感……疑念を抱いてるように感じた。きっと母の頑張りを知ってる人なのだ。
……というか、綺麗な人だったな、リカコさん。
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