第5話 タイトル
「サクラ。ばあは横になっとくからね。じいの線香お願いね」
「あーい」
ばあの言葉に適当な返しをする。
ばあと母は眠れていないと言っていたし、存分に寝てほしい。
私も眠いが、昼寝はあまりしたくないのだ。起きた時の時間を無駄にした感覚で苛々するので。寝るのは大体、発熱の時だけかもしれない。
会場の奥にある遺族控室に入っていくばあを見送り、視線をじいの棺へ移す。
線香はつけたばかり。つまり暇だ。
さて、何をして時間を潰すか……。
数秒思考する。
そこで、ふと思い立ち、私はスマートフォンのメモ帳を開いた。
ーーそうだ、エッセイ書こう。
こういう貴重な体験は記録として残しておくに限る。なんて、そう思っても長く続かないのが難点なのだが。私の短所は、気分屋で飽き性なところである。
しかし、日記は三日坊主だが、エッセイとなれば話は別だろう。日記のように毎日つけるのでなく、印象的な体験を文にすれば良いのだから。期間限定と思えば、やる気も続くような気がした。
根っからの文系、加えて読書が好きな私は文章を書くのも大好きである。稚拙な文章だが、自分で見返すだけなら構わない。
出だしは、そうだな……。じいが亡くなったと母から聞いた時にしよう。一番印象的だ。母から泣いて電話が来るなんて、初めてだったし。
いつか見返した時、こんなこともあったなと思えるように、丁寧にしよう。明日行われる通夜や明後日の葬式についても、事細かに記録するのだ。
ぽちぽちとスマートフォンの画面をタップする。いつもパソコンで書き起こすため、ノロノロとした自分の指使いに少しだけ気分が下がる。
書いていていつも思うのだが、小説家は偉大だ。読んでる側は感想を抱くだけで、そこに潜む文章構成の巧さに目を向けることが少ない。私は、こうして趣味で文を書き始めてからそれに気づいたクチである。人それぞれ、文章の味というものがあり、参考にしたくとも参考にできないのだ。
場面の描写や、人物の情動などどうやって書き分けるのだろうか。特に、大人数の登場人物がいる作品など、私には到底書くことができない。現実主義的なところがあるためか、ご都合主義な展開は気になって仕方ないのだ。現実だとこうだろう、みたいな思考がチラついて、とても文が進まない。
エッセイは、実際に体験したことをありのまま書くことができるため、とても書きやすい。架空の物語を書きたい私はそれを遠ざけて今まで挑戦してこなかった。しかし、こうして書いてみると、とても楽しいものだと思う。
一番初めに書いたのは、兄の失踪を母から知らされた時のことだ。それはサイトに投稿した。数週間後にはじいが亡くなり、こうして帰省したため更新していないが、その時の心情は筆舌に尽くし難いものだった。今見返すと、感情的な文章で恥ずかしいものだ。きっと、今から書くエッセイも、後から見たら恥ずかしいものだろうが、仕方ない。
ともかく、私はじいの葬式にまつわるアレソレをエッセイにすることにした。タイトルは、そうだな。
わいわいと騒ぐことが大好きなじいに因んで……。
ーー「じいの葬祭」……なんてどうだろうか。
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