第3話 線香の意味
「サクラ。お弁当食べんね」
「え、お弁当?」
会場の入口の左側にある従業員入口から、顔を出し、母は言った。
「お母さん、昨日買ったヤツなんだけど食べれんくて……お腹すいてるなら食べてくれん?」
「えー……どうしよ……食べよっかな」
実は、昨日から何も食べていないのだ。唯一口にしたのは新幹線に乗る前に自販機で購入したジュースくらいだった。というのも、慌てて家を出て、船に間に合わせたため弁当やお菓子など買う時間がなかったためであるが。
しかし、元来私は少食である。お弁当を食べきる確信がないため躊躇いを覚えた。
「食べ切れんでもいい?」
「いいよ」
空腹なのは事実なので、結局食べることにした。
母は会場入口横に置かれている大きなクーラーボックスを指差し、「あん中から好きなジュース取っていいよ」と言った。
クラーボックスは片方がビール類、もう片方がジュースやお茶と分かれているらしい。葬式など出たことが早々ないため、こんな制度があるのかと驚いた。きっと、葬儀代に含まれているのだろうけれど。
私は氷水に浸かったジュース類からお茶を取り出した。今はジュースの気分じゃないからだ。そのままばあの正面の席へ着く。
「ジュースにしないの?」
「お茶の気分」
「遠慮せんで好きなもの飲みよ」
いつもミルクティーやカフェオレを飲んでいるからか、お茶を手にした私にばあは念押しするように言った。
そこへ、母がお弁当を持って戻って来る。どうやら、海苔弁らしい。
「できるだけ食べ切るように努力する」
「無理すんなよ」
「あい」
私は、ばあの言葉に頷き、一日ぶりの食事を始めたのだった。
※
一説では、死者の魂は死後の世界で、裁かれる際線香の立てられた数によって罪を軽減できるらしい。多いほど人望があり、少ないほど人望がない、といったところか。これらはどこかで聞きかじった知識であるため、線香の数ではないかも知れないが、まあご愛敬だろう。
じいの線香が無くなる度、私は新たに線香を点け、顔を見た。死後の裁判で減刑できたらいいな、位の気持ちだ。
ーー後から調べてみると、線香は罪を軽減できるのではなく、閻魔大王への賄賂のようなものらしい。元来、線香とは個人の食事を意味する。なるほど、人類最初の故人たる閻魔大王への賄賂とは言い得て妙だ。
所変わり、私は母方の実家ーー祖父母の家に居た。
時刻は午前九時前。あれから一時間ほど母とばあが仮眠し、ばあの風呂や薬のために帰宅したところである。
庭には母の代車と、十数個から数十個ほどの天梅が置かれている。天梅は、じいが若い頃に自分で作ったそうだ。その界隈ではとても価値があるらしい。
私にとっては、この家の象徴みたいなもので、売るだとか価値がどうだとか至極どうでも良い。そもそも、じいは人に渡すのを嫌がっていた。一度許せばどんどん持っていかれ、庭が寂しくなってしまったのが嫌なのだと、私が帰省するたびに話していたのだ。
許可をもらったからと言って遠慮なく持って行く人はどうかと思うけれど。確かに、幼少期の記憶と比べると可愛らしい天梅が悉く無くなっている。今は抱えるのに苦労しそうなものばかりだ。
しかし、現在はじいの遺品なわけである。じいは誰にもやるなと生前言っていたし(私や母はよく「世話は任せたからね」と言われていた)、この家から離す気は毛頭ない。なんなら作り方も教わったし、気が向いたら作ってみようと考えている。
※
玄関の正面に仏間、右隣に応接間、その奥に二部屋といった具合だが、築何十年もする古い家なため、床や壁、果ては天井もぼろぼろだ。応接間は奥に機織り機が鎮座しているだけで、その役割を果たしていない。その奥二部屋は物置と母の部屋だ。
仏間の左は和室で、クローゼットやタンスが置かれ、奥には兄の部屋があった。 失踪中の兄の部屋を掃除していたらしく、ゴミはなくとも物が乱雑に置かれていた。和室を左に突き抜けると廊下に出て、その正面に風呂場、右奥にトイレがある。虫はもちろん、ヤモリも多く出没するため、夜に行くのをためらうことも多い。慣れたらなんとも思わないが。
じいとばあの部屋はどこかと言うと、和室につながる一本の廊下に面した居間である。そもそもこの家、L字型に広がっているのだ。廊下の突き当りはキッチンで、やはりオンボロである。キッチン前の居間は、唯一エアコンが存在しており、六畳ほどの空間にベッドが二台、中央にテーブル、キッチン側の壁に三段ボックスを横に倒し、二つ重ね、その上にテレビといった具合だ。
この暑さが厳しい中、居間以外で生活などできないだろう。そのため、これから来るだろう伯母(じいとばあの長女)夫妻やいとこ、姪っ子たちは泊まれない。これは事前に説明しているらしく、伯母たちはどこかに泊まるだろうと母は言っていた。
母はばあと寝ていたようで、私と弟はじいが使っていたベッドか、ばあと寝るのだそうだ。どっちでも良いが、弟と寝るのは勘弁願いたいため、母かばあと一緒に寝たいところである。
いつかリフォームしてみたい。
ーーそれはともかく。
ばあは帰宅して母に急かされるままお風呂へ入った。長風呂なばあは短く見積もっても一時間かかる。その間、私と母はスーパーへ行ったりと時間を潰した。そうして、再び家へ戻り、ばあが出てくるのを待ったのだ。
母の愛犬チワワ(御年一七のメス)は相変わらずずんぐりむっくりとしており、今回私が愛犬チワワ(御年二歳、オスのおバカ)を連れて来なかったことで少しご機嫌だ。いつも見せつけるように膝に乗ったり、おやつを横取りしたり、餌を横取りしたりといじわるに事欠かなかったため、性格は察するばかりである。
※
以前あったときはなんともなかったが、どうやら最近皮膚炎を患ったらしく、母は一日に三度ばあの身体に薬を塗っているらしい。しかし、じいが亡くなってからは多忙を極めていたため塗っていなかった。そのため、悪化していないか心配だと母は言っていた。
「なんかアトピーみたいになってんね。何が原因なん?」
「ストレスよ、ストレス!」
やけに力強くばあは言った。
ばあはタンクトップを着て、赤く炎症反応を起こし、ガサガサした首元や二の腕を摩っている。母が塗ったばかりの塗り薬がテラテラと光を反射していた。
「ストレス?」
「ここ最近、じいの我儘がひどかったのよ。もう、これまでの比じゃないくらい。今考えると、最後の我儘だったのかもね」
一体どんな我儘だったのだろう。母は続けて、「分かってたなら、もっと我儘言わせたのにね」と苦い顔をした。
「もう、ここ最近のは違ったからね。いっつも喧嘩よ」
「似た者同士だからね」
母を一瞥しながらばあはそう言った。
「確かに、頑固なとことか似てるかも」
「似てるー?」
母は腑に落ちなそうな様子で私とばあを見た。
実際、母はじいとよく似ている。鼻や輪郭など顔のパーツもそうだし、なにより性格だ。変に頑固なところがそっくりだ。ズバッとモノを言うところはばあに似ているかもしれないが、ばあはこれでいて臆病なところがある。物怖じせず物事をはっきり口にするのはやはり、じいの性質が濃く出ているのだろう。
「似てるからね、喧嘩するの」
「同族嫌悪ってやつですかな」
ばあの言葉に、私はそう返した。
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