第7話 森の中の目覚め
森の中に静かな朝が訪れた。
夜露が草を湿らせ、ひんやりとした空気が木々の間を漂う。空はまだ薄暗いが、東の空にかすかに光が差し始め、森全体が淡い薄明かりに包まれている。小鳥たちがどこかでさえずり始め、生命の息吹が静かに感じられる瞬間だった。その音が心地よく、エラはほんの少し安堵の表情を浮かべた。夜の気配はすっかり過ぎ去っている。
エラは寝袋の中でぱちりと目を覚ます。しばらく身動きせずにその静けさを感じていた。森の朝の静寂は、彼女にとって初めての体験だった。村にいた頃は朝になるとすぐに家の周囲で動き出す人々の声や動物の鳴き声が聞こえた。だが、ここでは違う。
──木々に囲まれたこの場所では自然が支配している。自分が世界のほんの一部に過ぎないことを実感させられる。
エラは目を開け、寝袋から上半身をゆっくりと起こす。彼女の身体は昨夜の疲れがまだ少し残っているものの、思っていた以上によく眠れた。森の空気が心地よく、まるで自宅の毛布に包まれているかのようだった。エラは軽く伸びをし、冷えた空気が肌に触れるのを感じながら深呼吸をする。それからエラは周囲を見回してみた。
「おはよう、ルミナ……」
エラは隣で丸くなって寝ているルミナに向かって小さく呟いた。
ルミナはエラの声に反応して小さく体を伸ばし、ふわっとした白い毛が軽く震えた。額のオパールのような石が朝日の光を受けて、ほんの一瞬だけ虹色に輝く。ルミナは目を細め、心地よさそうに小さなあくびを漏らす。
「おはよう……エラ……」
ルミナの声はまだ眠そうで、少しぼんやりとしている。
それでもエラの側で寝ていたことに安心感を感じているようだった。エラは微笑んでルミナの頭を優しく撫でる。その手触りは柔らかく、温かい。
「昨日はよく眠れた? 森の中って、案外静かでいいかもしれない」
「うん……まあね……エラがいるから、僕も安心して寝られたよ……」
ルミナはエラの撫でる手に少しずつ反応し、顔をエラの膝に寄せるようにする。
エラはまた微笑みながら、その小さな体を抱き寄せるようにしてしばらくそのままの姿勢でじっとしていた。森の中で二人だけの静かな時間が流れる。鳥の声、木々が風にそよぐ音、そして遠方で響く小さな動物たちの気配。
──やがてエラは、そろそろ出発の準備をしようと重い腰を上げた。
今日は次の町に向かう日だ。昨日、森に入ってからどれくらい歩いたのかは分からないが、エラの記憶では村から次の町までそう遠くはないはずだ。森から町までを往来する人が多いお陰で森の中には道がある。
それに自分は子供の頃、母と一緒に通ったことがあるはずだ。然し幼少期の記憶は曖昧で道がどれほど長かったか、途中に何が有ったかを正確には覚えていない。少し不安はあったが、今度はルミナが一緒にいる。そう思うと勇気が湧いてきた。
エラは荷物を整理し、昨夜使った寝袋を丁寧に畳む。ルミナはその間、エラの周りを跳ね回りながら、まだ完全に覚めきらない目であたりを見渡していた。
「今日はどれくらいで町に着くんだろう……」
エラは独り言のように呟きながら、手際よく準備を進めた。
整理の途中、エラは鞄の中に「朝食用」として分けられたパンを見つける。どうやら母が夕食とは別にもう一食分の食事を用意しておいてくれたらしい。
中身は昨晩夕食で食べたパンと同じだけど……。
エラはパンを二つ取り出し、一つをルミナに手渡した後にもう一つを口に運んだ。
「大丈夫だよ、エラ。そんなに遠くないはずだよ」
「うん、そうだね……。一応通ったことは有る場所だから大丈夫だとは思うんだけど。でもあの時はもっと小さかったからどれくらいかかるかよく覚えてないんだよね」
エラの心には森の奥深くに進んでいくことへの少しの不安が残っていた。
道に迷ったり危険な魔物に遭遇したりする可能性も考えたが、それでも進むしかない。旅は始まったばかりなのだ。
──大丈夫、親切なほど「道」がくっきりしているんだから。村の人達も用事があればこの森を通って町へ行くんだから。大丈夫。
エラは焚き火の跡を丁寧に片付け、周囲の景色に戻るように土を被せる。自然に対して何かを残さないようにすることを村での生活の中で教わっていたから。
作業が終わった後、エラは少し満足そうに頷いてルミナに声をかける。
「準備できたよ!行こうか、ルミナ。今日こそ森を抜けて町へ辿り着かないと」
「うん」
ルミナは軽やかにぴょんぴょんと跳ね、エラの隣に並んだ。
朝の光が少しずつ強くなり、木々の間に広がる小道が照らされる。エラは深呼吸をし、気持ちを新たにして一歩を踏み出した。朝露で濡れた草が靴に触れるたびに冷たさが感じられるが、その感触が彼女を現実に引き戻す。
さて……今日は、どんな一日になるんだろう?
エラは心の中でそう自問しながら、森の中を歩き始めた。足音が静かに響き、周囲の木々がまるで自分達を見守っているかのように立ち並んでいる──もしかしたら監視しているのかもしれないが、なるべく良い方に考えた方がいいだろう。
葉の間から差し込む光が、時折エラの顔やルミナの毛並みを優しく照らした。時間が経つにつれて森は少しずつ明るくなっていく。
「もしかして結構出口に近い方だったのかな?朝だから明るいのは分かるけど、だんだんと道が開けてきてる気がする」
だとしたら私達、結構いいペースで来てるんじゃない?
森の中の道は人間の足で踏み固められた「自然の道」。その道の幅が徐々に広がり、道を覆うようにして立ち並んでいた木々が疎らになっていく。そうして遂には次の町の名前を書いた立札を見つけた──リュミナス。これは観光客や旅人に向けたものであろうか。
「エラ、なんか、昨日と違う感じがするよ……」
そのまま立札の前を通り過ぎようとした時。ルミナが突然、隣で呟いた。
エラはルミナの前で立ち止まり、周囲を見渡す。エラには魔力の流れや雰囲気、或いは気配と言ったものの違いが分からないでいたが……ルミナは森の雰囲気が昨日とは少し違っていることを感じ取っているらしい。
「そう?何か違う……?」
「上手く言えないけど何かが変わってるんだよ。魔力の流れみたいなものさ。昨日言ってたような魔法使いではないと思うんだけど~……変な感じだ。う~ん、慎重に進んだ方がいいかもね?」
──とは言っても、もう出口なんだけど。
エラは慎重に辺りを見回した。ルミナはやや丸腰になってしまっている。
自分が前を歩くしかないようだ。
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