第3話 魔女からの贈り物
「大丈夫?水は持ったわね。それからハンカチに……ああ、ベリーは傷みやすいからなるべく早く食べること。パンも固くなるからもったいぶって置いといちゃ駄目よ。それからそのケーキはルースさんに贈る物だからくれぐれも食べちゃ駄目だからね。鞄の一番上に入れて置いたから会ったらすぐに渡すこと。いいわね?」
翌朝。住居兼食堂──住み慣れた家の玄関でエラは母親から散々の確認を受けていた。まだ開店前だからいいのだが、本来この時間は開店準備で忙しく動き回っているはずだ。すんなりと出て行けるものだと思ったばかりに拍子抜けするエラ……思えば昨日、遅くまで母親と二人、家中の物をひっくり返して荷造りをした。
エラは母親の「貴女、明日早いんでしょ?だったら早く寝なさい。荷物の確認しといてあげるから」という言葉に甘え、母より先に眠りについた──どうやらあの後母親はルースに渡す焼き菓子やエラが荷物に含めなかった道具を追加で詰めていたらしい。心なしかエラは昨晩自分が「最終確認」を行った時よりいくらか肩掛け鞄が重くなっていることに気付き苦笑いする。
「さあ、貴女は寝癖はついてない?服はちゃんと一人で着られた?流石にもうそれぐらいはできるかしらね……はい、鏡の前に立ってみて」
エラの家の玄関……もとい食堂の裏口には大きな鏡がある。と言っても生前の父のような高身長の人物となると全身は映らない。それでも小柄なエラには丁度いい全身余すことなく写すことの出来る鏡だ。
背後に母が立つ形でエラは真っすぐに鏡と向き合った──肩のあたりまで伸びたふんわりとした白髪。癖のある前髪が少し目にかかっている。背後の母と同じ青色の瞳が鏡の中でぱちぱちと瞬きをした。
エラが身にまとうコートは昨日母親が用意してくれたものだ。正装ではないが、他所に行く時にと買った物らしい。茶色を基調としたコートの袖や裾は赤い幾何学模様で飾られている。村でよく見かけるデザインだ。「遠くに行ったらこの服装は少し暑いかもね」と背後で服を直しながら母はエラに向かい呟く。
「お母さんは心配し過ぎだよ」
「もう帰ってこないかもしれないのよ」
「縁起でもないこと言わないでよ……。もしカーバンクルをもらえなかったら大人しく帰ってくるから心配しないで待ってて」
じゃあ行って来るから。
エラは扉の前まで歩いていくと母と向き直りひらひらと手を振った。母はそれを見て泣くでもなく、止めるでもなく……「あまり無理し過ぎないように」と言い残す。
そうしてようやく自宅を出たエラは長い道を歩き始めた。
緑豊かな田園風景が広がる見慣れた村──広大な畑や草原が広がり自然に囲まれた静かな環境。そして遠くに連なる青々とした山々は村を守るように聳えその山肌は霧に覆われ、神秘的な雰囲気すら漂わせている。村の中央を流れる川は畑を潤し、村人たちの生活に欠かせない存在である。川沿いには小さな草花が茂り、季節の花が咲く──見慣れた有り触れた景色だ。エラはここの景色を何度かスケッチしたことを思い出しながら川に沿って工房までの道を歩く。
村の家々は小さく石造りや木造の素朴な家が点在している。どの家も村の景観に溶け込んでいるのだが……新設されたルースの工房だけはどうにもその景色の中で浮いていた。
工房の建物は石と金属で出来ている。高い塔のように立ち、丸みを帯びたドーム屋根が光を反射し、陽に照らされる姿はまるでもう一つの太陽のよう。屋根の先端には魔法陣の装飾があり常に微かな光を放っている。
とはいえ自然的な部分を残しているのがかえってその異様さを際立たせるのだ。工房の周囲には花壇や植物が美しく整えられているのだが、その中には村人が見たこともない珍しい魔法植物がいくつも育てられていた。風が吹く度、葉や花が囁くように音を立て周囲に魔力を漂わせる。
エラは内心、よくこんな建物を外から来て建てられたものだと感心しつつ──一度深呼吸をした後に木製の扉を叩いた。
「ごめんください。ルースさんいますか?」
途端に中からバタバタと物音がする。「今行くからそこで待ってて」というルースの声に混じり、カーバンクル達の鳴き声が響き……どうやら室内は相当混沌としているようだ。心配しつつエラは忘れないうちにルースに手渡す予定のケーキの箱を鞄から取り出すとぼんやりと雲の流れを眺め、彼女を待つことにする。
それから三分ほど経ち、ようやく扉が開いた。
「おはようエラちゃん……だっけ?ごめんね~、変な恰好で。そうそう……昨日言ってたカーバンクルの件だよね?」
「そうです。あっこれ……母から預かったケーキです」
所々はねた艶の無い紺色の髪を梳くようにし、前屈みで頭を掻くルース。服装こそ昨日目にした外着とそう変わらない服装ではあるものの何処かよれている印象を受ける。黒い生地だから目立たないが、もしかしたらこちらの呼びかけに応じて今正に急いで玄関までやってきたのかもしれない──エラは少し申し訳ない気持ちになりながらも鞄から前もって取り出し用意していたケーキの箱をルースへと差し出す。
ルースのうっすらと隈の目立つ顔が笑顔になったかと思うと「好きだって言ったの覚えてくれたんだ」とこくこくと頷き、箱を受け取った。そんなルースの足元から先日のカーバンクル達が複数を顔を出している。
「すごく気を遣ってもらっちゃったなあ」
「気にしないでください。母はケーキを焼くのが好きなので……」
「後できちんとお礼に行くよ。あっそうだ。特に名前は無いんだけど……これが例のカーバンクルね。他の個体と違って透き通ってる石じゃないんだけど、日に当てると七色に輝いて取っても綺麗!素敵でしょ?」
これから行くんじゃ引き止めたら悪いか。
ルースはそうそう呟くと一度箱を玄関の棚に置き、足元のカーバンクルの達の中から先日エラに懐いたと思われる白い体毛の個体を抱き上げた……ルースは猫や犬、食用の家畜を飼育した経験が無いのだろうか。少々その抱き方は雑で腕の中でカーバンクルが手足をばたつかせている。
少し気の毒ではあるが、抱き方が良くないとも言い出せないエラ。腕の中でカーバンクルの方が折れて大人しくなるとルースはカーバンクルの額を指差し、額に埋め込まれるような形で付いている宝石に触れた。
彼女の言う通り、宝石は今なお陽光を反射しきらきらと何色もの色を映している。一瞬真珠かとも思ったが、この輝きはオパールに近いかもしれない。本物を見たことが無いから確証は持てないが……エラはじっとカーバンクルの顔を覗き込む。瞳もまた限りなく白に近い灰色の双眸だ。 心なしかカーバンクルの表情は不満げなままだ。
『停止。停止要求。伝言を求める』
「うわっ……!」
エラの脳内に先日森で聞いた声と同じ、恐らくはカーバンクルの声がもう一度響いた。ルースはカーバンクルに足蹴にされ、腕の中から抜け出したカーバンクルを再度捕まえようと躍起になっている──だとすると今の声はルースには聞こえていない?
どちらかといえば成人の男女のような落ち着いた性質ではなく、声変わり前の男児とも女児とも捉えられる高い声質。エラはあたりを見回すが、やはり子供の姿などはない。
「あの……今カーバンクル喋りませんでした?」
「えっ!全然聞こえなかった。9号ちゃん何だって?」
「『停止要求』と『伝言を求める』って聞こえました。空耳かもしれないけど、一先ず追いかけるのをやめてみてはどうでしょうか……」
あら、本当落ち着いたね……。
ルースがカーバンクルを追うのを止めてからすぐにカーバンクルはエラの真横でちょこんと腰を下ろした。犬や猫がお座りをするのと同じ姿勢で寛いでいる。
9号というのはルースが振った管理番号か何かだろうか。数字で呼ばれてもきちんと目線はルースに向いている為、理解はしている様子だ。
「ねえ、他の個体の声は聞こえる?後は考えてることが分かったりとかしない?なんでも聞こえる子もいるみたいなんだけど」
「今のところは全く。考えてることも全くです」
「対話の方は専門外だからさっぱりだけど。相性がいいってことかな……」
エラもルースも腑に落ちないといった様子で名前の無いカーバンクルを見下ろす。
カーバンクルは二人を見上げたまま後ろ足で器用に頭を掻いている……勝手に何処かへ行ったりするような手のかかる個体ではなさそうだとエラは頷いた。
「名前は自由に付けて。それから餌についてだけど、魔力で大丈夫。空気中に充満してるでしょう。あまり強くないと感じられないかもしれないけどね。性質としては魔法生物に近いのかなあって……魔力で出来てるやつがいるでしょ?この地方では珍しいかな」
「実際に見たことは……」
「普通の食べ物も食べるけどね。不自由してるところはあまり見ないけど、もしお腹空いてたら何かあげるのがいいよ」
随分とアバウトな説明だ。
魔法生物──身体の構成物質の大半が魔力で出来ている物を指すというが、エラには知識も無くまたジウの村にその類の魔物は出没しない。時に人工物すらも指すというが、基準も曖昧である。
「ここから街に行くなら森を通るんだよね?そんなに長距離じゃないと思うけど、困ったらうちにすぐ戻っておいで。特に調整とか必要な魔物じゃないけどさ。何があるか分からないから」
応援してるよ、頑張って!──ルースはエラの手を握るとぶんぶんと振り回すように握手をしつつ、玄関前で別れるかと思いきや村の入口まで見送った……大勢のカーバンクルを引き連れて。結局、最後まで譲り受けたカーバンクルは喋らなかった。
エラは彼女に一礼し、9号もとい白いカーバンクル並んで村の柵を超えた。
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