第2話 母への報告

「お母さん。私、これから旅に出ようと思うんだけど」


 いつもの風景、普段通りの夜。窓から吹き込む温かい夏の風。

 白いテーブルクロスの掛けられたテーブルの上に乗った木皿とパン。名前も知らない果実のジャム。白、茶、青──そして食卓から消えたベーコンの赤。 

 黙々と食事を片付ける母親を前にしてエラはぽつりと口に出した。母は普段から娘の話はよく聞いている方だ。夫を亡くした後も夫婦で経営していた食堂を一人で切り盛りし、何とか娘を育て、どれだけ仕事が忙しくても必ず娘と食事の時間を取るような人間である。異変があればすぐ近所の同じ年頃の子を持つ主婦達に相談するような──子供からすれば少々過保護な親かもしれない。

 そんな性格だからこそ娘の突拍子もない言葉に皿を片手に思わず固まり、次の瞬間にはテーブルに手を突き身を乗り出してエラと顔を突き合わせていた。


「ほ、本気なの?まあ、エラもお年頃だっていうのは理解してるわよ。もう11歳だしね。お友達が皆旅に出てしまって寂しいってのもあるんでしょうけど……でも外は危険がいっぱいでしょう。護衛を付けてあげる余裕も無いし……」


 ここは異世界だ。

 子供も必ずしも学校に行くわけではない。十代半ばで結婚する者もいれば、剣を握れる年齢になれば戦場に身を投じる子供達もいる。そうでなくとも十代になれば多くの子供達は故郷を旅立ち、見聞を広めるというのがこの村の風習であった。

 他の村、或いは街と呼べるほど栄えた地域であれば故郷に仕事が有るため残る者も多いだろう。だが、この実りの村はそうではない──都会からやって来た錬金術師の施設が最近出来たことを除けば山に囲まれた田園風景の広がるのどかな村。空気が良く、水が美味しく、人の繋がりは(必ずしもいいとは言えないが)強固なものである。

 帰ってきて家業を継ぐもいるが、エラの場合は必ずしも食堂を継がなければいけないというわけではなかった。あくまで夫婦で建てた店であり、母親は娘の人生を使ってまで店を続けようとは思えなかった。

 しかし、それでも……。

 いざ子供に旅に出たいと言われると揺らぐのが親心というものである。隣の家や向かいの家の子供が「冒険者になると言って旅に出た」と聞かされた時はああもうそんな年かと軽く流してしまったというのに。この村では男女関係無く子供が旅に出るのは当たり前だというのに──娘の口からこんな言葉が出るとは思いもしなかった。


「それがね、お母さん。街の外れに最近工房が出来たでしょ?あそこのお姉さんとお母さんは仲良かった……よね?あの人がお供にカーバンクルをくれるって言ってるの」

「カーバンクルって魔物の?」

「アカデミーの研究論文だったんだって。卒論にもしたらしいよ。ずっとカーバンクルのことを調べているらしくて最終的にはその力を生活に有効活用出来ないかって考えているみたい。七、八匹いたかな」

「どんな子だったの」

「おでこに宝石があってね、私にくれるって言ってたのは白い子。ふわふわしていて触り心地が良かったよ。懐いたから才能あるんじゃない?ってルースさんが。流石にお世辞だとは思うけどね……」


 それは聞いたことなかったわ。あの人カーバンクルなんか育てていたの?

 エラの話に相槌を打ちながらふと彼女の話題に出てきた魔女の存在を思い出す──最近街の外れに工房が出来た。普段は魔道具なんかを売っているが実際にしていることは研究だとか何とか、住民の噂と工房の主人本人の口から聞いた。引っ越してきた当日に焼き菓子と花を持って村中に挨拶に回るような女性だったが、エラはその時余所で遊んでいたから直接会うことは無かったのだ。「都会は土地が高くておちおち小さな小屋も建てられない」と言っていたが、アカデミーを卒業して尚且つ工房を建てられるだけの資金のある女性だ。実家が裕福なのか、本人に商才があるのだろう。

 普通都会から人が越して来るとなれば良くも悪くも噂をされたり、過干渉されたりと閉塞感のある村特有の洗礼を受けがちだが……その魔女ルースは村の住民の誰もが何となく「都会から来た若い魔法使い」としか知らなかった。かと言って悪い評判も無ければ工房に引きこもっているわけでもない。つい先日は自分の食堂に料理を食べに来て、常連客と仲良く世間話をしていたほど──陰気臭い恰好に反して気さくで明るい、それでいて底の知れない人物だ。

 そんな人がいつの間にか自分の娘と仲良くなっていて、飼育している魔物をくれると言っている。

 話の内容に首を傾げ固まっている母親に対し、エラは言葉を続ける。


「ねえ、行ってもいいでしょ。村の子は魔物のお供なんてなしに手ぶらで旅に出た子だっているんだよ。隣の町だって森を抜けたらすぐだし、もし困ったらすぐに帰ってくればいいんだから。今では魔法で遠くにいても話が出来る施設もあるっていうしさ」

「でも……ルースさんは本当にカーバンクルをくれるんでしょうね?何か持って行った方がいいんじゃないの。魔物の価値なんてわからないけど一応何か持たせてあげるわ。それでもし駄目だって言われたら帰って来なさい」

「きっとくれるって大丈夫。それと明日の朝行くからね。こういうことはなるべく早い方が良いと思うんだ。明日も仕事だよね、見送りにこれる?」


 折角カーバンクルをくれるって言ってくれたんだよ。ルースさんの気が変わる前にこちらの誠意を見せないと。

 普段から元気のいい娘だが、今日は特に生き生きとしている。普段一緒に食事をする時は「今日は外でこんな虫を捕まえた」「森の中で動物の絵を描いた」と尽きない話題を延々と話していて自分が食事を終える頃にまだ料理が半分以上残しているようなエラが既に皿を空にしている。固まった自分を置き去りにし、今正にパンの最後の一かけらを飲み込んだエラはさっさと流しに皿を運んだ。何かを言う前に自分の使った食器を洗い、水気を取って並べるところまで手際よく終わらせている。

 こんなことは滅多にないことだ。普段は自分早く食べて明日の準備をするようにだとか、手が空いているのであれば食堂の片づけを手伝ってくれだとか──口うるさく言っていたというのに。決して言う事を聞かない子供ではないのだが、ここまで張り切って積極的に動くエラを見るのはいつぶりだろうか……?


「早く寝ないと。その前に明日の荷物もまとめた方がいいかな?朝からやるにしたって遅すぎるよね。手ぶらで出て行ってもいいけど、隣町のお店に何が有るか知らないんだよね。善は急げって言うし……荷造りしてくるよ」


 使える鞄があったっけ?あ、お母さん。お店に出せない食べ物があったら貰っていってもいい?──遠くからエラの声が聞こえる。洗い物を済ませ、廊下に出てすでに自分の部屋か物置に行ってしまったらしい。一度日がつくと中々冷めず、燃え尽きるまでずっとその状態でいるような子供であることには変わらない。


「エラはエラで必要な物を出しておきなさい。新品の鞄と使えそうなものをいくつか出しといてあげるから。普段使ってるボロの鞄で外に出たら駄目よ。普段手当たり次第に何でも詰め込むでしょ。普段から重量オーバーやってる鞄にこれ以上重労働させたら……」


 遠くから元気よくエラの返事が聞こえる。それと同時に物置の荷物をひっくり返したか、何かがなだれ落ちるような騒音──どちらにせよ彼女の荷造りには手を貸してやった方がいいようだ。

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