異世界少女漫遊記

Theo

第1話 カーバンクルを連れた魔女

 我ながらいい村に生まれたと思う。

 少女──エラは生まれてから12歳になるまで村の外へ出たことがなかった。

 これはそれほどおかしな話ではない。幾重にも囲われた柵を越えていけばそこには魔物がいて人を襲うことが珍しくないからだ。商人であれば商隊を組み、高貴な人間であれば護衛を付ける……もっともそんなことを言っているようでは生活が成り立たないため、庶民は隣町やそのまた隣町ぐらいであれば一人でも出歩くのだが。

 それでも魔物達はいくらか穏やかな気質だとエラは思う。エラが生まれてからは死亡事故など起きていないし、飼い慣らされた魔物を連れて村を訪れる冒険者の姿を見かけたことも珍しくない。いくらか共存が進んできたのだ。


 さて、この村は魔物以外も当然のように環境も人も穏やかだ。

 山に囲まれ、絵画のような田園風景が広がり、水は澄み空気は美味しい。定期的に雨が降り、水不足に襲われることもない。絵に描いたような良い田舎町が広がっている。住民も穏やかで優しい人間が多く、村の子供は住民誰もが知っていて各々のスタイルで温かく見守っているような……そんな村。

 エラはこの村、ジウの環境も人間のことも大好きだ。出来れば離れたくないと思っていた。何となくもう少しすれば料理の修行を始め、最終的には母親の経営する食堂を継ぎ──縁が有れば誰かと結婚して一緒にやっていくのかも、と漠然と思い描いてはいたものの。そのビジョンをあっという間に吹き飛ばす出来事が訪れた。


「お嬢ちゃん、魔法を見るのは初めて?」


 いつもの遊び場──村が有する森の中は普段子供達で賑わっている。手製の釣り竿で釣りをする者、虫取りをする者……草むらで寝そべって昼寝をしたり、坂を滑ったりと過ごし方は十人十色だ。エラは全ての遊びを試したことがあるし、今日は珍しい石でも拾って遊ぼうかと思っていたところであった。

 然し今日は珍しく森の中が静まり返っていて、特等席のブランコも無人。それどころか人っ子一人いない。確かに何人かは「冒険者になる」と言って最近村を飛び出してはいったものの小さな子供のグループすらいないというのは驚きである。

 その代わりにいたのが──大きなつば広帽子をかぶった全身黒づくめの長身の女性。少なくとも村人とは異なるオーラを纏った何者かであった。彼女の周りを覆うようにしてきらきらと魔力の粒子が漂っている。その様子は木々の隙間から差し込む木漏れ日と相俟って非常に神秘的だ。

 彼女は木の陰から様子を伺っていたエラに気付くとコツコツと踵の高い靴を鳴らし、固まっているエラへと歩み寄っていく。


「私はルース。都会から来たの。アカデミーを卒業して、この度めでたく自分の工房を持つことになった魔法使いよ。この村の子?」

「は、はい……そうですけど」

「大人にはみんな挨拶したんだけどね。小さな子達は旅に出たとか何とかで意外と少なくって。さっきの家の小さい子と赤ちゃんで最後かと思っちゃった」


 子供減ってるのかな?そんなこと言っても分からないか!

 女性は風貌の割に軽い調子でエラに話しかけ目線を合わせた。エラは黒曜石のように黒く澄んだ相貌を見つめたまま固まってものの、次第にその視線はルースの傍から色とりどりの……先程の輝きによく似た蠢く「何か」に吸い寄せられた。

 サイズ的には狐や猫ほど。兎とも狐ともとれるような長耳に細っこい尻尾。そしてつぶらな瞳、柔らかな体毛。赤、青、緑、紫、橙、白、黒……とぞろぞろと彼女の周りを囲む謎の小動物。村の周りの見慣れた魔物とは少々異なる風貌で、エラは不思議と恐怖を感じなかった。


「この子たちはねえ、カーバンクルっていうの。ああ、私はテイマーじゃないよ。魔物を使うのが専門じゃない。この子達の持つ宝石の力について論文書いて、生活に生かす方法を研究してるの。ただ懐かれてるっていうか協力してもらってるだけ」


 そのうちの一体、赤いカーバンクルがぴょんとルースの肩へ飛び跳ねた……重くはないのだろうか?

この子達は魔物の一種で……ルースは人差し指を立てて何やら研究内容の一部を羅列し始める。その時、取り残されたままのエラはふと脹脛のあたりにふわりとした感触と温もりを感じて足元を見下ろすと白いカーバンクルが一体擦り寄っていることに気付いた。特別毛深い部分も無い、毛の感じで言えば家猫に近いだろうか。ついつい手を伸ばしてみるとその滑らかな触り心地が癖になりそうだとエラは思った。


「あーごめんごめん。置き去りにしちゃって。にしても……お嬢ちゃん、随分と懐かれてるね?私の時なんて移動かご飯の時ぐらいしか寄ってこないっていうのに」

「あ、名前……エラです。これはたまたま……」

「羨ましい!あ、そうだ。エラちゃん旅に興味ある?ご近所さんは皆旅に出ちゃったって話でしょう。興味あるならこの子あげるよ、どうする?」


 子供独りだと不安だって親御さんは言うかもだけど、相棒がいれば心強いでしょう。私は村にいつでもいるからその気になったらいつでもおいで。白い子は他にもいるから大丈夫──そう言ってルースはひらひらと手を振り、カーバンクル達を連れて村へと消えて行く。


 『待ってる』


 軽い調子のルースの挨拶、カーバンクル達の鳴き声に混じって微かに誰かの声が聞こえた気がした。群れの中で先程擦り寄ってきた白の個体が時折ちらちらとこちらを振り返っているようにも思えたが……これは単に自分の気持ちが高ぶっているから聞こえてきた幻聴か何かだろう。エ動植物と関わる機会は都会の子供よりもずっと恵まれていた筈だが、魔物の声が聞こえるなど自分の中では前代未聞だ。

 それよりもずっと……エラの中には一瞬にして嵐が過ぎ去ったような心地と村にはない空気感のようなもの、自分の中で何となく現実味が無かった「旅」の存在に重みが生まれた瞬間であった。外には知らない文化があって、ああいった魔法使いがいて、学校があって、知らない魔物がいて──都会が有る。村にいるだけでは見ることが出来ないものたちが自分の前に急に現れたのだ。今まで魅力どころか興味すら感じなかったものたちが突然質量を持って煌めき始める。

 そして親切にもルースはその旅への切符をくれるというのだ。この緊張の糸が解けたら今すぐにでも家に帰って母親に報告しよう。

 エラの心臓はばくばくと鳴りっぱなし、身体は最初にルースと会った時から地面に縫い付けられたように固まったままである。

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