時空エレベータ

「死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない?」に投稿された話へのオマージュです。



あれは2004年の夏頃のことだったと思う。


俺は当時、小さな配送業者のドライバーをやっていた。

従業員は全部で5人。事務所で社長の奥さんが経理と電話番を兼ねているような小さな会社だ。

ドライバーは交代で勤務して、土日のどちらかと平日で休みを取るような勤務体制。

ほとんど決まったルートを巡回する。町内の病院や学校のような施設に、必要な備品を配送センターからピストンで輸送することが多かった。

たまにイレギュラーで大手の人手不足を補うために、個人の家に宅配物を配送することもあった。


その日はたまたまイレギュラーな仕事が舞い込み、当時若手だった俺がその役を買って出たのだった。


決まりきったルートを巡回するのに慣れていた俺にとって、時間指定のある荷物を個別宅に配送するのはキツい仕事だった。

なんとか午前中の荷物を配達し終えたときは既に昼過ぎ頃になっていた。

仕方がないのでコンビニでおにぎりとペットボトルの緑茶を買って、片手でそれを頬張りながら運転を続けた。


次に届ける荷物は高速道路沿いにある8階建てのマンションで、ここはよく目にしていたから迷うことなく目的地に着いた。

4トントラックの荷台から段ボールをいくつかひっつかみ、駆け足でエレベータへと向かった。

まず8階で降りてから順に荷物を玄関口まで届けた。

幸い不在の住民はおらず、印鑑やサインを受け取って4階で両手が空になった。


一息ついてエレベータのボタンを押す。

到着を知らせるベルが鳴り、扉が開く。住人と思しき中年の女性と大学生風の青年が乗っていた。

男性は俺のためにスペースを空けてくれたので、顎を下げて礼をする。


だが。

1階へ向かうはずのエレベータがなぜか2階と3階の間で停止してしまった。

停電ではないようだ。エレベータの電気は煌々と我々の顔を照らしている。

皆一様に怪訝そうな面持ちだ。


「どう……したんすかね」


大学生風がそう呟く。中年女性も同調するように首をかしげる。

40秒待っても動く気配がない。次の配達に遅れてしまう。

待っていても埒が明かないと思い、俺は内線ボタンを押したが応答がない。


「一体どうなってんでしょう」


誰に向けてでもなく呟く。携帯はトラックの運転席に置いたままで、外部との連絡手段は途絶えた。



何分かがゆっくりとすぎた。

先の見えない閉塞的な状況では時間が引き伸ばされたように感じる。


と、急にエレベータが稼働を再開した。中年女性が短く驚いたような声をあげる。

それもそのはずでエレベータは、上の階を目指して急上昇をはじめたのだ。

まるで上に向かうことこそが何よりも正当な動きであると確信するかのように。


けっきょくそのまま7階で止まり、扉が開いた。


「なんか不安定みたいだから、階段で降りる方がいいと思いますよ」中年の女性は親切心から我々にそう伝える。「また何が起きるかわからないし」と付け加える。


「そりゃそうですね」


一も二もなく同意して俺も降りることにする。

普段の業務ではほとんど発揮していなかったが、引越しバイトで鍛えた足腰をもってすれば7階分の下り階段など大した問題ではなかった。

大学生風の青年は何か違和感があるのか、階下を見下ろしていた。


俺は中年女性と一緒に下に向かって歩いた。異様に階段が暗い気がする。


「足元気をつけてくださいね」


振り返りながらそう伝える。


「ありがとうございます。こんなに暗いなんておかしいわね、さっきまで晴れていたはずなんだけど」


後ろからぶつぶついうのが聞こえた。俺は足先の感覚を頼りに速度を緩めることなく下へと向かった。

4階に差し掛かったところで「私はこちらですので」と女性が言ったので、軽く会釈して別れた。


何の問題もなく1階に到達する。

そこで初めて違和感に気がついた。さきほどの大学生風が訝しげに外を見ていた理由がいまわかった。


外に出たのにあたりが暗い。暗いというよりは色彩が極端に不足しているのだ。

そして空が赤い。

誰かがRGBバランスを故意に崩したみたいに。

生活音もまったく聞こえない。普段はあれほどうるさい高速道路を走る車の音も聞こえない。


反射的にエレベータホールのあたりを振り返る。まだ大学生風の青年は降りてきていないようだ。

仕方がないので一度トラックに戻る。


色彩が不足しているだけではなくトラックのロックが解除されなかった。

電子系統に異常があるのかと思い、キーを差し込んで開錠して運転席に戻る。

携帯電話は死んでいて、ブラックアウトしていた。


それどころか、配送用のマップや配達済みのチェック・リストの文字列が何かおかしい。

数字以外はデタラメな文字列に置き換わっていた。


「なんだよ、これ…」


戸惑いながらトラックの外に降りて、何気なくナンバープレートに目をやる。


蠖シ譁ケ56

縺ャ55-15


なんだよ、これ。


(ここのヒトではあらないな)


唐突に声をかけられて飛び上がりそうになる。音声というよりも頭の中で文字列が生成されたような不思議な感覚だ。

あたりを見渡すと誰もいない。


(ここだ、ここ)


4トン平ボディの荷台部分にそれは腰掛けていた。

ひと?それとも山羊だろうか?

四肢は人間のそれと同じように、真っ直ぐすらりとしていて、二足歩行のように見える。だが首から上は完全にヤギだった。

件、という生まれてすぐに予言をする牛のような妖怪のことを思い出して薄寒くなる。


(あたしはそのようなモノノ怪ではあらないよ)


また直接脳内に文章が生成される。


(あたしはイデアとよばれる存在で、諸君と対話をするためにこの姿を借用している)


なんだって?イデア?

出来の悪い二次創作に紛れ込んだ気分だ。これは現実なのだろうか?


(目に見えるものが現実だ。しっかりと目を開けて、それを見ておればいい。)


瞬きの間にイデアの山羊は消えていた。


赤い空、文字化けしたナンバープレート、音のない空間…。


目に見える非現実を前にして、ひたすら途方に暮れた。



今俺が思い出せるのはこのあたりまでだ。

病院で目を覚ました。

2014年の9月だった。周りの人間は俺が熱中症で倒れたあと打ちどころが悪く、昏睡状態に陥ったと理解していた。


朧げながら思い出せる範囲では俺は、あの不可解な世界から今ここで現実的な世界に戻るために、存在と非存在を結びつける具体的な手段をとったはずだった。

あるいはそれは、この世界においては暗喩として機能するささやかな文字列にすぎないのかもしれない。


とにかく俺は帰ってきて、普段通りの生活をしている。

元の運送会社には復帰できないようだったので、今は派遣をやっている。


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