人間の力(From Another Side)
「死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない?」のまとめサイトに投下された話へのオマージュです。
※自傷行為や自殺を肯定的なものとして表現する意図はありません。
*
酔った勢いでつい関係をもってしまった男がいた。
彼は一見して軽薄そうなタイプだったけれど、一緒にいると落ち着くし根は真面目な人だった。
初めは何人か交えての飲み会だったけれど、いつからか会社帰りに二人きりで飲みに行くようになった。
そんなある日、終電がなくなって彼の家に泊まることになり一線を越えた。
最初は不純な関係から始まったはずなのに、いつしか彼の事を本気で好きになっていた。
きちんと付き合えた時には、自分はこの世で最高の幸せ者だと思った。
毎週重ねるデート。一緒にいるとお互い笑顔が絶えない。これからもずっと一緒にいたい。そう思っていた。
しかし付き合っていくうちに、わたしの内側にある”明るいだけではない面”が綻び始めた。
会うたびに彼に、「本当はわたしは自分に自信がない」という事を口癖のように言うようになった。
彼は「何でも相談にのる。受け止めるから」と言ってくれた。
彼の言葉は耳に届いていたけれど、心の真ん中にある冷え切った暗い部分にまで到達することはなかった。
ひたすら「自信がない」を繰り返していた。
いつもため息ばかりになって、表情も暗くて塞ぎ込んでしまうことが増えた。
何度か真剣に話をして、彼も真剣に受け止めてくれた。
家庭内の両親との関係、友達との不和、学生時代にあった嫌な事。
いろんなことが複雑に絡み合っていて、それについて話そうとすると首を絞められたみたいに声が出なくなる。
彼はわたしが悪循環にはまっているのではないかと思った。
わたしは親の事をひどく憎んでいたから。
希望なんてどこにもないと思った。
彼とデートしている間だけは束の間の休息。少しだけ痛みを忘れられた。
「思い切って親元を離れてみれば」とアドバイスしてくれたけど「家を離れられない」とだけ伝えた。
物理的に実家を離れれば何かが変わるとも思えなかった。
私は事あるごとに彼に対して、「何か精神的な支えがほしい」とぶつけた。
彼は自分こそが支えになると言い続けてくれた。
「恋人とかそういうのじゃ駄目なの。もっとキッチリしていて、ゆるぎのない世界の中で生きていきたい。例えば機械のような」
私は返す刀でそう答えた。
彼は「人間は機械じゃないよ」と優しく諭してくれたけど、私はただ曖昧に微笑んで見せるしかなかった。
彼とはその時点で別れることもできた。そうして欲しいとも仄めかしもした。
それでも彼はなんというか、わたしに惚れ込んでくれていたから別れることはできないまま関係性が続いた。
付き合い始めて2ヶ月くらい経ったころだったかな。
ある日の待ち合わせ。
道ゆく人はみんなわたしを上から下まで眺め回して、彼は呆気に取られたように口をあんぐりと開けていた。
シルバーのロングコートを着て銀髪のショートボブ。マトリックスに出てくるような鋭角的なサングラス。
ハイヒールを履いてまるでファッションショーのモデルみたいに世界の真ん中を闊歩する。
それが今のわたしだった。
今までは黒髪で、どちらかといえば地味な服装を好んでいたのに。
彼は目を白黒させながら、それでも新しいわたしを褒めてくれた。
努めて明るく振る舞った。
出会った頃と同じように、ふっきれたみたいにハイテンション。
彼の手をひっぱって子供みたいにはしゃいでデートを楽しんだ。
彼は嬉しそうに振る舞おうとしていたけれど、たぶんちょっと引いていた。
きっとわたしの急激な変化が怖かったのかもしれない。
その日は夜まで遊んで金曜日の夜だったし、結局ブティックホテルに泊まる事にした。
ホテルにチェックイン。久しぶりにわたしの中に、彼の全部を受け入れた。
ほんとうは全てを言葉にして伝えられればよかった。
でも上手くそうすることができなくて、ただ触れ合って体温をふたりで分け合った。
出会ったときのわたしたちが求めるままそうしたみたいに。
彼がベッドでぐったりしている間に、シャワーを浴びに行った。
いつものマルボロ・メンソール。プレゼントしたクロムハーツのライター。
タバコの火が暗闇で明滅するのを見るのが好きだった。
*
一緒にいてくれて、ありがとう。
バスルームのガラスが割れた音が聞こえた気がした。
シャワーが流れる音と飛沫に混じって、生命の源が流れ出てていくのを感じる。
手も足元も全部赤く染まっている。人が人であるために大切なもの。
彼はわたしの目をまっすぐ見ていた。
わたしは自分のお腹に包丁を突き立ていた。
彼は柄を握っている手を引きはがそうとした。
「いたいよ・・・いたい・・」
「なんでこんな事!」
彼は半泣きになりながら、指を一本一本はがすように引き戻した。
包丁の柄にはり付いているように離れない。
包丁は20センチ位ある柄の半分位まで腹に斜めに刺さっていた。
「機械になれなかったよ・・・」
わたしはそう言って微笑んだ。もう痛みは感じなかった。
彼は生気の抜けていく体をタオルで包んでベッドへ横たわらせた。
「もうすぐ救急車がくるから」と何度も叫ぶのをどこか他人事のように聞いていた。
もうほとんど何にも感じない。
彼の耳元に口を近づけてなんとか言葉を振り絞る。
「・・・おとうさん・・・」
腹に刺さったままの包丁の柄を再び両手で握り締め、最後の力を振り絞って更に深く自分の体に引き込んだ。
意識が遠のく。頭の上で彼が何か叫んでいる。その声も遠のいていく。
次の瞬間、目を開くと真っ白な何もない空間にいた。
夢なのか、死後の世界なのか、生死の間を彷徨っているのか。
*
気が付くと一脚のどこにでもあるような椅子と古いブラウン管のTVが置かれていた。
その画面は乱雑な映像が次々に切り替わっている様子を音もなく延々と映し出していた。
ABC順とか十進法みたいに規則正しく歯切れ良く進んでいく、現世的な時系列。
それとはまったく無縁な無秩序の乱数。
わたしが死を選んだ理由はわたしにもよくわからない。
死は生を構成する多くの要素のひとつにしかすぎないのだと思う。
死は生の対極にあるのではなく、わたしたちの生の内側に潜んでいるのだろう。
ねぇわたしがいなくなって悲しんだり、自暴自棄になったりしてほしくないな。
多分いつか誰にでも等しくやってくる瞬間をあえて早める必要なんてない。
わたしが言っても説得力がないかもしれないけれど。
人間の力は、大海をさまようボートのように無力に感じるかもしれない。
わたしたちが愛と呼ぶそれには絶望から誰かを救い出す力なんてないのかもしれない。
でも歩くことが辛ければ、束の間の休息を得ることはできる。
何も感じることはできなくても、愛された記憶が思い出せなくて捻じ曲がっていっても。
受け取ることと与えることは本質的には同じことなの。
それはここに来てわかったことのひとつ。
もし何かに対して痛みを感じるのなら、その痛みを残りの人生を通してずっと持ち続ければいい。
ひとりが辛ければその重荷を分かち合って寄り添ってくれる人が必ずいると、今なら信じられる。
今更こんなこと身勝手かもしれないけれど、あなたがわたしのことをほんの少しでいいから忘れないで憶えていてくれたらいいな。
誰だってただ与えられた生活を毎日生きているだけ。
絶望も失望も生きる意味もどうでもいい。
わたしの分までだなんて言わないけど、生きてほしい。できれば幸せでいてほしいって願っている。
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