第六章 キャンディの包み紙

 横浜駅のYCATから松山までは10時間近くかかる。

前もって席の予約をしておいた僕たちは、適当なファミレスで簡単な夕食をとったあと、スターバックスでカフェラテを飲んで時間を潰した。

とりたててそのお店のコーヒーが好きというわけではない。駅の東口にも西口にも、高速バスの乗合口に一番近かったからその場所を選んだ。


 立花きららはスーツケースの上に小さな斜め掛けのバッグを置いたまま、熱心に進学希望者向けのパンフレットを読んでいた。

時々思い出したようにマグカップに口をつけて、こめかみに指を当てながら考え事をする。

僕はそんな様子にただバカみたいに見惚れている。


「ねぇさっきから集中できないんだけど。ちゃんと内容あたまに入ってるの?」


いい加減にして、といった口ぶりでそう釘を刺される。時間なんて道中たくさんあるんだから、その時読むよ。

いずれにしても僕の受け取ったパンフレットは非常に薄い小冊子だった。

希望する学部が今年新設されたばかりで、僕が仮に入学するとしたら2期生。在校生のエピソードやカリキュラムの紹介はまだ実績がない。


 君は医療系の短期大学を受験する予定で、愛媛県内の学生からは人気のあるコースだった。

四国の中で一番人口が多く、九州や広島とも程近いため学生の人数もけっこう集まる。

わざわざどうして他県の、しかも神奈川から遠く離れた場所までオープン・キャンパスへ行くのだろう。


「海が近い街がいい。それも人口的な貿易港とか漁港ではなくて、物語に出てくる小さなみなとまちみたいな」


 蛍が見たいと言い出したときのように、君は純粋無垢な夢見る少女みたいなことを言った。

遠く離れて身よりも土地勘もないし、潮風だって年中吹くし、コンビニだって少ないかもしれない。

僕は常識的な事柄を並べたけれど、君はそれは聞かずに温暖な瀬戸内海式気候と新鮮な海鮮について熱心に語った。

どちらかといえば楽観的な僕と要領がよくて理性的な君とでバランスがとれているはずが、ここぞというときにその位置関係は逆転する。


 君はクラス委員を2期連続で務めていて、成績は優秀。学年中に友達がいて、先生方の評判も良好。

真っ白な肌と完全な笑顔をたたえた端正な顔立ち。

妹感全開で、明るく振る舞うふだんの様子とは別に、聡明で理知的な面を隠し持っている。


 プロファイル的な君の魅力とは別に、たぶん僕だけが知っている部分がある。

それは傘を忘れてクリアファイルで雨宿りをしたり、都会で蛍が見たいと言い出したり、

みなとまちで静かに学生生活を送りたいと雄弁に語ったりする姿。

その一つひとつを大切にしておきたい。アルバムの1ページに色鮮やかな写真を仕舞い込むみたいに。



 YCATに到着したバスの係に荷物を預けて、指定席に向かう。

夜行バスには初めて乗るけれど、意外と広く快適だった。トイレもついているし、二時間おきにサービスエリアに止まる。

君は窓側の席、僕は通路側に座った。発車と同時に先週からつづいている咳が出る。

エアコンを直接風が当たらない向きに変えた。


「大丈夫?そういえばさっき駅のキオスクでこれ買った」


立花は僕のためにのど飴を買ってくれていて、それをひとつ渡してくれる。

君は小さな包み紙を開いて、自分の口に入れる。

気休めにしかならないかもしれないけど。そう言って窓側に頭をもたれかけて目を閉じる。


「ありがとう。停車したら知らせる。おやすみ」


 けっきょくその飴の包み紙は開けずに、ポケットにしまった。

それどころか、その旅行の間ずっと僕のポケットの中にケータイといっしょに収まっていた。

まるで災厄を防いでくれるお守りみたいに。


 港湾エリアの夜景をバックに、隣で目を閉じている君の横顔はとても美しかった。

こっそり写真を撮ろうとしたけど「起きてるからね」と薄目を開けて怒られた。


 車内の照明は落とされていたので、大学のパンフレットを開くこともなかった。

イヤホンで音楽を小さく流して、まどろみながら目的地へと向かう。

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