第四章 花火の後、夜の縁

 ある年の夏祭りのあと。

場所が悪すぎて見えなかった花火。

硝煙のサーチライトがまるで蛍の光みたいだった。


「混み始める前に帰ろう」

そう言って早めに切り上げるはずだったけれど、元町のアーケードは既にこれ以上ないくらい混雑していた。

みなとみらい線に続くエスカレータは危険防止のため停止されていたし、石川町駅は誘導案内係が入場制限をかけていた。


 たしかその時だったと思う。

人混みではぐれないように、君と手を繋いだ。

さっきまでは袖を引っ張ったり髪飾りを追いかけたり、中途半端な距離を行ったり来たり。

必要に迫られて仕方なくといった素振りで、僕の手よりふたまわりくらい小さいその手を引いている。


「人多すぎてあっつい」


 君が何でもなさそうな表情で、不必要なくらい大きな声を出す時はいつも照れ隠しだってことには既に気がついていた。

その言葉には答えずに、ほんとうに綺麗な横顔だなと呟く。

え、何かいった?と聞き返す言葉にも答えずに、今来た方向へ引き返しながら別の道へと向かう。


「どうせしばらくは動けないから、座ってゆっくりしてこう」


 丘公園近くにあるローズガーデンのカフェが花火大会に合わせて営業時間を延長しているのを事前に調べてあった。

急な坂を登るのは無理だから、公園を通り抜けるゆるやかな道を選んだ。

店内は案の定混み合っていて、テラスのテーブルがひとつだけ空いていた。


「先に席に座ってて。適当に飲み物を買ってくる」


水ヨーヨーと金魚のビニール袋を片手でまとめて持って、紫陽花柄の浴衣を着た女の子を連れていかにも夏の真っ只中。

店内をウロウロするのが少し恥ずかしかった。


 ジンジャエールを二つ持ってテラス席に向かうと「靴擦れした」と言って痛そうに足をさすっていた。

その裸足のつま先もペディキュアで青紫に彩られている。すらりとした真っ白な脚がどきどきするくらい綺麗だった。

「これつかって」バンドエイドを差し出す。

誕生日に母からもらったダンヒルの財布に絆創膏を常備してあった。備えあれば憂いなし。


「トイレに行ってくる」と入れ替わりで出ていった君を見送って、ジンジャエールで喉を潤す。

ケータイで時刻を確認すると20:45。Eメールを受信してみると失敗。回線が混み合っているらしい。

何度か試してみると高崎から18:25にメールが送られてきていた。


 >今頃は横浜でデートかな?今夜はお楽しみですね


 ドラクエの有名なセリフをもじったのか?

そんなんじゃねぇよ、と返信しようとして思いとどまる。

高崎には立花と付き合っていることを話してある。そのことを知っているのは、今のところ僕たち当人を含めて4人しかいない。

別に秘密にしておくことでもないけれど、面倒は極力避けたいという僕らの意見は一致していた。


 自分たちのペースで関係性を進めていけるというのは気楽でいい。

付き合うという口約束を交わしても、すぐ隣を歩いていても、お互いのことを完璧に理解し合っているとはいえない。


 むしろ関係性が明確になるほどわからないことが増える。

君は僕に何を求めているのだろう?僕は君に何を求めればいいのだろう?


 人混みでその手をとったのは、君がそのままどこかに消えてしまいそうだったから。

ただ物理的にはぐれてしまうのではなく、象徴的なできごととして僕の前から消えてしまうのではないか。

まるで最初から目の前にいなかったみたいに。


 時々それが怖くなる。反射的にテラスのテーブルにある小さなポーチに目を向ける。

君が置いていったその隣には、ケータイも置いてある。

初めていっしょに出かけた映画の帰りに買ったお揃いのストラップ。

着信を知らせるライトが明滅している。誰からの着信だろう?


「なに難しい顔してんの」


 君に頭を小突かれる。

ハーフアップをほどいて、おうし座をモチーフにした髪飾りを胸元に留めている。

何でもないと言い訳する。ケータイが鳴ってたみたいだよ。


「おねえちゃんからだ」


 君はお姉さんととても仲がいい。たぶんクラスの友だち全員を足した分よりも。

僕たちが親密な関係になりつつあることを知っている4人目が、彼女の2歳年上の姉だ。

そのことで時々僕は落ち着かない気持ちになる。

クラスメートや同級生ではなく、年上の親類となると無意識にプレッシャーを感じる。


「まーた難しい顔して」


 君は足を組んで携帯を操作しながら笑う。

足癖が悪いところも、よく声をあげて笑うところも、こうして一緒に過ごす時間が増えたから知ることができた。


「僕はどこにも行かないから。あらためてよろしく」

柄にもなく真剣に、半分は冗談っぽく宣言する。

今さら改まってなに言ってるのとまた君は笑う。


 僕らは線を描き足して行く。

気分の赴くままに、あるいはそうせざるを得ないから半ば強制的に。

べつに望んだ未来が訪れなくたっていい。

そのときになって後悔しないような今を選んでつくりだす連続体。

宇宙史上、最初で最後の位置関係と並び方。


「ねぇ指切りしよ」

どこにも行かないでいてくれるんでしょ。

もちろん。テーブルの上で小指同士をしっかりとつなぐ。


 真夏の夜の下、ジンジャエールに氷が溶けてゆく。

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