第三章 みなとの蛍

「蛍を見てみたい」


 君が唐突にそんなことを言い出したのは、夏休みが始まって1週間くらいたった頃だった。

どこか田舎の水辺じゃなきゃ無理だよ。それに蛍の季節はもう終わってるんじゃないかな。

そう言っても聞かないから僕は途方に暮れた。そのまま何日かがダラダラと過ぎ去って、夏祭りの日になった。


 立花きららは紫陽花柄の浴衣姿。ハーフアップに、おうし座をモチーフにしている星の髪飾り。いつになく大人ぽく見えた。

華奢でまっしろな首筋にきらりと光るネックレス。大して高価なものではないけれど、僕が誕生日にプレゼントしてから二人で会う時はつけてくれているみたいだ。


 僕はいつもの黒いTシャツ(英国のバンド名とロゴがプリントされている)とボロボロのジーンズにビーチサンダルという格好。どこから見ても冴えないのはわかっている。そもそも真夏の人混みなんて正直いってうんざりするだけ。

射的、金魚すくい、りんご飴、水ヨーヨー。はしゃいでいる君の後ろ姿についていく。


「ねぇこの後花火が上がるんだって」


 さらなる混雑に足を踏み入れるのか、と辟易する。ヨーヨーと金魚で両手が塞がっているのに?大袈裟にため息をつく。


「ほら、ため息なんてついていると幸せが逃げちゃうよ」


 人は充分に幸せだからため息をつけるんじゃないかな。くだらない屁理屈で言い返す。君はちょっと真顔になって「へぇじゃあ今は充分に幸せなんだ?」という。返事を待たずに港の方へ。僕は星の髪飾りを見失わないように追いかける。


 山下橋の交差点を渡り切る前に、打上花火があがる。人々は歓声をあげたり、手にした携帯電話で写真や動画を撮ったりする。あとで見返してもどうせ大した画質じゃないから、何が映ってるのかよくわからないのにな。


「どうせここからじゃよく見えないから別の場所に行こう」


 僕は花火の爆音と雑踏の騒音に負けない声量で叫んで、浴衣の袖を掴んで反対方向へと歩き出す。いつか自転車でここを通ったとき、人目を逃れておじさんたちが釣りをしている隠れた裏道があるのを偶然見つけていた。そこを通って使わなくなったコンテナが積まれている広い空き地へ。ここを知っている人は地元の人でもほとんどいないはず。


 他には数組しかいなかった。それもそのはずで、雑踏の真ん中より花火はもっと見えづらい位置に上がっている。

というかほとんど見えない。完全なロケーションの選択ミス。


「ここからだと花火ぜんぜん見えないね。音だけ聞こえる。残念でした」それほど残念ではなさそうに君が笑う。


 簡単には自分の非を認めないコンテストで毎年優勝候補の僕は反対側を指さす。港湾エリアは夜も明かりが消えない。真夏の熱気と花火の硝煙が作り出した薄いもやの中、サーチライトが空に弧を描いている。


「こっちの景色だって悪くないだろ」

「ほんとだ。なんだか蛍みたい」


 僕たちは並んで、他の人たちとは全く逆の方向を向いて座った。

 遠くに響く歓声と花火が弾ける音を聞きながら、夕闇に舞う光を指でなぞった。







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