シルエット
正直に言って俺は、苦手なものは後回しにしたいタイプ。
たいてい料理のコースで好きなものは先に食べるし、宿題はギリギリまでやらずにとっておいたし、営業報告書は月末にまとめて書き上げていた。
そんなわけで個人的には新規の女性とのデートを手っ取り早く取り付けるよりも、
旧知の仲でハンサムな同級生と久しぶりに飯を食うだけのことの方がはるかにハードルが高い。
嫌いとか面倒とかじゃなくって単に苦手なんだよな。
友人に対して苦手とかいうのはちょっと違うか。要は重要度が高いと身構えてしまうってこと。
俺は誰と会う時も(それが毎日顔を突き合わせるような間柄でさえ)それで最後だ、と思うことにしている。
たしか二十歳を迎える前後あたりから、だっただろうか。
そう思う方がはるかに気持ちが楽だし、学校にしろ仕事にしろ毎日が最終日なのだから
「別にどうなったっていい」と思える(現実的には連日、連勤になるとしても)。
高校の同級生で友人の高崎。
彼は舞台で活躍していて界隈では名を知られてファンもいるのだから、
会うならそれ相応の場所と身なりを選んだ方がいいだろうと思っているうちに1年、2年とすぎてしまった。
俺はまあまあ愛嬌のある中古の四駆に乗っていて、不満がないわけではなかったが概ね満足していた。
行きすぎた気遣いか単なる見栄なのか、もう少し車格が上の車種に乗り換えてから高崎と会うことに決めていた。
小さなカーショップに足を運び、程度のいい個体で、走行距離が伸びているクーペを見つけたので契約書にサインした。
年式の割にほとんど走っていないクルマは逆に思わぬ故障に見舞われて高くつくこともあるので、まあまあ走っている個体の方が逆に安心だ。
駐車場や保険の関係もあって乗り換え、というよりは一時的に増車という形になってしまった。
無事に納車されたクーペを駆って1時間半ほど。
高井戸ICを降りたあと久我山のセブンイレブンに停車して小休憩を入れたあとLINEの通話ボタンをプッシュする。
「おつかれ。そろそろ着く?」
「ちょうどインターを降りたところ。10分くらいで着くから」
西荻窪駅の周辺に旨い寿司屋がある。
たまたま知人と行ったことがあったので彼にも紹介しようと思って予約を入れておいた。
杉並区はどの駅周辺も入り組んでいて複雑。
まして住み慣れていないエリアで駐車場に入れるのはハードモードが過ぎる。
松庵の比較的大きな通り沿いにあるコインパーキングを見つけてあって、空車なのを確認してそこでエンジンを切ることにする。
*
「よっ久しぶり」
南口のドトール前に颯爽と現れたのは数年前とほとんど変わらない風貌の高崎だ。
スラッとして色が白く、オフホワイトのシャツに黒のカーディガン、七部丈のパンツと同系色のハンチングハットで爽やかな印象だ。
俺は無難な紺のジャケットをTシャツに重ねて、レザーのドレスシューズでビジネスなのかオフなのかわからない中途半端な装いで対面する。
さっそく予約したお店に移動。
カウンタに座らせてもらって全部お任せで握ってもらうことにする。
手土産に明太子の詰め合わせを持ってきていたので手渡す。
「一人暮らしで夜帰ってくることも多いし、こういうのが一番助かるわ」
とのことで安心する。同性の同年代に対しての手土産が一番選ぶの難しいと思うの俺だけ?
鮨はどれもこれも美味かった。さすがトーキョー。新鮮な食材は市場で毎朝手に入る。
北海道で食べた海鮮丼が至高だったけれど負けてない旨みに舌鼓。
男同士のグルメレポが主題というわけではないが、こういう瞬間がはっきり言って一番人生の至福と充実を感じるよな。
「最近どう?」
「相変わらずぼちぼちやってる」
言っても言わなくても変わらないかLINEで十分だろ、程度の情報交換をする。
そんなことを10年もやってるとまあそれが通常運転になる。
高崎はハンサムで陽気なキャラクターでクラスでも人気だった。
というのが一般的な見解だが、俺の観察によれば大学で華々しくその本領が発揮されたというべきだと思う。
高校入学当初からかなり根が明るくて、よく通る声で存在感のある高崎だった。
どちらかと言わずとも根が暗くて、ボソボソ喋る存在感が希薄な俺と過ごしたことで、よくない影響を与えてしまった感は拭えない。
いい具合に中和されたのか、先生や周りはよく俺たちをペアとして認識していたようだ。
実際には共通点らしい話題や性格的に似ている部分はほとんどないにも関わらず。
青春マジックのような現象で、実際より誇張されて見えてしまうことはしばしばある。
*
そんな変わり映えのしない(実際に過去に起こったことだからそうそう変わるはずがないが)話題を飽きもせず繰り返して、腹が満たされる。
「そういえば同じクラスだった優くんのこと覚えてるか?」
(俺の悪い影響によってか)高崎は卒業後も交流が続いている同級生がそれほど多くない。
二人の数少ない共通の友人の訃報を受け取ったのはだいぶ前の話だが、最近のゴタゴタでちゃんと彼について話し合ったことはなかった。
「よく休み時間いっしょに過ごしたよな。学食に行ったり」
「え、そんなことあったかな?」
まただ。奇妙な記憶の食い違い。
人の記憶は曖昧だ。
3年間べったりと付き合っていたカップルが、卒業後それぞれ別の人と結婚していることを知って
「あいつら付き合ってただろ?」
と確認したら「そんな事実はないよ」と逆に驚かれた経験もある。
いくら他人にさほど関心を払っていなかったとはいえ、自分だけ違う世界線に移動したかのような居心地の悪さを感じる。
そういう経験って誰にでもあると思うけれど、俺の場合は高校生活の3年間に特にそれが集中している。
一緒に過ごした記憶が被っていようがなかろうが、相変わらず優くんはやさしくて人望があって分け隔てのないいいヤツだったという認識は一致した。
そのどれもがいまだに自分にはないもので憧憬の念を抱く。
*
鮨はランチタイムだったので二人で11,000円。
ここは俺の奢り。高崎に財布を出させる間もなく支払う。
代わりにコーヒーでもご馳走したいと言ってくれたので好意に甘んじる。
場所を変えるか、ということになって歩いて松庵の駐車場まで移動する。
雲が日差しの強さを和らげてはいるが、湿度とエアコンの室外機から出る排熱で茹だるような暑さ。
そもそもアスファルトとコンクリートだらけの市街地で熱の逃げ場なんて皆無。
アーケードの日陰を通って歩いてようやく到着。
「お前こんな車高の低いクルマ乗ってるのか」
暇な時ドライブに出かけるのが好きでそれが高じて、と適当に答える。
環八通りから横羽線を通って移動する。ここはいつ走ってもほとんど例外なく渋滞している。
もうずっと混んでいる。人生の何%かをこの界隈で消費している人、けっこういるんじゃないかな。
ゆっくりペースで街中を流すのも嫌いじゃない。
助手席にいるよりハンドルを握っている方が饒舌になるっていう法則がある。
俺はもう一人の旧来の仲である共通の友人について話題を振った。
「そういえば一時期お前と連絡つかないとき、あいつも心配してたぜ」
それほど深刻な響きを含まず高崎は告げる。俺は頷く。
「ちゃんと言葉をかわさないといけないだろうとは思っている。
それも俺からではなくあいつから切り出すかたちで。謝罪とか弁明じゃなくて改めて歩み寄らないといけない」
俺はけっこう友達付き合いは大切にする方だけど、自分でも驚くほど冷淡で割り切ったところがある。
単に惰性で時間を浪費する関係性なら、自分にも相手にも失礼だろうという信念がある。
初めて会う異性に対しても、長年の友人でもそれは変わらない。
高崎にも苦心して説明し、納得してもらう。
なかなか面倒だよな、人間関係は。
人間関係が面倒なのではなくて単に自分の考え方が面倒なだけだけど。
渋滞は続いて、車内はエアコンとラジオのBGM。運転席と助手席で言葉を往復させていく。
環八通りを平均時速40kmに満たない速度で進んでいく。
*
ランドマークタワーの真横に降り立ってから「さて、どこへ行こうか」と今更ながら相談する。
この辺りはわりとホームグラウンド。店も駐車場も大体把握している。
右折しても左折しても、直進したっていい。
せっかくだから「みなとの見える丘公園」まで行こう。
できるだけ海沿いのロケーションを通って。
普段よく知っている街並みでも、車道から眺めるとまた印象が変わる。
そういう視点の違いが舞台での役作りのインスピレーションにでもなればいいが。
展示場、観覧車、赤レンガ倉庫とお決まりのコースを辿る。
多種多様な人々が楽しげに、忙しげに行き交う様子を眺めるともなく眺める。
運転が日常動作になると信号をあまり信号として意識しなくなる。
ちょうど魚が時々水面で息継ぎをするみたいに。
生きるのに最低限必要な、それでいて重要な情報は記号化して無意識に埋没する。
人混みの中に知っている顔を見た気がした。
「ここらへんも学生のときよく来て遊んだよな」
高崎が懐かしそうにそう呟く。
確かによく来たよな。花火大会とか映画館とか。
もう一度人混みに目を向けると、そこには相変わらず多種多様な人々が行き交うだけだった。
山下公園を抜けて信号を右折すればそのまま丘公園だけどそのまま直進。
新山手の方から回り込んで、近代文学館を通り過ぎてインターナショナルスクール前の駐車場に車を寄せる。
高崎と山手の街道をぶらぶら歩く。それぞれ思い思いのことをしゃべる。
最近飼いはじめた犬のこととか面白かった映画とかとりとめのないことを。
横濱の街並みは綺麗だ。
海の向こう側との交易で栄え、工業地帯の需給を支え、都心のベッドタウンとして人が往来する。
廻る廻る車輪の下、深淵の底へと沈んでいく光をいくつも見てきた。
暗くなりかけた港湾地帯、ガントリークレーンの燈にそれを投影する。
*
外人墓地のあたりを一周したあと、十番館でお茶でも飲むことにする。
窓辺の席に通された俺たちはウィンナコーヒーとロイヤルミルクティを注文。
高崎はXだかブログだかに載せるための写真を撮影。
プライベートを切って貼り付けて「いいね」をもらう生活って大変だろうなと他人事のように思う。
一丁前に虚栄心で着飾っているわりに、自己顕示欲が全くと言っていいほどない俺は、スポットライトを浴びる場所に立つ気持ちを想像することしかできない。
元から格好いい奴がカッコつける職業って何なんだ?
カッコつけるのは格好がつかない俺みたいな冴えない奴がやることだろう。
「3年のときのクラスメート元気かな。全然会ってないや」
「俺も全く会ってないけどなぜかSNSで何人か繋がっている」
「意外とマメだよな、そういうところ」
「擬似的な繋がりは嫌いじゃない。どうせ共通点なんてほとんどない」
「みんなの近況は?」
「ちゃんと見ていないからわかんないけど、みんな仕事に子育てに楽しく忙しそうだよ」
画面をスクロールしながら答える。
それなりの更新頻度の人もいれば、見る専用と思われるアカウントもある。
ここでふと中退したクラスメート中川のことを話そうかと思ったが、言葉が迷子になって代わりにマイルドヤンキーのギャルのことを話題にする。
懐かしそうに笑う高崎は覚えているか知らないけれど、俺はあの頃は人間関係を維持するのに心を砕いていた。
例えばそのギャルはあからさまに彼氏を乗り換えることで有名で、どこからか俺の連絡先を聞きつけてアプローチしてきた。
適当にあしらうと今度は高崎の連絡先を聞いてきたので、それを断ったという経緯。
自分がアピってダメだった相手の友達にすぐ手を伸ばす人の神経って今もってよくわからないのだけれど。
当時は俺→高崎、あるいは他のクラスメート→俺→高崎という風に逸れていく現象があって、
それは高校を卒業して大学2年になるくらいまで続いた。
正直ちょっとうんざりしていて、少し高崎とも距離を置きたくなったのは事実だ。
モテる=不特定多数の異性の好意を受ける、と定義するとして。
それに憧れて羨ましがる人の気が知れない。
生まれついての人たらしとか客商売で食っている人からすれば当然なのかもしれないが。
今の仕事を続けるってどういう感じなのかを尋ねてみる。
しばしの沈黙のあと高崎は切り出す。
「何かを志すには強い決意とその裏には同じくらい強い動機が必要だ。
こんな世界に身を置いていると挫折したり、退場を余儀なくされる人をたくさん眼にするんだ」
俺はその言葉に神妙に頷く。
「折れたり負けたりしてはいけないっていうことじゃない。逃げてなんとかなるときは逃げればいい。
ただ続けるにしても退くにしても、その意思決定の裏にある自分の気持ちが大事。
何事においてもそうだと思うけどさ」
端正な横顔は日がすっかり沈んでシルエットになった墓を見るともなく見ていた。
目の前には残り半分になったカップがある。
あと半分しかないのか、まだ半分もあるのか。どちらなのかはわからない。
今この瞬間に全てが詰まっているのならば、ただここにこうしていればいい。
窓の外ではヘッドライトが往来を通り過ぎていく。
いずれにしても過ぎ去った時間はあくまで過ぎ去った。
紺碧の空に果てしなく星が瞬いて、ランドマークタワーは季節外れのイルミネーションみたいに煌めいている。
俺は窓に向かって指を広げ、その間から光を見る。
今なら手を伸ばせばそれを掴めるような気がする。
平成プロレタリアート as @suisei_as
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