再生

 いつになく観念的で取り止めのないストーリーライン。

記憶と思い込みが混じり合った現実がフィクションになる。

予定調和の筋書きを読み込んで空想が現実に溶け出していく。


 眠りにつく前に途中停止していた無害なバックグラウンドミュージック。

不規則な生活にリズムを与えるには音楽が必要だ。

一時停止ボタンを押したのと同じ指を使う。

再生ボタンを押す。



 起床時間は7時15分。

深夜2時にベッドに潜り込んだにしては上出来だ。

奇妙な一日のはじまりはたいてい閃きのような思いつき。

直感的にみなとエリアに行きたくなり車を走らせた。


 途中、リピートしているエステに立ち寄った。詳細は月並みなので割愛。

放精はしない。ほとんどの場合は驚かれる。

基本的には射精自体は気持ちがいいものではないし、後先を考えると面倒だから仕方がない。


 また同じことを繰り返すだけだから、今はひたすらに日数を積み上げる。

何がこの身体を衝き動かすのだろう。

基本的に雪かきと同じ。

肌のふれあいと言葉のやりとり。非言語と言語コミュニケーション。


 享楽的雪かき。

やらなくてもいいけれどやった方がいいし、実際的にはほとんど義務のようなもの。

では何が精の温存へと駆り立てるのだろう。

基本的には防災と同じ。

やらなくてもいいけれどやった方がいいし、実際的にはほとんど義務のようなもの。

まあ今回の本筋(そんなものがあるとするならだけど)とは外れるのでここまでにしておく。


「あなたって少し変わってるね」下着を直しながらセラピストは告げる。

変わっているかもしれないし、違うかもしれない。

あくまで統計的な問題だ。分母に対して私がどこに含まれているか。


 それを見つけるための旅だ。そう、これは旅なのだ。

洗い込まれたデニムのようによく馴染んだ道、街並み、人々。そう言ったものと再び出会っていくのだ。

ある意味で私はもう一度生まれてきたみたいに。

もう一度、止まっていた時計の螺子が巻かれて動き出すように。



 16時。日の光を雲がほどよく遮って、潮風がほどよく涼しい。

新山下まで走ってトンネルを迂回して港の見える丘公園。

外人墓地を眺めながらティータイムにしたかったが、あいにく営業時間外。

細い路地を抜けた際に自転車を避けた。電信柱に掠ってサイドミラーが粉々に砕けた。

幸い怪我人はなく車も致命傷には至らなかった。


「何をやってもうまくいかない」


そういうことってある。長い目で見るとそれも含めて大きな一枚絵になる。


 17時30分。待ち合わせていた友人と落ち合った。

中華街で小籠包と麻婆豆腐を食べる。

白米とフカヒレスープに漬物もついてくる。

過不足ない中華料理。観光客向けの最大公約数的な満足感。

オーダーを取りに来た女性店員がとても美人だった。


「忘れられない風俗体験って誰もが持っていると思う」


「個人的には数年前に3回リピートした待ち合わせ型のホテヘル嬢のビビが忘れられない」


「そうなんだ。例えばどういう風なところが忘れられないのだろう」


「表現するのが難しいけれど過不足がないんだ。ちょうどこの中華定食のように」


「中華定食のようなホテヘル嬢」


「するりとパーソナルスペースに潜り込むけれど、決してお互いのプライバシーには触れない。背格好と顔と性格のアンバランス感が自然で話していてとても心地よかった」


「俺もちょうど昨日そういった体験をしたよ。風俗のための風俗ではなくて一種の刹那的な裸のやりとりがあるんだよな」


「二度と会うことがないとわかっているからこそ、それができるのかもしれない」


「たとえ思い出補正込みでも」


「そういった名前のつけられない思い出の数々を後生大事に抱えて生きていくしかないんだろうね」

 

 早めの夕食の話題に相応しいのかどうかはわからないけれど、私たちは大体そのようなことを語り合った。


 私たちにはいくつかの共通点があって、そのうちの一つが「他人を偏見を持って受け入れる」という点。

裏を返せば偏見が持てないような関係性なら、一旦は個人的な評価を保留にする。

思い込みで動くのではなく、思い込みに動かされているということを自覚している。


 この二つは似ているようで微妙に、そして決定的に異なっている。

周囲に馴染めず孤立したり、衝突したり、あるいは過剰適応して自らをすり減らしたりする。

くだらない共通点を言葉にしてアウトプットする。

風俗で出会った名前も出自も知らない、声も感触も匂いも色褪せた記憶を情緒だと言い切れることも

美徳とも言える素晴らしい共通点だ。


 加えて、くだらない私小説をここしばらく書き殴っている、ということを伝えた。

いつか北海道旅行をしたときの俺の体験談もぜひ使ってくれとのことだった。

例によってそれは今回の本筋はその話ではないから、別の機会にそのことも書ければいいと思う。適当に脚色して。


 店内が混み始めたのでお会計。ここは彼の奢り。

特にすることもないから、元町をぶらぶらと当てもなく歩く。

スターバックスでチャイティーラテのトールを二人分注文。これは私が支払う。

適当に冷やかしながら街並みを通り過ぎる。


 有名な私立女学院の生徒がテラス席で笑い声をあげる。

忘れるくらいくだらない眩しすぎる日々。

今ここでこうしていることも、いつの日か思い出す時がくるのだろうか。



 18時45分。夕日は沈んで空は濃紺。

丘公園近くの駐車場から本牧方面まで降りる。

産業道路を走る。港湾の倉庫や工場地帯のあかりが線になって後方へ伸びていく。


 車内では控えめな音量の邦ロック。

オクターヴ奏法の間奏がやたらと長かった時代。古き良き2000年代。

僕たちはしかし前に進まなくてはならない。

国道沿いのドライブスルーでハンバーガーとポテトのセットをテイクアウト。

夜食用にするのだそうだ。車内に揚げたての香りが満ちる。


「長旅で疲れただろう。車のミラーも割れている。今日は泊まっていくといいよ」


すると彼は助手席で郊外にある寂れた旅館に電話をかけて、予約を取り付けてくれた。

礼を言って家まで送り届ける。


「明日は一日ヒマだからよかったら声かけてくれ」


帰り際にそう言ったので、そうすると答えてクラクションをひとつ鳴らして国道まで戻る。



 宿はわかりづらい死角にあった。

受付で鍵を受け取り、朝食の会場やアメニティについて簡単な説明を受ける。


「宿泊者は銭湯が無料で入れるのでどうぞ」


礼を言って部屋に入る。

バッグとカメラを床に置いて、ジャケットをハンガーにかける。

さっそく併設されている銭湯へいく。


 番台には朗らかなおじさん。古き良き昭和時代。

タイムトラベルしたような感覚。

ロッカーの上は本棚になっていた。

カフカの『異邦人』、ピーター・ストラウブの『ヘルファイア・クラブ』ビリー・レッツの『ハートブレイク・カフェ』などなど。

目についた書籍のタイトルは何かしら象徴的な意味があるのかもしれない。

意味なんて見出そうとしなければ、あるいは存在しないのかもしれない。

ひと風呂浴びる。古き良き銭湯。



 22時10分。部屋の中は沈黙がうるさかったので、外を歩き回ることにした。

財布とスマートフォンと持ってきていた読みかけの本だけ持って。


 ぬるい夜風が心地いい。

通りを歩いていると体が透き通って溶けていくような錯覚に陥る。

耳障りな低音が漏れ聞こえる自動車。飲み会帰りの集団。

無機質なアパートメント。照明が落とされたダイニングバー。

女子大生、アベック、消防車、酔っ払い。

更けた夜に並んで進む無秩序。

何もかもがくだらない、低俗なものに見えてくる。

何のために皆、日々を生きているのだろう。

ゴールドのピースに火をつけてふかす。

吐いた煙が夜に溶けていく。



 当てもなく歩いていると道路沿いにデニーズがあった。

24時まで営業しているとのことで扉をひらく。

店内は騒々しい。

ちょうどひとりで過ごすにはうってつけだ。

もし今僕が全ての人の記憶の中から消え去ったとして、誰も困らないだろう。

悲観的でも自嘲的でもなく事実だ。


このくだらないストーリーに本筋があるとすると、ひとつめのアンダーライン。


”僕はこの世界に含まれている実感がない”というのではない。

”この世界に僕は含まれていない実感がある。”


 この二つは似ているようで微妙に、そして決定的に異なっている。

翠ジンソーダが先に運ばれてきたのでひとくち飲む。

本のページをめくっているとアメリカンクラブハウスサンドが運ばれてきた。


 時々笑いが込み上げて、ぶつぶつと独り言をいい、気に入ったセンテンスはメモする。

ほろ酔いの頭が文章を再構築していく感覚が心地いい。

皿は空になって、ジンソーダが半分になり、アメリカンコーヒーを2回おかわりした。

気が付くと客はいなくなって僕一人になっていた。

店内に無害なジャズミュージックが静かに流れていた。



23時45分。閉店15分前に席を立って勘定を支払った。


「遅くまで悪かったね」


「とんでもございません。またのお越しをお待ちしております」


よく訓練された営業用のスマイル。僅かに個人的な響きを聞き取った。

眠気がまったくなかったので海沿いをぶらぶらと歩く。


 途中、髭剃りを買うためにセブンイレブンに立ち寄った。

ナッツと缶ビールとさっきデニーズで頼んだ翠ジンソーダをカゴに入れる。

会計を済ませてまた当てもなく歩く。

住宅街を抜けてボートが停泊している波止場についた。

騒音のないプライベートな空間。

タバコに火をつけて缶ビールを飲む。

自分に酔って黄昏れていると思われたくはない。

人目につかない場所が見つかってよかった。



 星のない夜空が水面に映っている。

僕はいったい何をやっているんだろう。

まともに考えられないときは、まともなことをしていてはいけない。

どこを切り取ってもくだらない。

価値のないことを延々と繰り返している地獄のようなところだ、ここは。


 目の前に広がる現実がそっくりそのまま。美しくて醜いすべてが記憶と混ざり合う。

全部欲しいけれど何もいらない。どうでもいいことはどうでもいい。

くだらないことはくだらない。わからないことはわからない。

そのまま受け入れれば実像と虚像が一致する。

再び生まれてくることができる。



 0時30分。寂れた宿の一室が妙に懐かしく好感が持てた。

2時間ほど前にこの部屋を出て行った僕とは既に別の人間になっていた。

あるいは元の世界線に戻ってきただけなのかもしれない。


 深夜3時を回るまで眠気はやってこなかった。

それまでジンソーダをちびちびと飲んで、ナッツを齧りながら本を読んで過ごした。

新聞配達のバイクの音が聞こえてきたので明かりを消してベッドに潜り込む。

硬いマットレスと高すぎる枕、短すぎる羽毛布団。

決して友好的とは言いがたい。けれどなぜか心地よい。


 なぜだろう。閉じた瞼から涙が溢れてきた。

泣いている?これは私の個人的な涙ではなかった。

私の身体を通して表現されているだけの、いつかどこか誰かの何かだった。

ちょうど文章ではいかようにでも書き表わすことができるのと似ている。

私の身体を通じて世界が表現されているのだ。

寂れた宿で飼っている猫が翻るように外の生垣を飛び越す音が聞こえた。


 明け方3時20分。観念的な思考が堂々巡りをする。

主観を通じて得られた経験が個人の世界だとして、それは客観を通じて元きたところへと回帰する。

個人的な経験が観察されることで回収されていく。

何のために皆、日々を生きているのだろう。

行き先も宛先もわからない。

今ここでこうしていることも、いつの日か思い出す時がくるのだろうか。



 6時20分。寝坊したかと思って飛び起きたけれどまだ3時間も経っていなかった。

二度寝してから1時間後に起床。

顔を洗ってコンタクトレンズを入れる。

びっくりするほど視界が澄み渡っている。体の調子もすこぶるいい。

朝食の会場へ足を運ぶと、僕一人しかいなかった。

食べていると調理の担当と思しき奥さんがやってきた。


「おはようございます。旅行でいらっしゃったんですか」


「友人を尋ねてきたのですが遅くなったので泊まらせていただきました。以前この近くに住んでいたことがありますよ」


「そうでしたか。ではこの辺はご存知なんですね。今日はどんなご予定?」


「天気がいいので観音崎あたりまで行って、海を見てこようかと思います」


「それはいいですね。気をつけて行ってらっしゃいませ」


 朝食の会場を後にして、部屋で荷物をまとめて、フロントでチェックアウト。

車のエンジンを始動させたときに気づいた。

今朝から感じていた違和感の正体。

望まない現実が展開することによるストレス。

日常に紛れ込んだ非日常。


「過去の自分より更によくなる」ことを目指すには自ずと

「未来の自分よりはよくない自分」を再生し続けないといけない。


どこにも行けない。首が回らなくなる。

いっそのこと願ったこともない現実を受け入れる。

寂れた宿の一角で良好とは言えないベッドに横たわる。

マイナスを偶数回かけたようなものだ。

災い転じて福となす。人間万事塞翁が馬。

再び生まれてきたみたいに生命力を取り戻している。


「うまくできてるよな」


誰に言うのでもない独り言。



 9時30分。意外にも道は空いていて、スムーズに浜辺まで向かうことができた。

このくだらない旅も終わりに近づいている。


 持参したカメラで数枚写真を撮って、スマートフォンでも何枚かおさめる。


「1時間後にピックアップしにいく」


中華街で飯を食べたばかりの友人に電話。

来たときとは違うルートで迂回して、海沿いを走って横浜方面へと戻っていく。

雲のない青空が水面に映っている。


 車内では控えめな音量の英国ロック。

必ずギターソロがひとまわしあった時代。古き良き時代。


 このくだらないストーリーに本筋があるとすると、ふたつめにして最後のアンダーライン。

幸運の導きなんて存在してない。その人の目の前で常に明かされている。


 世界と心の働きの関係性は、合わせ鏡に似ている。

物理的には反射率100%の鏡は存在せず、真空以外では空気が光を屈折・散乱するため映し出される像は有限だという。

物理的な制約のない世界では文字通り無限回廊のように像が展開する。

その広がりに一挙手一投足を追従させて疲弊していき、ついにはエネルギーを使い果たしてしまう。


 もっと簡単な話をしよう。

カフェテーブルで談笑するひととき。

ふたりの人間が、同じ方向を向いて座っている。

客観的にはほとんど同じ体験をしていると言っていい。

主観的にはまったく違う体験をしていると言える。

時空間を共有して、極めて近いところにいても視点が違う。

わたしという特異点が違う体験を可能にしてくれる。


 織り重なっている世界。

違う場所、違う時間軸で異なる体験をして別の感情を抱く。

その事実が共通項となってふとした拍子に強烈に引き合う。


 織り畳まれた世界。

リトライ上限:無限回数の設定で出会っては離れていく。

会者定離。愛別離苦。うまくできているよな。


時間は距離に依存して、速さは伸び縮みする。

関係性はそれぞれの位置に応じて変化する。



 10時15分。酔ってもないのに、観念的な思考が堂々巡りをする。

国道16号線のトンネルに入る。

右手左手、右足左足。心臓と呼吸はオートマティック。

ようやく取り戻せた感覚に少し戸惑いながら、光の中に飛び込んでいく。



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