第13話 まるで恋する乙女のように。


 私が図書館に行った次の日。


 オリヴェルさんが言った通り、朝食にフィテーラが提供された。


 昨日とは具が違っていて、とても美味しいと思うけど、夜に考えていたことが頭に残っていて、味わう余裕がなかった。


「あの、何か私がしなければならないことって無いんですか……?」


 私は朝食を食べ終わった後、オリヴェルさんに聞いてみた。


 元の世界のお話では、瘴気を浄化して欲しいとか、魔物を倒すのに協力して欲しいとか、何かしらの理由があって、異世界に召喚されている。


 だから私を召喚したオリヴェルさんにも──この世界にも、何か困ったことがあるんじゃないかな、って。


「いえ。リーディア様は何もされなくて結構ですよ。図書館へ行くなり、庭園を散歩するなりお好きにお過ごしください」


「……え」


 まさか何も頼まれないとは思わなかった。


 思わず絶句する私に、オリヴェルさんは優しく微笑んだ。


「リーディア様がこの世界に存在してくださるだけで──それだけで十分です」


 オリヴェルさんはそう言って、私の手をそっと取った。


 まるで、大切な宝物に触れるかのように。


「私は──」


 オリヴェルさんが何かを言いかけたその時、きーくんのブレスレットがシャラ、と音を立てて揺れた。


 オリヴェルさんの視線が、ブレスレットを捉える。


「……この腕輪は、元の世界のものですか?」


 オリヴェルさんにブレスレットのことを聞かれただけなのに、何故かどくん、と胸が跳ねた。


「あ、はい……。ここに召喚された時、付けていたものですけど……」


 私の声が聞こえているのかいないのか、オリヴェルさんはじっとブレスレットを見続けている。


「ずっと身に付けたまま外されていないとは……随分と大切にされているのですね」


「──っ、はい……っ。記念日に貰った物ですし、とても気に入っているので……っ」


 私は何とか動揺が伝わらないように努めて返事した。


 経験したことがないほどの緊張感に、私の心臓の鼓動が速くなる。


 何故かこのブレスレットをくれたのがきーくんだということだけは、彼に知られちゃいけない──そんな予感がしたのだ。


「……うむ。……気のせい、か。……ああ、これは失礼しました」


 オリヴェルさんはそう言うと、ずっと握っていた私の手を離した。


 と同時に、緊張が解けたのか、身体の力が抜け落ちそうで。


 ものすごい重圧に、未だ恐怖で心臓が震えている気がする。


 オリヴェルさんはただ、ブレスレットを見ていただけなのに……。


「この神殿の中でしたらどこへ行かれても構いません。ですが、くれぐれも外へは出ないでください。とても危険ですからね」


「……はい」


 私はただ一言、返事をするだけで精一杯だった。





(……はあ〜〜。それにしても困ったなぁ……)


 私は声に出さないように、心の中で盛大なため息を吐くと、机の上に上半身をうつ伏せにして、だらしなく寝そべった。


 神殿から出ない限り、何をしていても良いと言われた私は、お言葉に甘えて今日も図書館にやって来ている。


 神殿の中を見て周りたいと思っても、この神殿はとにかく広い。


 窓から見える景色が、丸っと神殿の敷地だと聞いた時は、あまりの広さに驚いたほど。


 そんなに広いところに出れば、方向音痴な私が迷子になるのは目に見えている。


 だったらこの世界にもうちょっと慣れてから神殿を歩き回ろう、と思ったのだ。


 私は身体をのそのそと起こすと、カップにお茶を注いで口に含む。


 お茶を飲んでみると、身体に水分が行き渡っていく感じがして、自分の喉が渇いていたんだと気付く。


「……ふう」


 お茶を飲んだからか、ずっと速かった胸の動悸が、ようやく落ち着いてくれた。


 私は机の上の本を一冊手に取った。


「さあ、昨日の続きを読もっと」


 そして、ワザと大きな声で宣言した。


 ──誰もここにはいないのに、誰かに聞かせるように。


 どうしてこんなことをしているかというと、フィテーラの件で感じた違和感が疑惑となって、ブレスレットを見たオリヴェルさんの言葉で確信したから。


 ここの会話──もしくは私の声を、オリヴェルさんもしくは他の誰かが聞いているんじゃないか、と。


 元の世界でいう盗聴器のようなものが、この世界でも存在するのかも。


 ……それとも、そんな魔法があるのかもしれない。


 もし私の予想通りなら、これからの発言は気をつける必要がある。


 でも私は昨日、絶対に元の世界に帰る、と口に出してしまった。


 その言葉すら、聞かれてしまっていたら──。


 私を元の世界に帰したくないオリヴェルさんは、きっと邪魔をしてくるはず。


 ……何か方法を見つけなきゃ。


 だけど、方法といっても私には知識が無い。


 やっぱり私はここで、足りない知識を補う必要がある。


 ──そして、私を助けてくれる仲間も。





 私はベルを鳴らし、ヘリヤさんを呼び出した。


「ヒナタ様、お呼びでしょうか?」


「お忙しいのにすみません。お願いがあるのですが」


「何なりとお申し付けください。神官長様より便宜を図るよう指示されていますので」


「じゃあ、神聖力や魔力について詳しい方はいませんか? 出来れば女性の方が良いんですけど」


 私がこの世界で使えるものと言えば、神聖力ぐらいだ。


 量だけはあるみたいだから、使いこなせるようになっておきたい。


「女性の方、ですか? 神官長様がここでは一番詳しいと思いますが……」


「そう思いますけど、オリヴェル様は美しすぎて……。その、気になって勉強に集中出来ないかも、しれませんし……」


 私はちょっと恥ずかしそうに、照れ気味に言った。


 まるで恋する乙女のように。


「ああ! そうですよね、わかります! 私なんて神官長様にお会いすると、未だに緊張してしまいますもの! わかりました、心当たりがあるので聞いてきますね」


「有り難うございます! よろしくお願いします!」


 ヘリヤさんを見送った後、私はホッと胸を撫で下ろした。


 どうやら上手く行ったみたい。


 彼女はきっと、私がオリヴェルさんに好意を持っていて、恥ずかしくて別の人にお願いした、と思ってくれたはず。


 ちなみに、照れるフリをした時はきーくんのことを考えた。


 そのおかげで、大女優並みの演技力を発揮出来たかも……なんて。


 本当はオリヴェルさんに教えてもらうのが一番だとは思う。けど、あの人は信用出来ないから。


 それに、オリヴェルさんはリーディアに強い執着を持っている。


 未だに私を「リーディア様」と呼ぶぐらいだし、何より何万何億もの世界から私をみつけたのだ。


 きっと並々ならぬ想いがあるんだろうな、と思う。


 そんな想いが強ければ強いほど、私を懐柔するためには手段を選ばない……そんな気がする。


 だから、なるべくあの人とは距離を置きたいけれど……どうしても食事は一緒になってしまうんだよね。


 とりあえず、賽は投げられた。後は自分で道を切り開かなきゃいけない。


 私はヘリヤさんが先生を連れて来てくれるまで、本を読んで待つことにした。





 しばらく読書していると、ヘリヤさんが図書室に戻って来た。


「ヒナタ様、お待たせしました。こちらミシェレ様です。このドレクスレル神殿の筆頭書記官様なんですよ」


 ヘリヤさんが連れて来てくれたのは、眼鏡をかけた壮年の女性で、とても上品な人だった。


「は、初めまして! 私はえっと……姫詩と申します」


 私は慌てて立ち上がってお辞儀した。


 神殿の筆頭書記官って……! 役職名を聞くだけで、とても偉い人なのだとわかる。


 まさかヘリヤさんが、そんなにすごい人を連れてくるとは思わなかった。


「あぁ……! 貴女様がリーディア様の御魂をお持ちのヒナタ様なのですね……!」


 ミシェレさんが、私を見て目を潤ませている。


 まるで、大ファンの推しに会ったかのような表情だ。


「あ、えっと……」


 オリヴェルさんからそう言われているけれど、私自身に自覚がないので返事に困ってしまう。


「お会い出来て光栄です! まさか目の前に伝説の大聖女様がいらっしゃるなんて……! ああ、この感動をどう表現すれば良いのかしら……っ」


「でで、伝説……っ?」


「ええ、ええ……! 大聖女リーディア様はこの世界を救われた、偉大なお方なのですよ……!」


 リーディアがすごい力を持っている、というのは知っていたけど、まさか世界を救っていたとは思わなかった。


「あの、私にはリーディアの記憶がなくて……。出来れば別人だと思っていただけませんか? それと、その時のお話をお伺いしたいんですけど……」


「ええ、もちろんですとも! リーディア様の武勇伝は物語にもなっているのですよ」


「も、物語?!」


「ええ、そうです。大聖女様と魔王様の物語は、世界中で愛されていますよ」


「え……っ」


 私はミシェレさんの言葉に──”魔王”という言葉に驚いた。

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