第8話 意味がわかりません!

「あの……っ、ここは何処ですか? それに私は普通の高校生で……っ、聖女なんかじゃ──!!」


 私の心の中で、嫌な予感がどんどん大きくなっていく。


 まさかまさか、私が異世界転生……じゃない、転移? 召喚? された訳じゃないよね……?


「突然のことで驚かれているのですね。どうか落ち着いてください。私はオリヴェル・アスピヴァーラと申します。このドレクスレル大神殿で神官長を務めさせていただいております」


 オリヴェルと名乗る人が自己紹介をしてくれるけれど、私の頭の中は疑問でいっぱいで、何か何だかわからない。


 ドレクスレル大神殿? 神官長? どれも日本では馴染みがないものばかりで。


 そもそも、オリヴェルさんが話す言葉は日本語じゃないのに、何故か私はその意味を理解出来てしまっている。


「な、何で……っ! どうして私はここにいるんですか? 私は聖女じゃありません! 元の場所に帰してください! きーくんに会わせて……っ!!」


 私はオリヴェルさんに向かって必死に叫んだ。


 夢なら覚めて欲しいと本気で思う。


 ──でも、今のこの状況全てが、ここが異世界だと示していて。


 私は漫画でもアニメでも、異世界転生モノが大好きだった。


 でも、それはあくまでも娯楽として好きなのであって、自分がそうなりたいと思った訳じゃない。


「いえ、姿は変わられても貴女様は間違いなく、この国の聖女──いや、大聖女様で在らせられます! その虹色の神聖力が証です!」


「……え?」


 オリヴェルさんの言葉を聞いて自分の身体を見てみると、不思議な光に包まれていることに気がついた。


「なっ?! なにこれっ?!」


 ぼんやりとした虹色の光が、私の鳩尾あたりから湧水のように溢れている。


 これが神聖力……? 確かにすごく神々しいと思うけど……。


「さすがは<渺渺たる世界を包み込む大聖女>と称されるだけありますね。その膨大な神聖力……素晴らしい……。いつ見ても惚れ惚れします……」


 オリヴェルさんが神聖力という光を見て、感嘆のため息を漏らす。


「……え? 何それ……っ! 意味がわかりません! 私を元の世界に帰してください! お願いします!」


 聖女とか神聖力とか、そんなこと言われてもすごく困る!


 私はとにかく元の世界に帰りたくてたまらない。


 きーくんに会いたくてたまらないのに──!!


「元の世界、ですか? 貴女さまの仰る元の世界こそ、このアールデルスなのですよ?」


「は……? アールデルス……?」


 オリヴェルさんはこの世界のことをアールデルスと呼んだ。


 そんな聞き覚えがない世界のことを、元の世界なんて言われても、全く意味がわからない。


「どうしてここが元の世界になるんですか?! 私がいた世界は地球です……! それに何度も言いますけど、私は聖女じゃありません!」


 私は何度も何度も否定する。


 そうしないと、この世界から抜け出せないような気がするから。


 断固として聖女と認めない私の態度に、オリヴェルさんが悲しそうな顔をする。


 そんな悲しそうな表情でも、オリヴェルさんは綺麗だな、と頭の隅で思う。


 ……だからと言って、絆されるつもりは絶対に無いけれど。


「貴女様はその命と引き換えにこの世界を守られた、大聖女リーディア様で間違いありません! 我々……いや、私はずっとっ! 貴女様の御魂を探しておりました! 貴女様がこの世界から去られたその後も、ずっと──!!」


「──え……っ?」


 私はオリヴェルさんの言葉に驚愕する。


 もう何回驚いたのかわからなくなってきた。


 全く身に覚えがないのに、そんなこと言われてもすっごく困る。


「でも、私には全く記憶がないんですけど……?」


 ここで前世の記憶でも蘇ればいいけど、全くそんな気配はない。


 前世の名前らしい「リーディア」という言葉を聞いても、何も感じないし。


「それこそ、貴女様が……リーディア様が神に愛された証です。神の祝福により、リーディア様の記憶は天上界に召し上げられたのですよ」


 ……どうやらこの世界の神様の祝福は、記憶を失うことらしい。


 そういえば、以前誰かが言っていたっけ。


 ──忘却は神様からの贈り物、だと。


 忘れちゃいけないことはたくさんあるけれど、それでも忘れられたからこそ、前向きになれることもあると思う。


 もしその贈り物がなければ、辛かったこと、悲しかったこと、嫌だったこと……。そんな記憶が永遠に薄れることなく続くことになってしまう。


 そんなの、とても耐えられる気がしない。


「もし、もし私がそのリーディア……さん、だとしたら、どうやって私に気付いたんですか? それに、ずっと探してたって……っ、どうして……?」


 もし同じ世界なら、神聖力とかあるファンタジーの世界なんだし、特定の人を探すことは可能かもしれない。


 だけど、私はこの世界の人間じゃない。


 それなのに、世界を越えてリーディアの魂を探すなんて、そんなこと可能なのかな?


「私は貴女様が生前よりずっと身につけておられた、首飾りに残った魔力の痕跡を追っていました。幾千幾万……それよりも遥かに多く存在する世界の一つ一つを辿ったのです」


 多く存在する世界……? それってファンタジーやSFに出てくるような”並行世界”や”世界線”みたいな概念かな?


 物理学のことはよくわからないけれど、一つ一つ世界を探し回るなんて、途方も無い時間だったんだろうな、ということはわかる。


「幾多の世界を巡り、リーディア様の痕跡を探しました。しかしいくら探してもリーディア様の御魂は見つからず、まるで果てしない暗闇を彷徨うかのように、暗澹たる気持ちでいたのです」


 こんな世界がいくつあるのか、私には想像も出来ないけれど、オリヴェルさんは気が遠くなるような作業を、諦めることなく続けていたらしい。


「私の力があと少し足りなければ、私の魂はそのまま時空の闇へと消えていたでしょう。しかし私は暗闇の中で、とうとう懐かしい光を──ずっと追い求めていた歌声をみつけたのです」


「え……っ」


 オリヴェルさんはその時のことを思い出したのか、胸に手を当て、感動に浸っている。


 だけど私の胸に、オリヴェルさんとは反対の、絶望に似た不安な気持ちが湧いてくる。


 何故なら、オリヴェルさんが言った「みつけた」という声に、聞き覚えがあったからだ。


「え……。歌声で、私をみつけた……?」


 私は恐る恐るオリヴェルさんに尋ねた。


 その答えが、私の考えと違いますように、という願いを込めて。


「はい。私は確かに闇の中でリーディア様の懐かしい歌声を聞きました。初めて聞く歌ではありましたが、私は確信しました。この歌はリーディア様が歌っているのだと。そして私は歌声の光を辿り、貴女様をみつけたのです……!!」


 私をみつけたオリヴェルさんは、その位置を<印>で記録すると、召喚の魔法陣を描いて私をこの世界に喚んだのだと、嬉しそうに教えてくれた。


「だからって、勝手に喚ばれても困ります!! お願いですから私を元の世界に帰してください!! 喚べるのなら、帰すことも出来ますよね……?」


 オリヴェルさんにとって、大聖女だったというリーディアがどんな存在だったのか、私は知らないし、憶えてない。


 ものすごく苦労して苦労して、リーディアの魂を見つけたんだろうけど、私に記憶がない以上、それはただの迷惑行為だ。


 だからオリヴェルさんには申し訳ないけれど、元の場所へ──きーくんがいる世界に帰りたい、と切に思う。


「……それは出来ません。私が印をつけたのは貴女の”声”ですから。目印がなければ、その世界を辿るのは不可能でしょう」


「そんな……っ!」


 微かに抱いていた期待も希望も、残酷な一言で、無惨に打ち捨てられてしまう。


 ──もう二度と、きーくんに会えない……?


 私はオリヴェルさんの言葉に絶望する。


 もう、元いた世界に──きーくんだけじゃなく、お父さんとお母さん、優希ちゃんに玲緒奈ちゃん、楓怜ちゃんや学校の友達、宇賀神さん達──親しい人たちと、もう二度と会えないなんて……!


 考えれば考えるほど、会えない悲しみと戻れない苦しみが、ぐちゃぐちゃになって私の心を掻き乱す。


「……っ、う、うぅ〜〜……っ」


 ずっと涙を堪えていたけれど、我慢出来なくなった私はとうとう泣いてしまう。


 心が痛くて痛くて仕方がない。


「リーディア様……! どうか悲しまないでください……!」


 オリヴェルさんが泣き出した私を見て困っているけれど、悲しまないで欲しいなら、私を元の世界に帰して欲しい。


 私の望みはただそれだけなのに──!!


 それなのに、私の気持ちを知っているはずのオリヴェルさんは、無慈悲にも悲しむなと言う。


「……今は悲しいでしょう。しかし、貴女様には神の祝福が与えられていますから……。きっと元の世界のことも、綺麗さっぱり忘れられますよ」


 オリヴェルさんはそう言うと、綺麗な顔で微笑んだ。


 だけど私はその笑顔を見てゾッとする。


 何故なら、彼の瞳のその奥に一瞬、仄暗い何かが見えたからだ。


 ──それは物語に出てくる”魔王”を彷彿とさせる、得体の知れないモノだった。

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