【幕間】 妖魔は永遠の虚空の中で  

 大天使の血筋に覚醒したミハエルの神威の波動を受けた堕天使ルシルフィルは光の中に消え去るかに見えた。しかし、ミハエルの覚醒も完全なものではなかったのだろう、ルシルフィルは魔術空間を爆破させ

 ミハエル

 レヴァント

 セメイオチケ

 ヒクセルキルプス

 奇しくも四人の王国騎士団たるものを時空の彼方へ吹き飛ばした。


 魔術空間には堕天使の禍々しき息吹だけが残り、やはり漆黒の瘴気が残滓としてはかなくも漂うのみだった。



 □


『セメイオチケ・永遠の荒野と剣の墓場』


 セメイオチケは砂のような感触に肌を擦られ、砂利と石の乾いた地面に叩きつけられる。

 美麗な龍と蓮の刺繍が施された深紅の民族衣装チャイナドレスは、所々がほころび擦り切れてしまった。


 彼女が無心の瞳を開くとき、心の目が捉えたのは乾燥しきった無限の砂漠だった。

 暗い風だけが悲しみの音色をもって吹きすさび、憎しみを吸った灰色の砂が舞い上がっている。

 そこは太陽の光が一切届かない冷え切った、闇の荒野とも言えた。


 :ここは、どこだ

 

  また……闇か


 ―――― 剣を……


 念じることで二振りの剣

 :セニフィエ

 :セニフィアン

 その手にあらわれた。


 剣の術技を極限まで極めんと修行の時を得るため、人間としての生を捨て妖魔に再生した。

 神界の存在たる堕天使ルシルフィルを斬る為、視力と声と人としての記憶を覚悟の犠牲として神界に捧げた。


 セメイオチケの心の奥底ともいえる死と闇の響く荒野。

 

 周囲の気配を感じ取る。

 はるか空からは剣の交差する金属音が聞こえる。これは古い戦いの記憶の響きなのか。

 無数の黒い剣が雨のように天より降りそそぐと、何事も無いように彼女は二振りの剣で全てを振り払う。


 剣が……

 剣が……


 無心の心にともる赤い火はただ復讐の火。

 それが闇のなかで彼女を動かしてきた。


 :ルシルフィル、必ず貴様を斬る


 二刀の剣先に宿る感覚のみが彼女を導く唯一の道標。今も無心の彼女の心は、堕天使を斬るその瞬間だけを見つめている。



 ―――― これはセメイオチケの深き心の世界


 はるか歴史の彼方に埋もれた王国騎士団長は、哀しみと憎しみの荒野を、団員の怨嗟を背負い永劫に歩き続ける。

 

 彼女を呼ぶ声が聞こえぬ限り。


 □


『ヒクセルキルプス・異次元の森、そこは崩壊した時の狭間』


 時間と空間がねじれ、破壊されていく異次元の森。

 そこが超越的魔術師ヒクセルキルプスの飛ばされた先だった。


 緑あふれる不思議な森だった。

 芽を出した枝は葉を茂らせたと思うと一本の幹を形作り大樹となる。しかし、中には枝を体内に引き込むと地面に向かって沈み込んでゆき種の姿にもどる物もあった。 

 光は吸い込まれるように天にもどり、闇は晴れわたり明瞭なものへと姿をかえるが、再び元の闇へと形を戻す。


 視界が無限に歪み、巻き戻されては再びすすみゆく。時の流れも、空間の構成もすべてが異常に混ざり合って現実を狂わせている。


「時間の狭間に落ちたか」

 ヒクセルキルプスはルシルフルとの戦いでボロボロに破れた黒と紫のローブをかき寄せた。ローブに刻み込まれた古代の紋様がその破れを再生し彼の体の傷を癒した。

 失われたという神とも戦い得る古代の魔術。

 その力を求めた彼は伝説の妖魔『ヒクセルキルプス』と同化し人間をはるかに超える寿命を手にした。

 様々な禁呪に手を染め、ついには上級の悪魔すら生贄としてささげ人智を請える魔力を手にした。


 ―――― 彼が王国に設立した『魔導技術庁』


 しかし『魔導技術庁』そのものが、やがて設立者である彼の力を恐れ禁忌の存在として排除することになる。


 それまでの外法を極めても、かの堕天使ルシルフィルを討ち取ることは出来なかったのだ。


「まずは、少しでも現実世界へと近づかんとな」


 時折、体の筋が自身の意志に反して蠕動ぜんどうを繰り返した。彼は様々な魔力を得た代償に人としての体を失っていた。かろうじて逞しい人型を保っているものの、その皮膚は爬虫類を思わせる醜いものだった。


「現実世界……思い出せない大事なものが」


 いま彼の記憶に、セメイオチケは……かつての愛した王国騎士団長・翠蘭すいらんは無い。

 過去と現在の二度のルシルフィル戦で彼女の力になれなかった悔恨は彼の心の底をひどくえぐっていたのだ。


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