21 魔術空間の崩壊~運命の飛散


 :すまないが静かにしてもらえぬだろうか


 二刀を構えたセメイオチケの美麗な声が漆黒の魔法空間に響いた。声を失った彼女の思念さえもこの場では音になり得るというのか。

 床一面に輝く魔法陣の紋様も彼女の声に合わせて揺らぎを見せる。


 その空間で彼女自身はひとつの動きも見せず衝撃波を放つ。その得体の知れない波が、ミハエルをはるか彼方へと吹き飛ばす。


 流麗なるセメイオチケはレヴァントを魂の次元で捉えたとでもいうのか、無心に構えたまま動かない。

 彼女の美しい長髪が吹く風がないはずのこの空間で、無と化した表情を物語るように揺れる。

 かつての記憶の欠片を拾い集めるように、その表情は悲しさをもって美しいものが潜む。


「お前をこの世界から消し去る、それが我らの最後の務めだ」

 ヒクセルキルプスの身体が更に青白い光を発し、纏った紫のローブに描かれた紋様が周囲の空間を巻き込むように蠢く。その揺れは巨大なうねりとなってレヴァントの周囲を覆ってゆく。



 :いくぞ、堕天使よ



 朱赤の鞘が砕け散るとセメイオチケの赤い二振りの剣が刃を剥く、黒髪もまた閃光とともにゆれた。

 ヒクセルキルプスは竜のごとき咆哮をあげる。時空を捻じ曲げるように圧縮した暗い空気が幾千本の槍となり、レヴァントを放射状に突き刺してゆく。


 遠くからミハエルの叫び声が上がる。しかし、愛しい者の耳に入ったかは分からない。


 乾いた木が割れるような音がひびく。

 堕天使レヴァントは、気迫だけで二人の攻撃を消し去っていた。

 レヴァントを乗っ取っているルシルフィルは彼女の声で低く笑いはじめる。


「じつに感傷的だな……感傷的だ。少しは美しいよ、お前達。その程度の攻撃で我をどうにかしようとは……ああ、嘆かわしいものだよ」


 その声は邪悪な力に満ち溢れており、周囲の空気をさらに禍々しいものへと染め上げてゆく。ルシルフィルの支配下にあるレヴァントの身体から黒い瘴気ともいえるオーラが立ち上がる。


「この女の体は、そこそこに馴染みが良いぞ……国ひとつ滅ぼすくらいなら十分すぎる力を秘めておるわ」

 その姿と声は、はるか遠くで立ち上がれないでいるミハエルに理解できるものだった。


(レヴァント、お前の心は……まだ、そこにあるんだろ)


 少しでもレヴァントの傍に行こうと、ミハエルは動かぬ身体で這い続けていた。




「ダーククリスタルの本体が強力にルシルフィルの力を増幅している……って感じか、腹も減って来たし計算外だな」

 ヒクセルキルプスが紫に輝き右腕をクンッと跳ね上げると、防御結界の力も引き上がる。

 そもそもダーククリスタルは堕天使ルシルフィルの怨嗟の凝縮体である。その凝縮体が、レヴァントの体に取り込まれた小さな破片と共鳴し、闇の力をじゅうぶんに引き出している。


「我が名はルシルフィル。どこまでも哀れで弱き者たち。そしてもがく者たちよ、貴様らが我を討とうなど夢物語だ」

 その表情が微笑すると空気が急に冷たくなった。一気にこの魔術空間が凍り付いていくかのごとく、白い氷雪が舞い始める。


 セメイオチケは冷たい空気を深く肺に吸う。

 次の瞬間には前へと駆け出していた。

 純白極冷の氷雪を切り裂き、二刀を十字にクロスさせると斬りかかった。そこにヒクセルキルプスの時空魔術が付与され、空間を幾重にも切り裂きながら標的にせまる。


「ふん、無駄だ」

 堕天使レヴァントは鼻で笑うと片手をスッとあげる。それだけでセメイオチケの二本の剣は空中で止められる。見えない障壁に弾かれるごとく彼女の手を離れると宙を舞い、魔術空間の暗黒の床に垂直に刺さる。

 同じくその衝撃はヒクセルキルプスにも及んでいた。紋様の描かれた黒紫のローブは所々が焼け、彼の魔獣のような浅黒い肌をあらわにしている。


 :まだだ、まだ終れぬ


 それでもセメイオチケは無心だった。再度ヒクセルキルプスの魔術と連動し体術による攻撃を仕掛けてゆく。

 人間技とは思えぬ烈風をまとった手刀が冴え、腰まで切れあがったスリットから蹴撃が飛ぶ。堕天使レヴァントの首を折らんと、刃を思わせる美しくも白い脚が高く踊った。


 彼女の攻撃の生み出す風圧が、堕天使の生み出した白き氷雪を溶かし、神殿の廃墟のような景色そのものを揺るがしていく。


「面白い、女よ。あの忌まわしい神の芸術のような貴様の攻撃。すこしばかりは興味をひかれるぞ……だが、残念だ。残念と言っていい、女、すぐに屈する事となろうぞ」

 その言葉と共に、周囲の空間がひずみ始めると、ヒクセルキルプスが宙に描いた魔法陣の大半が砕け散った。その破片がセメイオチケの深紅の衣装をずたずたに切り裂いてゆく。

 露出した美しい肌には赤い線が浮かぶが、瞬時に青い血と化してながれてゆく。彼女のその血が、妖魔になり果て人間である事をすてた証だった。


 しかし、片胸と片脚の白い肌を完全にさらすセメイオチケの姿は、未だに無心を崩していない。



 一方、戦いの場からはじき出されたミハエルも圧倒的な戦いを見つめつつ、叫び続けていた。


 ―― レヴァント! 俺の声が聞こえるだろう! 怨嗟にのまれるんじゃねえ、戻って来い、戻って来るんだ


 レヴァント!



 ◇



 ―――― レヴァントの心の世界:その心の深奥


 レヴァントも自身の心の中で、絶望的な戦いを繰り広げていた。


 彼女の心の世界の奥深い部分。そこは復讐の憎悪にまみれた、荒涼とした無限の暗闇に覆われていた。

 空も大地も見えないその世界で、唯一輝くのは彼女自身の意志だった。


 目の前に立つのは、男性の人型をとる堕天使ルシルフィル。彼はその暗黒の中で、耳まで裂けた口を歪ませ笑みを浮かべて彼女を睨みつけていた。


「貴様は余のものだ、レヴァントとやら。お前には逃げ場などない」


 ルシルフィルの声は、彼女の意志を押しつぶさんと重くのしかかった。彼の圧倒的な力は、レヴァントの意識を何度も消し飛ばさんと試みたが、彼女は屈しなかった。


「何言ってんのよ、私の心は……私のものに決まってるでしょ、私は私なのよぉっ!」

 レヴァントは声を絞り出す。

 堕天使という畏怖すべき存在を前にし、恐怖に声は震えた。それでも意志は揺るがなかった。

 彼女は、手に握りしめた光の剣を構え、ルシルフィルに向かって一歩すすむ。


「アンタに支配されるくらいなら、死んだほうがマシだわ」


 ルシルフィルはその言葉にすら嘲笑を浮かべた。

「愚か者め、女。死ぬことさえ私の手の中だ。卑しき者、お前は選べない。選ぶことすらできぬ、運命の前に、余に屈するだけだ」


 だがその瞬間だった―― 響くものがあった。

 声、懐かしくも力強い声。

 

 ミハエルの声が、彼女の心の中に響いた。


「レヴァント! 聞こえるか! 俺の声が聞こえるか!」


 レヴァントの目に緑の光が宿り、力が腹の底から湧いてくる。

 闇のなかの一筋の光ともいえる声に金切り声をあげて答える。


「ミハエル、聞こえるよ……必ず私は私を取り戻すから!」


 光の剣が眩しい輝きを放った。

 彼女はその剣を高く掲げ、姿勢をかがめると一気にルシルフィルへと突進した。

 

 闇の中での激しい戦いは続くが、彼女はもう屈しない。ミハエルの呼ぶ声が彼女とひとつになったのだ。




 ヒクセルキルプスの敷いた魔術空間に、わずかな揺れが生じた。そこには、ちいさな光があったと言える。


 そして――ほんの一秒の十分の一にも満たない時間であるが、レヴァントの体が震え、ルシルフィルに全てを乗っ取られたかにみえた彼女の瞳に再び緑色の光が宿った。


「……ミハエル……」


彼女の唇が、魔術空間の闇のなか、震えるようにその名を呟いた。


はるか彼方で這いつくばるミハエルは確かにその声を聞いた。彼女の瞳が緑色に輝く瞬間を見逃していなかった。


レヴァントの瞳が再び輝きを取り戻したわずかな、ひとときの瞬間。彼女の心の深奥に呼応するかの如くミハエルの中に眠っていた何かが目覚めた。



―――― 叫べ、天に両腕を広げ、力をこい願うがいい、わが末裔たるものよ


エルフの村で聞いたあの声が聞こえた。


体中に灼熱のような熱さと、虹色に輝く光が駆け巡った。

胸の奥深くから、今まで感じたことのない強大な力が湧き上がってきた。

それは、太古の封印が解かれたかのように、彼の血と魂を揺り動かす。


ミハエルはその力に抗えず、天を仰ぎ、両腕を無意識に広げた。


「……これは……?」


全身の痛みが引いてゆく。

彼の額に冷たい汗が流れたが、体は驚くほど軽い。どこか清浄な感覚に包まれていた。

次第に、その光は彼の全身を包み込み、背中にはまるで皮膚をつきやぶり翼が芽生えるかのような感覚が走った。


ヒクセルキルプスが戦いの中で一瞬振り返り、驚愕の表情を浮かべた。

「まさか……第二騎士団長ミハエル、お前……天使の血を引いているのか……天使の末裔たる者」


「天使……?」

ミハエルの中で、いや彼の祖先からつながるであろう断片的な記憶が呼び起こされた。

それは長らく彼の一族にとってただの神話に過ぎなかった。しかし今、その血が彼の中で本物の力として目覚めつつあったのだ。


ミハエルの瞳は鋭く、そして深い光を宿し始めた。その瞬間、彼の背後に巨大な光の翼が現れ、空間全体が光に包まれた。

まるで彼の中に眠っていた神性が、今この時を待っていたかのように――


「レヴァントを傷つけることは、誰であろうが許さない」


彼の叫びは空間を揺るがし、その声と共に、光の衝撃波が全方位に解き放たれた。


それはまさに神々しい力――大天使の力そのものだった。

目の前に立つレヴァント、それを依り代としたルシルフィルの思念は、その衝撃に耐えきれず、一瞬にして吹き飛ばされた。


「ルシルフィル、お前はここで終わりだ!」


その瞬間、闇の中で悪魔のごとき笑い声が響いた。堕天使の力も計り知れないものだった。

「終わり?  まだ始まってもいない。お前ごときに、人間であるお前に……余を消せると思うな!」


ルシルフィルの思念はミハエルの衝撃波で切り裂かれ、レヴァントの体から飛び出した。だが、彼の思念が空中に飛散するその刹那、爆発が起こった。



ルシルフィルの思念が消滅したかに見えたその瞬間、空間全体が急速に歪んでいった。

闇の裂け目が広がり、その裂け目からは圧倒的なエネルギーが解き放たれた。


爆発は轟音と共に空間を裂き、幾重にも押し寄せる。


セメイオチケ

ヒクセルキルプス

ミハエル

そしてレヴァント

この四人の勇士を魔術空間から、四方八方の時空へと吹き飛ばしていた。



第一章・終


次回は幕間回で『セメイオチケ』『ヒクセルキルプス』の飛ばされた先の地獄の風景が描かれます。

さらに第一章まとめの投稿があります。


物語は10/7投稿の

第二章の最初の話『22 堕天使ルシルフィルと風の聖霊セラフィニア』へと続きます。

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