14 マルセリウス・グラント
大陸を股にかける武器商人【マルセリウス・グラント】
年齢は三十半ばといったところ。
中年男性の小太りな体格だが、その佇まいは優雅なもの。整えられた黒髪とダークスーツ、掴みどころのない眼差しの奥には
彼はすぅっと自身の眼前に手をあげる。その手元にぶら下がる古びたロザリオが、ゆっくりと揺れ、低く囁くように祈りの言葉を紡ぐ。
その祈りが終わると、マルセリウスは静かに話し出す。
「マシロ・レグナード猊下の指導のもと、グランデリア王都からカフカまでの長距離飛行を成功させるたあな……たいしたもんだ」
「ええ、あの人にとっても、わたしにとっても良い宣伝になったと思うわ。だから貴方とこうして会うことも出来たってこと」
アリシア=ノヴァの背後に立つミハエルは思う。
マシロ・レグナードを『あの人』呼ばわりの上、マルセリウス・グラントを『貴方』呼びとは、確かにアリシア=ノヴァも大したもんだ、と。
「十二歳で会社を継いだってのは伊達じゃねえな、オレと仲良くしようってのは実に正解な選択だぜ? お嬢様」
「違うわね、会社を継いだのは十一歳と十ヶ月のときよ、サー・マルセリウス・グラント。それにお嬢様と呼ばれるほど、わたし上品な女じゃないわ」
マルセリウスの足元には氷が浮く鉄の大きなバケツが置いてあり、ガラス瓶のボトルが数多く入っている。
テーブルにはあらかじめ磨かれたグラスが二つ用意してあり、彼はバケツから一本のボトルを引き抜くと力づくで栓を開ける。
「スモーク風味のプレミアムジンだ。どうだい? 飲むか?」
そう言うとグラスに注がれたアルコールを一口ふくむ。匂いを嗅ぐだけで酔いそうな強い酒にアリシア=ノヴァは渋い顔をする。
「お酒はいい仕事の敵なの、オレンジジュースくださらない? 取引中に飲酒なんて、真面目な態度とは思えないわ」
「ほう、真面目な仕事の話をしたいってえなら、テメエの……その懐にあるヤツはなんだ? アリシア=ノヴァ、その若さにしてその覚悟は立派なもんだ。しかしな、ただの覚悟では不十分なんだよ」
「こ、これは……」
勢いづいていたアリシア=ノヴァは戸惑いを見せ、答えに窮する。このあたりの反応は十六の娘そのものかもしれない。
「その懐にある『毒が塗られたナイフ』がテメエの真面目ってやつかよ、がっかりさせんじゃねえよ」
マルセリウス・グラントはミハエルとボディガードの女を手で制する。
「まあ、オレも野暮じゃねえ。たかだか十六そこいら……毛も生えてるか分からねえ娘のお守り刀を取り上げはしないさ。悪かったなお嬢様、さあ話を続けようか」
刹那の間も許さずアリシア=ノヴァの放つ気配が変わる。
唇がきつく結ばれている。
その目はもはや娘のものではなく烈火であり、火竜の眼差しだった。
「侮辱……と取っていいかしら? 護身用じゃないわ、母方のノヴァ家に代々伝わる魔剣よ。あなたを殺すつもりで持ってきたの、場合によってはね?
さあ、今度は貴方の次の言葉を聞きたいわ」
たとえ少女とみられる外見でも誇りがあった。
彼女の父方アリシア家は今は滅びた古き王朝の機械技師であり、母方のノヴァ家は辺境に名をはせた戦士の一族であったという。
告げるべきことを告げた彼女の目には冷静さがもどる。一瞬の気配は殺気だったのだろうか、確かめるすべもなく、すぐに彼女のまとう空気は元のものへと戻っている。
「nobildonna(=貴婦人の意)試して悪かった謝ろう。ますます、テメエのこと気に入ったぜ。話をきかせてくれ」
中年の武器商人は表情を崩すと、予想以上に上機嫌な表情だった。再びグラスにアルコールをコクコクと注ぎ足し片手に持った。
「ありがとうございます。我がアリシア社……は現在のところグランディア王国の教会組織・聖堂騎士団との契約があるだけです。えっと、今のままでは飛空艇開発において他社を突き放すことが出来ないんです。だから、いえ、ですから」
彼女の言葉に、マルセリウスは笑い声を上げざるを得なかった。
「はっはっはっ、取引の言葉が馴染んでねえよ、お嬢ちゃん。いいぜ、いつもの言葉でしゃべってかまわねえぞ」
アリシアは一瞬だけ口を尖らせるが、考えを切り替えると微笑んだ。
「あ、ありがとう。意外と貴方も素敵なとこがあるのね! そのままに言うわ。我がアリシア社に資金の融資をお願いできないかしら?
勿論、貴方を通して飛空艇は販売するわ、世界一の技術を持つ我が社と独占契約が出来るのよ」
拳をにぎりしめ目を輝かせると必死に訴える。
「それで?」
「えっ?」
アリシア=ノヴァは不意をつかれたように目を見開いた。
「それで?」
「それで……って?」
武器商人はテーブルに肘をつき、目の高さで両手のひらを組む。
「それで、アリシア=ノヴァ、お前は何をしたいんだ」
その質問に彼女はしばし沈黙する。しかしすぐに意味を汲み取ったのだろうか、一呼吸をするために静かに息を吐く。
顔つきは優しく落ち着いたものに変わっていた。
「飛行試験中の事故で亡くなった父の夢を果たしたいの ―― 世界一の飛空艇をつくるって。
世界一の飛空艇で、世界一の船団を率いて、私は世界の空を翔けるのよ」
どこまでも純真なその決意に、マルセリウスは満足したように頷くと大きく息をのんだ。
「悪い話じゃねえ。実に現実味のある素敵な目標だ。俺もテメエのその姿を見てみたいぜ。
だがな、俺は武器商人だ。俺の生み出す金は『どんな金』なのか? はわかってるよな」
「ええ、わかってる」
迷いのない、力強い答えだった。
「今回カフカで発見されたダーククリスタルのエネルギーで世界中の武器は根幹から変わるわ。
製造の過程も変わってゆく、たくさんの武器が大量に生産される時代がもうそこまで来ているの」
マルセリウスは苦々しく片目を閉じると『超古代兵器か』とつぶやき、アルコールのグラスを喉にかきこんだ。そのまま手酌で次の一杯を注ぎ込むと、浮いた氷がカランカランと鳴る。
アリシア=ノヴァの口調は真剣だ。
話は続けられる。
「戦争のもたらす利益の次元が変わるって……言うのかしら。
武器そのもの破壊力、そこに相争うように魔術のレベルも変わる。古代の……神聖な術に近づくのよ」
片方の口角をいびつに上げてマルセリウスは頷く。アリシア=ノヴァの言うとおりだ。
「十六歳でそこまでお見通したあ恐れ入るぜ。ただなあsignorina(:若く素敵な女性)……
武器が使われるところにはな、王侯貴族以外の平民が、前線に立つ兵隊が、貧乏人が、虐げられている種族が、民族がいるんだ。
世界中のな。
そいつらの犠牲の上に成り立つ金でテメエら親子の夢の翼を広げるってのか?」
挑発とも取れる言葉に、アリシア=ノヴァの目の奥で火花が飛んだ。
マルセリウスのグラスを手元から奪い口に含む。アルコールで灼ける喉にむせ返りながらも彼女は言った。
「戦争は起こさせないわ、私が政治家になって世界の戦争を止めるの」
一瞬硬直したマルセリウス・グラントだが、すぐに彼の大笑いが倉庫じゅうに響いた。胴体が崩壊するのではないかと思うほど、彼は嘲笑し、笑い倒した。
「なんだよ、政治家って。貴族でも文官候補生でもないテメエが、権力に口出しが出来るはずがねえだろうがよ。酒が美味ぇよ、最高に笑えるジョークだぜ、おい。
金はいくらでも融資してやる。取引のツテも時期をみて紹介してやるさ、気に入ったぞ小娘! はははっ、最高に気に入ったぞ」
笑いが終わらないうちに、テーブルを激しく両手で叩いたのはアリシア=ノヴァだった。懐から『毒塗りのナイフ』を取り出すとテーブルの上にゴロリと放った。
「ふうん、ジョークですって? 馬鹿にしないでくれる?」
その勢いで立ち上がると、後方に控えるミハエルの腕をとり首をあずける仕草をみせた。
「……?」
マルセリウスは彼女の行動の意味が読めるはずもなく、笑い顔から再び機嫌の悪い顔つきへと戻っていた。
「ご存じかしら、大陸一の剣の使い手『ミハエル・サンブレイド』よ。
グランデリア王国第二騎士団長。
わたし、この人を押し立ててグランデリアの西方に独立国家をつくるの。そして、その国の外交官になって世界の平和を取り結ぶの。
知ってると思うけど近いうちにグランデリア国内で内戦がおこるわ、あの女マシロ・レグナードが火種になって。
ミハエルには、その内戦の混乱に乗じて西方の自治領を奪い取れっ……て話はしてるんだけど」
「何だ……とぉ」
「クリスタルのエネルギーを最先端の武力として保持する。それを強国への抑制力とした超武装国家を作るのよ。
だから、あなたの力が必要なのマルセリウス・グラント」
もはやマルセリウスは笑えなくなっていた。目の前でアリシア=ノヴァはテーブルのグラスを取り、顔を赤くしゴクゴクと残りのアルコールを飲み干していく。
「Un altro giro di alcol, per favore! Potrei avere qualcosa di più forte?」
:お酒、おかわりっ! 強いやつをいただけるかしら?
アリシア=ノヴァが飲み干したグラスをテーブルにタンッと置くと、その衝撃に弾かれたかのごとくマルセリウスは後方に倒れかけた。
「最高だぜ! Certamente, signorina!」
:かしこまりましたお嬢様!
マルセリウスは少年の表情をみせグラスにプレミアムジンを注ぐ。氷がカランとグラスの壁を打つとアリシア=ノヴァは同じく少女のように微笑んでみせた。
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