15 美麗なる剣士・セメイオチケ①
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アリシア=ノヴァとマルセリウス・グラントの緊迫感のある取引がなされていた中で、王国第二騎士団長ミハエルの身に何が起こったのかを知っておいていただきたい。
若き飛空艇技師にしてアリシア社の社長アリシア=ノヴァと、大陸を股にかけるという武器商人マルセリウス・グラント。ふたりはそれぞれに凄腕のボディガードを同席させていたのを憶えているだろうか。
アリシア=ノヴァの背後には『大陸一の剣の使い手』と名高いグランデリア王国の第二騎士団長ミハエル・サンブレイド。
その向かい、マルセリウス・グラントの背後に立つは深紅の東方系の民族衣装を着た女。
———— 彼女が着ているのは、身体のラインを美しく強調する深紅のチャイナドレスだった。金糸で繊細に刺繍された蓮の花が一面に広がり、立襟が彼女の首を優雅に飾っている。
体術が放たれると思わしき
腰までスリットが入ったスカートは、歩くたびに、蹴り技を放つたびに軽やかな白く美しい脚を演出すると想像される。
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ミハエルが感じる息苦しさは、その雰囲気ではなかった。
暗黒の武器商人マルセリウスが放つオーラ? そうではない。
幼少期よりミハエルは数多の戦場で生と死の狭間をくぐりぬけて来ている。
彼の全身の皮膚感覚が、反射神経が、さらには細胞のひとつひとつが寒気を感じるほどの警戒を示しているのは、目の前の深紅の東方系の民族衣装を着た女だった。
女の瞳は伏せられたまま。
剣も持たず、何らの警戒も示さず、いささかの闘気も放っていない。
では内に秘めたる何かがあるのか? というとそれも感じられない。
一瞬で首を刎ねる事すら可能に思えてくる。
なぜ、このような女がボディガードを? と思ってしまう。
容易い相手……当然ながら、ミハエルともあろう者がそう捉えるはずがない。応えは真逆だ。
どれだけの修練を積めばその境地に至れるというのか。
女は『無』なのである。
(この女、何ひとつ読めねえ、掴めねえ。大陸一の剣の腕を持つとまで言われる俺が……)
:ならば 大陸一とは呼べぬの 王国第二騎士団長よ
ミハエルの頭の中に女の声が響いていた。
美しいではない、麗しいと形容すべき声だった。だがその麗しさは、ミハエルにとっては戦慄と恐怖を際立たせるものでしかない。
それでも、ミハエルはその混乱の中で直立の姿勢をとり続け、微動だにしない。
気づくと女の右手には一振りの優雅な赤い剣が握られていた。
(剣が、いつの間に?)
気づくと同時に全身切り刻まれるような痛みを感じる。ミハエルは女から視線を外してはいない、女は動いてもいないというのに何が起こったのだ。
:六太刀 すべて急所にはいっておりますわ
(何だっ!? これは? ああっ!?)
今度こそ声を上げ、姿勢を崩しそうになった。女の左手に更に一振りの、これもまた優雅な赤い剣が握られているのだ。
その目で直視しているのに、気づく間もなく現れた二つの剣。
視線を外すことはない、全反射神経が起動しているが女の何ひとつをも捉えられない。
(ぐはあぁっ!)
感じたことのない衝撃だった、どうされたのかも分からない。
一瞬だが、全身の制御が不能になったかと思えた。背筋に流れる汗の一つ一つを今ミハエルははっきりと感じている。
:首を刎ねて 差し上げました
もはや姿勢を崩して膝に手をつこうとするミハエルを察したのか、女は言葉をつづける。
:出過ぎたことをしましたね 許してください。
:私が斬ったのは貴方の弱き精神体です これから貴方は真の力をすこしづつ取り戻してゆくでしょう
(なんだと? 精神体? 真の力? 何のことだ!?)
:剣の道は貴方が考えているより『はるかに先』というものがあるのですよ
修練をお積みなさい 我が後輩よ
:私の名は【セメイオチケ】このふたつの剣はセニフィエとセニフィアン
: ……レグナ・ゲーテン・グランデリア ”
伏せられた女の瞳はついぞ開くことはなかった。
□
心のうちに何が起ころうが、ミハエルの意識の大半は前に座っているアリシア=ノヴァの警護に置かれている。
取り引きが成立したのかアリシア=ノヴァとマルセリウス・グラントは乾杯を交わしていた。
アリシア=ノヴァはテーブルのグラスを取り、ごくごくと残りのアルコールを飲み干していく。
「Un altro giro di alcol, per favore! Potrei avere qualcosa di più forte?」
:お酒、おかわりっ! 強いやつをいただけるかしら?
「最高だぜ! Certamente, signorina!」
:かしこまりましたお嬢様!
アリシア=ノヴァの故郷の言葉に、上機嫌のマルセリウスが絶妙にあわせる。
(マルセリウス・グラント相手に、取り引きをまとめやがったか……大した娘だ)
ミハエルも心の中で感嘆している。
「はっはっはっは、そうだテメエに先行融資をくれてやるぜ」
マルセリウス・グラントは高笑いを続けながら懐から拳大の、白い聖布にくるまれたものを取り出すと机に置いた。
ランプひとつ、倉庫の闇のなかでそれは異様な存在感を放っている。
「これはな、はっはっは、これこそがダーククリスタルの破片だ」
そういって、聖布の包みを解いてゆくにつれ禍々しい気配が漏れ溢れ始める。
「はっはっは、カフカの役人どもに大金を払って買い取ったんだ。グランデリア王国の奴らが気づく前にな……」
―――― マルセリウスのスパイは大陸の主要都市に配置されていた。ここカフカ遺跡でのダーククリスタルの発見も、領地として所有するグランデリア王国より先に彼は把握していた。
発見されたダーククリスタルの周辺にはその破片が散らばっており、すぐにカフカの管理局が押さえた。しかし、そこにすぐさま配下を送り込み、先ほど述べたように大金をはたいて数個であるが秘密裏に入手していたのだ。
広がった聖布の上にはレモンの種ほど大きさ、黒く淀んだ光を放つ物体があった。
禍々しい気配が渦を巻き、周囲に満ちてゆく。
平然と見つめるマルセリウスと一寸の気の乱れすらないセメイオチケに対して、アリシア=ノヴァとミハエルの顔は大きく歪んだ。
「ごめんなさい、マルセリウス。こ……これはミハエルに譲る……わ」
彼女は叫ぶより先に倉庫の隅に走る。鳩尾のあたりを両手で押さえ、涙と鼻水を垂らしながら派手に嘔吐した。
即座にミハエルはその破片を聖布で厳重にくるんだ。
通常の心を持つ者なら、視界に入れるだけで精神を蝕まれてしまうかもしれない物体だった。
マルセリウス・グラントは立ち上がり、アルコールのボトルが入ったバケツを自ら持つ。指を二回鳴らすと、倉庫の入り口から五~六人の黒服が入って来る。
「嬢ちゃんテメエ、本当に純真な心の持ち主なんだな……」小さな声でそうつぶやくと
「おいっ、商談成立だ帰るぞ」
ドスの効いた声を倉庫中に鳴り響かせた。
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