9 遺跡都市カフカの朝 前
遺跡都市カフカに、赤く力強い朝陽がのぼる。
夜明けあたりに荒野から吹く強い西風。
特徴的な石造りの建物の間を風が吹き抜けると、この街の夜の表情を振り払ってくれる。
多くが石とルーンで形作られた都市。
小高い丘に立ち、早朝から賑わいを見せる『自由市場』
三人の人物が、紺地に金の華やかな刺繍が施されたアバヤ(前開きのローブのような衣装)をまとい、それぞれがニカブと呼ばれる頭部と口元を覆う黒いヴェールを着用している。
三人が目立つことはない。市場を往来する人間の半数以上が、そのような衣類を身にまとっているからだ。
一人が白い手のひらを空にむける。
繊細でしなやかな腕もアバヤの裾から見えている。
「トロティ、良い風が吹く丘ではないか。王都の市場にはない独特の雰囲気だな」
言う女のニカブから覗くその目つきは憂いをおびたような鋭さだった。それでも相当の美貌の持ち主であることは隠しきれていない。
「はっ、はぁ……マシロ様、本当に周囲には十分に気を付けて下さいね。この辺りの民族は……」
トロティと呼ばれた男は心底おびえるように、腰が引けた歩き方で周囲を警戒する。一見するに金髪、美男子の顔つきが台無しである。
「おやっ? マシロ様、この槍は歴史のある逸品の……」
せわしない動きをみせる男だった。
マシロと呼んだ女と並び歩く時もあれば、露店を覗きこむ際には距離が開く。
「トロティ秘書官、心配いりません。聖堂騎士団の精鋭二十名が遠巻きに警護しております。このアバヤという服も優れた耐魔術の糸が織り込まれていますから」
ニカブの黒い布の奥に、シャギーの入ったブラウングレーの長髪。蒼い端麗な瞳の女は少々うんざりするような口調で、秘書官と呼ばれた男に言葉を投げた。
「セリーナ、頼りにしているぞ」
「司祭長、ご安心を。傍には私も控えております。今朝は自由市場の雰囲気を楽しみましょう」
そういったもののセリーナの心は市場の散策というよりは、司祭長マシロとの同行そのものに心を弾ませている。ニカブに隠された白い頬は少なからずも紅潮しているようだ。
石畳の市場は迷路のように構成され、道の両側には旗をかかげた露店が立ち並んでいた。露店の奥の石壁には魔法のルーンが刻まれており、夜になると淡い光を放つという。
彩り豊かな旗が大空に泳ぐなかで、さけぶ売り手たちのテンションは高い。装飾品としての宝石から、魔法のポーションや魔術付与された武具、珍しい動物の毛皮など、数え切れないほどの品々を売りつけんと迫って来る。
「ほう、これは?」
マシロはしゃがみ込むと、並べられていた中から鈍い輝きを放つ短刀を手に取る。
「これはこれは、ご客人! お目が高い。そいつは高名な魔術師が炎の力を付与した短刀だ。お安くして……」
「司祭長! なりません。魔術付与の刃物など、神に使える身の我々が近づくことすら許されぬものです!」
セリーナ・レイノアは司祭長マシロの腕をとると、なかば強引に露店から引き離した。
主から睨みつけられるがレイノアは引かない。
「わ、私は異教の物から司祭長を守るつとめがありますゆえ」
その実直さに、司祭長マシロの表情が柔和なものになる。
「そうだな、すまないなセリーナ。聖職者としてあってはならぬ行動であったかもしれぬ、うかつであったな」
「は……はいっ」
姿勢を正したセリーナの返答がなされた。
しかし。
女ふたりの十歩前を歩く秘書官トロティは振り返る。
(あの短刀……あとで手を回しておきます)
その一瞬の視線の交錯で、司祭長マシロに意思を伝達していた。
マシロは顔をあげると、遥か彼方を見やる。
トロティは香ばしい匂いがただよう軽食の屋台に興味を示し。
セリーナはチラチラとマシロの瞳を伺いながらも、良い香りのエンボスティーを提供する店を気にしている。
「ここで、三人モーニングをとるのも何かの記念になるかもしれんな。警護の者達には悪いが我々は食事をとるか」
「「ハッ!」」
マシロの言葉にトロティは腰の引けた態度とは裏腹に更に警戒を深め、セリーナは心を躍らせた。
荒野から吹く強い西風が三人を撫でつけた。
マシロの視線は以前として、空と地平の交わる彼方を見つめている。
雑踏、広場の賑わい。
遠くの広場で楽団の演奏が始まる。異国の歌声はその西風にのり、途切れながらもマシロの耳に届けられていた。
□
□
もうひとりの男にも、赤く力強い朝陽がのぼる。
二百人は宿泊できる巨大な石造りの宿が、王国第二騎士団長ミハエルの宿泊施設だった。カフカにはそのような建物がいくらかある。
宿の屋上は広くオリーブやサボテン、アロエといった植物が植えられて庭園となっていた。
その庭園に立つミハエルは、セリウス鋼の長剣を構えると瞳を閉じる。
戦う相手はレヴァントを想定すると、 植物の間を抜けるように走り、跳躍をし、剣を振るう。
行方不明になったレヴァントとの再会があのような形で、とは考えてもいなかった。
レヴァントのイメージが明確になり、追い、斬り合った。
剣の制動が乱れ、オリーブの根に足を取られ床に叩きつけらると、地面に這うように育つサボテンの棘が体中に刺さった。
首を左右に振り、膝に手を突き起き上がる。
乾いた風が吹くと汗に濡れた身体を乾かしていった。
そろそろ部屋に戻らねばならない。
サボテンの棘を抜きながら、屋上にふく風を受け続ける。
安宿とは言え、寝食は快適だ。
正直、俺自身は野営のほうが、体に馴染んでいる。
傭兵団時代の戦いの感性が、宿になど、たとえ安宿であろうが泊まると錆びついてゆくのが分かる。
獣は飼われ養われるにしたがい獣ではなくなり、やがて牙は丸く削られてゆく。
―――― 傭兵団を壊滅させた黒幕を見つけ出し、仲間たちの仇をとる。
それまで俺は、誰に知られることなく獣を心の中にとどめておかねばならない。
モーニングコールに部屋を訪れた副官のルカアリューザとふたり、食堂のテーブルで安宿の朝食を取る。
過剰なまでに平静を装う俺に、今日の彼女はいつもとは違い優しかったような気がする。
ルカアリューザから今後の予定を聞くと、食堂を後にし部屋にもどる。
部屋のドアノブに触れた瞬間、違和感に全身の細胞が反応した。
―――― だれか、中にいやがる
部屋に入ると、かすかに香水の匂いが空気に交じっており、部屋の温度も、快適に調整されている。
侵入者にしては小奇麗な……。
まったく気配を感じなかった。
王国でもここまで気配を絶てるのは、そうそういないだろう。
「待っていましたわミハエル・サンブレイド。早朝から訪ねてきて差し上げましたわ」
ベッドに腰を下ろしている美しい女性は、マシロ・レグナート。
グランデリア王国、その教会組織の女司祭長じゃねえかよ。
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