8 ベイガン・レ・ゼントォアルレ

 知らぬうちに。

 知らぬうちに。

 蛇の地を這う音、その気配がただよう。


 哀しみのなかで戦うミハエルとレヴァント、二人の周囲を取り巻いていく。


 □ 


 レヴァントの野郎、消えた?


 気づくと上空から、短刀を構え突いてきている。

 重力に身を任せるよに左に傾き、かわす。


 しかし、地面ギリギリの高さを滑るようにくる足払いを食らう。

 そこから短刀による垂直の突き上げ。

 姿勢を瞬間に取り直すが、空いた腹に蹴りが入る。


「ぐはっ」

 吹き飛ばされ、石畳に背中を打ち付ける。

 一瞬の肺を打つ衝撃。

 その圧に気を失いそうになる。


 この瞬間を見逃すはずもなくレヴァントは馬乗りにかぶさる。

 高く掲げた短刀を、クルリと回転させ持ち直すと狙いを定めた。


 馬乗りになったレヴァントと目が合う。

 俺を見つめるその目は燃えるような赤色。


 彼女の目は本来、深い緑色だった。


 ―――― やはり魔術か何かの『精神支配』をくらってやがるか


 全身の筋肉に力をこめる。

 馬乗りにされているとはいえ、レヴァントを筋力で弾き飛ばすのは難しいことではない。



 しかし、意思に反して全身の力が抜けた。

 視界が白くなり、視野の枠がガクガクと揺れた。


 ―――― これは、エルフの村で経験したやつだ


 ふたたび短刀を高くかかげたレヴァントと目が合う。

 今まで見たことのない悲しい目であると気づく。


「やれよ、やれるもんならよぉ!」

 無意識のうちに言葉が口をついていた。


「があっ……あぁぁあああぁぁっ!」

 しかし断末魔のような叫び声を響かせたのはレヴァントだった。

 天を仰ぎ、そのまま後方へグラリと倒れていく。


 ズガン、ズガン。

 戦いの音とは違う、硬質な着地音がカフカの夜陰に響いた。


 傍らに女が二人降ってきた。

 いや、正確には魔術で飛んできたと言う。


 更に一人。

 黒い塊が夜の路地から駆けてくると、後方へと倒れ行くレヴァントに体当たりし、間合いから弾き飛ばしていた。


 降ってきた女二人にバンザイの姿勢で両手を掴まれ、石畳の地面を引きずられる。

 体当たりで飛ばされて倒れた女暗殺者から、俺を引き離し距離をとった。


「団長~♪ 助けに来たよぉ、ルカと二人で飛んで来たから魔力充填に時間かかっちゃって」

「……私、言いましたよね、一人で外出するなと」

「団長の座標探索で時間を食っちゃって、遅れてごめんよ」


 漆黒の長髪に細い銀縁のメガネ、紫のローブをまとった第二騎士団の魔術師【リオナフェルド】は銀の杖をかかげ詠唱の体勢に入る。

 青い長髪と瞳の周りには薄い銀のアイライナー、 青い鉄鎧をまとう戦術師の女副官【ルカアリューザ】は剣に手を伸ばしてはいるものの俺を睨んでいる。

 中性的な顔をした肩までの茶髪で背は低い、茶色つなぎ服の斥候【キャスパーローズ】は転がった姿勢から立ち上がる。

 

 キャスパーが俺の緊急信号を拾ってくれたのだろう。


 ありがたい、この戦力ならレヴァントの捕獲も可能だろう。

 体中に新鮮な空気が入って来たような感覚がある。


「のん気なノリのお前達に悪いんだが、相手をみろよ」


 颯爽と登場した彼女らに分かるように、寝たままの状態からユラリと起き上がろうとする女暗殺者を指さした。


「「「レヴァント」」」

 それぞれが、それぞれらしい驚きの表情で一斉に叫んだ。当然だが、状況の理解に頭が追い付いていないだろう。

 俺は呼吸を整えながら、副官ルカアリューザに支えられつつも体を起こしてゆく。


 こちらに動きを合わせたかのように、ユラリと起き上がるレヴァントが見える。

 三日月の照らす光が彼女の背後に影をつくると、どことなく生ぬるい風が吹いた。


(なんだ、この風は)


 レヴァントの影を中心にカフカの石畳を黒い蛇が禍々しく走った。

 その黒蛇は、紋様を刻む。

 地面に黒く巨大な、ミハエル達をも範囲内とした八芒星を描くと、腐臭を発して消えてゆく。


 □


 最初に反応したのは斥候キャスパーローズ。肩まで伸ばした茶色の髪が一瞬ふわりと逆立つ。危険を察知した小柄な身体が低く前傾し両かかとを浮かせた。


 戦いの熱につつまれていたカフカの城壁沿いだが、今、暗い冷気が満ちてゆく。


 冷気の中に、レヴァントの影に女がいる。

 目は琥珀色。

 獲物を狙う蛇のように鋭く輝く。


  膝まで伸びた黒髪。

 放つ雰囲気から魔術師であるとわかるものの、ローブではなく漆黒でありつつ光沢を放つ首元ハイネックのドレスを纏っている。

 さらにことにドレスは体を締めるようにフィットし、そのラインを強調している。


 手を打ち鳴らしながら女は喋る。

 低く囁く、はるか遠くの森から聞こえる風の音のように。


「王国第二騎士団長……ミハエル様、我が雇用主の想い人……はじめまして……お会いでき……光栄です。そして……騎士団員の方々でしょうか、お勤め……ご苦労様です」


 非常に聞き取りにくい声だが、彼女の顔は驚くほど美しい。まるで完璧に彫られた彫像のように整った顔立ちだ。


 女の手が空中に伸び、蛇が這うような動きを見せる。レヴァントは膝から崩れ落ち女にもたれかかる。

 レヴァントを手の内に抱くと、そこからは本来の彼女の言語で話しかけてくる。


「Είμαι ο Βέιγκαν, ένας νέος μάγος. Ο Λεβάντ Σόρντμπρέικερ θα ανακτηθεί ως  οτυχημένο έργο」

 :わたくしは【ベイガン】と申します。駆け出しの魔術師です。レヴァント・ソードブレイカーは失敗作として回収させていただきます


「はあっ、回収だって?」

 言語を理解できたのか斥候キャスパーローズは二本のナイフを放つ。

 しかし、ベイガンは体を交わし、ひとつを素手で撃ち落とす。


「Αντίο σας, ελπίζω να σας ξαναδώ. Παρακαλώ δεχτείτε το δώρο μου」

 :さようならみなさん、またお会いできると良いですね。私からのプレゼントをお受け取りください。


「キャス! 奴は何て言っているんだ!?」

 ミハエルの問いが終わる前に、魔術師リオナフェルドがつぶやいていた。

 流石は騎士団専属の魔術師。

 場に結集する魔粒子の流れを読み取ったのだろう。


 そのつぶやきは、第二騎士団特有のコードだった。


 ―― code13 ——


 意味する所は

 ———— 生命の危機、いかなる理由があろうがこの場より退避



 ミハエルはリオナフェルドを蹴り飛ばし、キャスパローズを小脇にかかえて全力で跳んだ。

 蹴り飛ばされたリオナフェルドは面白いほどに吹きとんだが、『無重磁力』を詠唱無しで発動させるとルカアリューザを自身に引き寄せた。


 レヴァントを連れ、ベイガンは闇のなかへずぶずぶと音をたてて姿を消していく。


 石畳に黒蛇が描いた八芒星は一瞬赤く、そこから輝く黒き炎を燃え上がらせてゆく。

 黒き炎は黒き漆黒の闇を、さらに濃いものとした。

 

 天高く灼熱をまとった闇は、らせん状に幾重にも舞い踊り……ひとつ所に凝縮すると壮烈に爆ぜた。


 魔術師リオナフェルドの13番のコード発令から、その時間は一秒に満たないものであった。

 それでもミハエル達は、その爆破から無事逃れていた。

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