第30話 愛の誓いは永遠に

 ロザハールの家門が国の力でついえたのは、建国以来初めてのことだった。

 獣人を非道に扱い、非人道な研究を行っていたとして、ルダール伯爵家は爵位領地ともに没収。


 当主を含む、研究に関与した者たちは一部を除き、全員処刑が執行された。

 事態を扇動し獣人を苦しめた極悪人。

 とはいえ自国民にここまで、重たい処断が行われたのも初めてであった。


 国としては終身、牢に繋ぎ止めるだけでは、非道な研究を完全に消滅させられないと判断し、禍根をすべて断つと決意したようだ。

 過去にどのような功績があろうとも――獣人、引いては国民に害を為す者には、容赦をしないという警告にもなっただろう。


 拘束され、強制的に働かされていた者たちの処遇もまた、いささか異例だ。望む者へ対し、忘却のスキルが使われた。


 自分が携わってきた悪辣な所業に、心が耐えきれない者もいたためだ。

 もちろん処置を受けない者たちへの手助けもしていく。定期的な治療を受けられるようにし、心の回復を促していくこととなった。


 これまで自ら剣を抜くことのなかったロザハールが、牙を剥いた姿を目の当たりにして、隙を狙っていた敵国は随分と腰が引けたらしい。


 リトへの吉報は、陛下の番も見つかり情勢も安定したのだから、無理に力のあるヘリューンと大々的に手を組む必要はないと結論が出された。


 血生臭い空気が国に流れたものの、すぐあとに国王陛下の番が公表され、一時広まった噂もルダール伯爵家の悪意ある行為であった、と明かされる。

 しかしそれだけでは、民に疑問が残るかもしれないと進言した宰相ベルイは、リトの了承を得て、彼自身もまた被害者であったのだと付け加えた。


 それから一年経った春の頃――



 ロザハールの王都には、色とりどりの花吹雪が舞っている。

 婚姻の宣誓を行うために、教会へ向かう国王陛下と番の乗った花馬車が道を進むたび、そこかしこで歓声が上がる。


 真っ白な礼服に身を包んだ二人の姿が映える、花で飾られた馬車と、騎士が騎乗した馬が列をなしている光景は圧巻だ。


「陛下、番さま、おめでとうございます!」


「きゃー! お二人とも素敵!」


「本当にお二人は仲睦まじくて、理想の夫婦だわぁ」


 祝いの声が響く中で、年若い女性たちによるうっとりとしたため息も混じる。

 婚約以前、女性たちのあいだでは理想の男性、と名高かった国王陛下。

 いまではすっかり、結婚を夢みる女性たちの〝理想の夫〟となっていた。


 いまも肌を冷やす春風が吹き抜けると、甲斐甲斐しく番の肩へ薄衣を掛け、愛おしそうに見つめている。

 獣人は元より番至上主義であると有名だったけれど、近頃は獣人と番いたいと望む、人族女性が増えているとか。


 宿屋のハンナが、他国からやってくる女性が多くなり、宿の運営を見直している最中なのだと、リトに手紙で教えてくれた。

 今日は忙しくて、花馬車の行列は見られないと残念がっていたが。

 けれど少し前にお忍びで挨拶に行ったときには、泣くほど喜んでくれ、従業員全員ではしゃいで飛び上がって、大騒ぎしてくれたのだ。


「リト、気分は悪くないか?」


「大丈夫ですよ。ロヴェは心配しすぎ。何度目ですか? もう安定期に入ったから問題ないって院長が言ってたでしょう?」


「だが君の体に、もう一つ命が宿っていると思うと」


 心配そうにリトの薄っぺらな腹を撫でる、ロヴェの手はひどく優しい。

 妊娠が発覚する前、体調を崩したリトを目の当たりにした彼が、顔面蒼白と言えるほど狼狽えたとは――さすがに民たちも想像できないだろう。


 相変わらずリトは細身なので、心配する気持ちはわかる。だが診察してくれている院長は、手放しで褒められるほど健康だと言っていた。

 逆にロヴェの過保護を真に受けて、部屋に引きこもる生活をしないようにとも。


 それでもロヴェの生誕祭に合わせていた婚姻は、彼の一存で先延ばしにされ、春になりようやく今日を迎えた。


「ほら、せっかくの慶事です。そんな顔をしないで笑ってください」


「辛くなったらいつでも言ってくれ。王宮へ引き返す」


「民が楽しみにしていた日だというのに、なんて酷い王様でしょう」


「どんなに恨まれても俺にとって一番はリト、君だ。たとえこの子が生まれても順番は変わらないぞ」


「じゃあ、父さまの代わりに母さまが一番、愛してあげるからね」


「だっ、駄目だ。君の一番は俺でないと」


 お腹に添えた手を、慌てたように掴んでくるロヴェの様子を見て、リトは思わず吹き出してしまった。

 からかうつもりで言ったのに、いまにも泣き出しそうな顔をされては、これ以上いじめるのは可哀想になる。


「僕が一番愛している夫はロヴェ、貴方です。でも我が子の一番はこの子ですよ」


 しゅんとした耳を優しく撫でると、頬にすり寄ってくる大きな獅子がたまらなく可愛い。

 いつもは毅然として勇ましさを感じるロヴェが、自然と番に甘える様子を見た民たちも、微笑ましそうに笑い声を漏らしている。


「ロヴェ、女性たちがつけているあの花飾りは?」


「ああ、あれはキリエルがこの慶事にかこつけて売り出した品だ」


 馬車に手を振る、女性たちの髪や胸元に白い花が飾られている。

 おそらく生花ではなく造花だろうが、見事に国花〝メイヴィー〟を再現しているように見えた。


「いいのですか? 国花を売り物にして」


「売り出す前に条件などはすり合わせた。まず第一に本物と同じではないこと、売り出すのは国王の誕生祭を除く、慶事のときのみ」


「そっくりですけど、どこか違うんですか?」


「メイヴィーは花弁が六枚だが、商会が売り出したものは七枚の花弁がある。花ずいの部分も似せた青色にはしないことになっているんだ。青と言うより水色に近い」


「作り物とわかっていても、慶事のときにだけ売られる特別な品と思えば、手に入れたくなるものですよね。さすがキリエルさん。商売上手です」


「まったくだ」


 隣で苦笑しているロヴェだけれど。よくよく話を聞くと、この造花の売上は二割を商会に、残りはすべて傷ついた獣人、国民たちへ充てられるのだとか。

 そしてその後は基金として積み立てられていく、というのだから案を通したロヴェもさすがである。


 二人が沿道の民たちに手を振り、笑みを返しているうちに、馬車は王都の教会へとたどり着く。

 どの地にある教会よりも大きいらしい首都教会は、派手さはないけれど荘厳さに満ちていた。


 花馬車が到着した教会の周りは人だかりで、リトを抱き上げたままロヴェは赤い絨毯を踏みしめていく。

 教会内に参列者はおらず、最奥で宣誓に立ち会う大司教が待っているだけだ。


 神聖な雰囲気の中を歩くロヴェの横顔が、元来の美しさと華やかな白い礼服と相まって、舞い降りた戦の神かと錯覚しそうだった。

 傷を帯びたその姿さえ神々しいと感じるのは、リトの惚れた欲目だけではないはずだ。


「ロザハールの子らよ。聖杯より愛の証しをすくい、神へと誓いなさい」


 大司教の前には装飾が美しい水を湛えた杯があり、水底には二つの指輪が沈んでいる。

 夫婦となる二人は、聖水に浸かった指輪をお互いの指へはめてから、誓いの言葉を紡ぐ。


 ロヴェの節くれ立った指には、ペパーミント色の水晶を基調とし、太陽みたいに温かいオレンジ色の魔力石が寄り添うよう、埋め込まれた指輪。

 リトのほっそりとした指には、まったく逆の配色で彩られた指輪が煌めいた。


 昨年の誕生日にリトが贈った、水晶でできた魔力石と、ロヴェの練り上げた魔力石とを合わせ、結婚指輪を作ったのだ。


「ロヴェイン・ディル・ロザハールはこの魂が燃え尽きても、リト・ルルフィメールを永遠に愛することを誓う」


「リト・ルルフィメールは何度この魂が巡ろうとも、ロヴェイン・ディル・ロザハールを愛し抜くと誓います」


 お互いの胸元へ手のひらを当てて祈れば、頭上から穏やかで優しい祝福の光が降り注いだ。


「我らの神は貴方たちの愛を祝福しておられます。……ふっ」


 至極真面目な場面だというのに、急に大司教が笑いをこぼしたので、リトは閉じていた瞳を思わず開いてしまった。

 俯いているので、視界に映るのはロヴェと自分の足元だけ、のはずが――幼い獅子が父親の足にしがみついている様子が見える。


 ちらりとロヴェのほうへ視線を向けたら、なんとも言えない顔で眉間にしわを寄せていた。

 最終的には、甘えて長い足に頬をすり寄せる仕草に諦めを含んだ息をつき、小さな頭を思いのほか優しい手つきで撫でる。


「案ずるな。父はそなたへも愛を注ごう」


「あっ……」


 ロヴェに言葉をもらい、撫でられて満足したのか、仔獅子は満面の笑みを浮かべて光に溶けていった。


「先ほどの文句を言いに来たんですね」


「何度言われても、リトが一番なのは変わらないからな。だが俺は君との子はすべて愛するつもりだ」


「ロヴェは素敵なお父さんになりそうですね。みんなで幸せになりましょう。あの食堂で賑やかに過ごしたいです」


「ああ、末永く」


 自然とお互いが寄り添い唇が触れ合ったとき――教会の外には空から光をまとった〝メイヴィー〟が降り注いで、集まった民たちの歓声が王都中に響いたという。

 賢王ロヴェイン・ディル・ロザハールの名はこの先、ロザハール王国の歴史の中で長く語り継がれる。


 そして番を最も深く愛した王として、始祖ロザハールに並ぶようになったのは――余談であろうか。

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遅咲きの番は孤独な獅子の心を甘く溶かす 葉月めいこ @H_M

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