恋する乙女とおやすみなさい
「……もしもし。……大丈夫ですか?」
「あ、起きた。……おほん。もうおねむですか?」
「……最近、またお疲れですもんね……」
労わる優しい口調から、一瞬だけ調子づいて、すぐに勢いがなくなる。
「そうと決まれば、今日は
からかいのない穏やかで優しい口調。
「……いいえ。寝ちゃいましょうか」
「えぇ、寝てしまいましょう。何をするにも、まず心と体を休めないといけません」
「なんというか、目の様子もおかしいですし。さぁ、そうと決まれば寝てしまいましょう。ね?」
ぱたぱたと布団の用意をする柔らかい音。続いて、ぽんぽん、と布団を叩いて誘う音。
「さ、お布団入っちゃいましょう」
ごそごそと『あなた』が布団に入る。
「偉い、偉いですよ。じゃあ、電気消しちゃって失礼しますね」
明愛、囁くような声で就寝の挨拶。
「それでは。ごゆっくり、おやすみなさ――」
『あなた』の言葉に驚いて言葉が跳ねる明愛。
「――えっ?」
声量は上げないまま、明愛は慌てる。
「え、あの、あの? ……いいんですか? ……そ、添い寝、ですか?」
「あ、嫌とかじゃなくて。その、願ったり叶ったりなんですが、その……あは、えーと。いいんですか……?」
「……はい。疲れてて、心細い……ですか。わかりました。そういうことならば、僭越ながらお相手させていただきます」
「……では、お邪魔します……」
ごそごそと布団に入る音。以降、囁く声。
「あは……すごく、照れちゃいますね。背中合わせでも、照れちゃいます……とても」
「……色々な、お話をしてきましたし。揶揄うようなことも、誘惑するようなことも言ってきましたけど……あは、はは……いざとなれば、この通り。余裕なんてなくなっちゃうんです」
気弱な語調になる明愛。
「……私ね、まだまだ『お姫様』です。次期女王か、次期王の姉か……ではなく『お姫様』なんです。一人前ではありません。色んなこと、勉強中です」
「超能力も、ムラがあります。星や風の巡り、地球の地脈、私の体調……いろんなものの影響で、出来たり出来なかったり。調子が悪いと、何もできません」
「未来の科学に頼りきり、というつもりはなかったんですれけど……いざこの時代の地球に来ると、困っちゃったりもします。私、色んな人や技術に助けられていたんだなぁって思います。……未来の技術がすごいだけで、未来人が凄いわけじゃないですから」
「だから……この間の手料理を喜んでもらえたこと、すごくうれしかったです。ううん……それだけじゃなくて、いつも私の思い付きやお喋りに付き合ってくださって、全部全部、ありがとうございます」
真剣な口調から誤魔化すように笑い、少しだけ軽い口調になる。
「ふふ……なんて。すみません。もう寝よう、って言うのにお話ばかり」
「……はい。舞い上がって、ます。お父様や弟を除けば、ですが……男性とこんなに近くにいるなんて、初めて、なので」
「それも、大好きなあなたとなら……それはもちろん、舞い上がりますよ、ね」
「……私が、あなたを好きな理由、ですか?」
「あぁ……まだお話、していませんでしたか」
「そう、ですね……本当に、他愛ない話です。……こちらの時代に来て、こちらの星に来て……ほんの少しの困りごとを、あなたに助けてもらっただけ、です」
「いつの、何だったか? それは……お話するだけ、野暮というもの。覚えていないのでしたら、そのくらいの人助けが当たり前の善い人、ということです。偉いです」
「……ともかく、秘密は秘密。女の子は、秘密があってこそです」
「大事なのは……私があなたを好き、ということ」
「それと……こんな風にお喋りしていないといけないほどに、今、私はそわそわして、どきどきしている、ということですよ」
「……ふふ。胸に直接、耳を当てて聞いてみますか? 心音って、安眠にいいらしいですし、柔らかく抱きしめて差し上げますよ」
「……あはっ。今、どきっとしましたか? 私も、今すごくどきどきしてます。……流石の私も、これはまだ、勇気が出ませんね。あは、はは……」
「……代わりに、こう」
明愛、体勢を変える音。続いて耳を手で塞いだノイズ音。
「……心臓の音。このざぁって音は、血が流れていく音です」
「私が生きているって音。あなたと添い寝をして、どきどきしている音です」
「この音も、悪くはないでしょう?」
「それじゃあ、このまま少し、呼吸を整えてみましょうか。覚えていますか? 初めて会ったときのリズム」
「吸って、吸ってー……吐いて、吐いてー……。いーち、にー、……さーん、しー……ごー、ろく、……ななー、はーち……」
「上手、上手ですよ……」
「深く、吸って……吸って……吸って……吐いてー、吐いてー、吐いてー……」
明愛の深い呼吸音が続く。それから、呼吸音と耳元のノイズ音が終わって、明愛の囁き声。
「落ち着きましたか?」
「……うんうん。それじゃあ、目も閉じて……」
「おやすみなさい」
しばらく明愛の規則的な呼吸音が続く。
明愛、ふいに口を開く。
「……あの。起きてますか? ……寝ちゃってましたか?」
「……起こしちゃったのなら、ごめんなさい」
「……ね。……ふふ、どきどきして、私の方が眠れなくて……」
「だから……その。もう少しだけ、お話しませんか?」
「……お話って言っても。あんまり盛り上がったら寝られませんし。お疲れのあなたを。いつまでも付き合わせちゃいけませんから……」
「……昔話。私の星の昔話、しましょう。眠くなったら、そのまま寝ちゃってくださいね」
明愛、優しい口調で童話を語る。
「――むかしむかし。あるところに、女の子がいました」
「女の子は、可愛らしくて、家族にも愛されていて……だけど、それだけでした。得意なことは特になくて、引っ込み思案な女の子」
「女の子はある日、街へお使いに出ましたが……少し、困ったことになりました」
「いつも来ない街だから、どこに何があるのやら」
「道に迷った女の子は、街の片隅で泣いていました」
「そこに、同じ年ごろの男の子が現れて言いました。『どうしたの、何かあったの』」
「女の子は、泣きながら答えます。道に迷ったこと、お使いをしなきゃいけないこと……」
「男の子は、女の子の手を取って言いました。『わかった。じゃあ、僕が案内してあげる』」
「そうして二人は、街を巡り、あれこれお買い物をして……無事に全てを終えた二人は、日が沈むよりも早く別れました」
「その夜から、女の子は彼のことばかり思い出してしまいます。彼に会いたい、またお話をしたい。どんな物語の王子様よりも素敵な彼」
「だけど、同時に思います。私は、引っ込み思案で泣き虫で、お使いひとつ出来ないダメな子」
「……それから。女の子は、頑張りました。それはもう、頑張りました」
「お勉強をしました。オシャレも学びました。運動もお話も上手にできるようになって、お料理も覚えました」
「……だけど。最後の勇気が出てきません。いざ彼に会おうと思うと、自信がないのです。私はダメな子だと、自分にかけた呪いが解けないのです」
「だから、彼女は唱えました。……『私は、何でもできる魔法使い』……『私は、全てを知っている占い師』……『私は、別の世界から来たお姫様』……なんて、色々、夢見たままに、なんでもかんでも……」
「そうして出来た『私』を纏って、女の子は男の子に会いに行きました。彼は彼女のことを忘れていたけれど、構いません。嘘はいつしかバレてしまったけれど、大丈夫。二人は新たに愛を育み、幸せに暮らしました」
「大切なものは、嘘ではなかった。思い出ではなかった。二人が再び出会えたことが大切だったのです。嘘を頼りにしてでも踏み出したこと、嘘のように剥がれ落ちない本当の努力、何より、嘘も本当も生み出した愛こそが、大切だったのでした」
明愛、ぴたりと語りを止める。それから口調を真剣なものにして、『あなた』に問う。
「……なんて、御伽噺。あなたは、どう思いましたか?」
「偽物のドレス、的外れの占い、出まかせの呪文……そんな、いつかはバレる嘘で気を引くのは、正しいことなんでしょうか?」
「それとも、彼を思った時間が本物であれば、そのくらいの虚飾は許されるのでしょうか?」
「……ねぇ、あなた」
「……この御伽噺が、全部私のことだとしたら、どうしますか?」
「超能力は使えない。未来から来たわけでもない。他の星の王族でもない。小学校のころあなたを遠くから見ていただけの女の子。それが私だったら、どうしますか?」
「家にいたのは、久々に街で見かけたあなたの後をつけてしまっていて。家に入り込んだのは、あなたの家の鍵が開いていたから、出来心で。ボードゲームもスライムも、ちょっとした専門店で買ってきただけのもので。故郷の星の料理は、ネットで『海外の郷土料理』で調べて出てきたもので……」
「そんな私だったら、どうですか? 正真正銘、ただの嘘つきな、荒唐無稽な嘘を重ね着しないとあなたに会えない平凡な女の子の私だったとしたら……」
「そんな私でも、そばにいることを、赦してくれますか?」
沈黙。数度の呼吸音。
それから、小さな笑いと明るい囁き。
「…………なぁんて、ね。嘘です、みんな嘘。……あ、嘘って言ったのが嘘、です。……ふふっ、ややこしいですね」
「えと、ですね。超能力者で、未来人で、遠い星と地球のハーフのお姫様なのが本当です。明日か、明後日あたり、色々とお見せしますよ。超能力とか、船とか、お付きの皆さんとか。好きなだけ……とは言えませんが」
「そして……何より、あなたが好きって気持ちが、本当です」
「……さっきの御伽話の最後、覚えていますか?」
「嘘よりも、本当よりも、愛が大切だって」
「愛してほしいとは言いません。ただ……ただそれだけ、信じてくれますか? 受け取って、くれますか?」
小さく息を吸って、熱っぽく、大切に囁く。
フレーズひとつ言うごとに、言葉はゆっくりになり、間を取るようになる。
「わたしは、あなたがだいすきです」
「あいしています」
「あなたのことが、たいせつです」
「いつも、あなたをみまもっています」
「あなたのこと、いつもおもっています」
「わたしのこと、いつでもよんでください」
「きっと、いいゆめがみられます」
「あしたは、いいことがありますよ」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
大きな間の後で、明愛は小さく笑みをこぼす。
「……ふふ。眠くなって、きましたか?」
「じゃあ、今度こそ寝ましょうか」
「……おやすみなさい。だいすきなあなた……」
緩やかな寝息が規則的に続き、フェードアウト。
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