自称異星の王女と言葉と指の戯れ
ぺらり、とページを捲る音。その後、ぱたんと本を閉じる音。
「……ふぅ」
「あ、れ? いつの間に、帰っていらしたんですか? ……どうも、お邪魔しています」
「ふふ。そちらから話しかけていただけるのは、初めてですね。なんだか嬉しいな」
「あぁ……これですか? えぇ、こちらの時代で買いました」
「いいですよね、このシリーズ。私の時代でも人気ですよ。古い作品ながら、愛されています。映画になったりもしましたし」
「とはいえ、こうして実物を手に取って、まさしく舞台の時代、舞台の星で読めるというのは……全く、いいものです」
しみじみした口調から、あっけらかんと明かす
「……あれ。私、言っていませんでしたか? 私、地球生まれではありませんよ」
「父は地球の日本人ですが、母は……まぁ、この時代の地球人がまだ知らない星、とだけ言っておきましょうか。星を超えての大恋愛だったと、何度も聞かされました。そんな二人の間に生まれた私は、肌は父に似て、髪と瞳の色は母に似ました。……まぁ、肌の色は母も似たようなものですが」
「超能力者で、未来人で、異星人。それが私ですが……ま、今はただの読書家の乙女です」
読書家アピールするようにぱらぱらと一気にページを送る音。その後、また本が閉じられる音。
少しの間の後、明愛の苦々しげな声。
「……なんですか、何か言いたげですね?」
「……まぁ、そうですね。いつもああだこうだと口煩く言っている私が、あなたに声を掛けられるまで、あなたが帰っていることにすら気付いていなかった、というのは……『医者の不養生』というか、もっと俗に言えば『ブーメラン』というやつですが……」
小さく溜息。気を取り直して、荷物をごそごそと漁り始める。
「はぁ、わかりました。では……今日は、少し趣向を変えましょうか?」
箱が机に置かれる。上等な包装らしく、解くだけでするすると心地よい音がする。
明愛、いつものように芝居がかった説明口調。
「はい。マッサージ用のスライムです。これは、こちらの時代のものじゃありません。ふふっ、いいでしょう?」
「ゼリーのように柔らかく、塗り込めばクリームのようによく馴染む。洗浄や美肌効果もあれば、凝り固まった筋肉を和らげるのに最適な成分も配合されていまして……っと」
「色々と詳しく説明すると長くなりますが、要するに、今日はこれであなたのお顔から首、肩にかけて癒してさしあげましょう……と、思っていたのですが、予定変更です」
「あなたの『自分のことは結局棚上げにしているじゃないか』という視線にお応えして、今日は少し、方向性を変えてみましょうか」
説明を止めて、さらりとした口調。
「タオルも敷いて、器も置いて。はい、お手を拝借。……ふふ、やっぱり大きいですねぇ。立派で、なにより」
「ちょっとひんやりしますよ……」
スライムをぺたりと掌に落とされる。以降、ジェル、スライムを扱う水音が明愛の声の後ろで散発的に聞こえる。
「……ふふ、いかがですか? 案外悪くない感じでしょう?」
「普段は液体で、力を掛けると固まって、もっと力を入れると崩れて液体になる……なんて性質のモノは、この時代の地球にもあります。ご存じですか? 片栗粉とか、そうなんですが」
「それをさらに、丁度良く調整したのがこのスライムです。マッサージ用に液体にしても、少し熱して溶かしてもいいし、単に握って遊んでもいい。そういうものです」
「おや、気に入りましたか? どうぞ、お好きに楽しんでください」
暫くスライムを扱う音。その後、明愛の真剣な声色。
「さて……では、失礼します」
大きな水音。『あなた』の手の中のスライムが握り潰され、零れ落ちる。
「……今日は、お互いに手を握り合ってのマッサージ……」
小さな水音。照れた様子の明愛。
「ふふ……最初は、首筋や肩の予定だったんですが。……これはこれで、いいですね」
「それに考えてみると……いきなり首筋を見せていただくのも、私はともかく、あなたにとっては抵抗があるでしょうし。最初は掌だけで……ね?」
水音が止む。その後、『あなた』の反応に明愛が小さく安堵して、マッサージ再開。
「ふぅ。……では、してみましょうか? マッサージ……」
明愛、囁くような口調になる。
「ぐにぐに、ぷにぷに、どろどろ……うんうん、いい調子」
「指の間を探りあって、掌のツボを……こんな風に、押してみて。……おや、変なところを押してしまいましたか? ふふ……日頃から、食生活にはお気をつけて? ……なんなら、今度手料理を振舞って差し上げましょうか」
「次は塗り込むように、手を握ってみたり……。骨がしっかりしてる、って言うんでしょうか、見た目以上に握り甲斐がありますね、あなたの手」
「ふふ……どうぞ、遠慮なく。私の手は確かに、可愛らしく小さいですけれど……触ってもらわないと、今回のテーマから外れちゃいますよ。……んっ、そう、そのツボです。あは……そう、です。上手ですよ。……でも少し、指使いがえっちなような。……ふふ、なんちゃって。いいですよ、その調子です」
「なんだか、お顔が緩んできましたね? お気に召したようで何より。私も一安心です……あぁ、これにしてよかった」
「え? いえ、私もこれを使うのは初めてです。似たようなものはたまに使いますけれど、これは最新成分を使ったものでして。……正直、大奮発です」
「……あぁ、そうですね。前回のボードゲームの時も、珍しいとか高級品とか言ってしまったような……。すみません、鼻につきましたか?」
「そう、ではない……ですか。それは、ありがとうございます」
「そうですね、うーん……お嬢様というのも、言うほど間違いではありません」
明かすか躊躇う明愛。数度の唸りの後、まぁいいかと脱力した様子で話す。
「私ね、実を言うと……母の星のお姫様なんです。母が女王、父が入り婿の国王、そして私と弟……そんな、とある星の王家です。だから『お嬢様なんじゃないか』も、ある意味大正解ですね」
「……あらぁ? 手が強張っていますよ、あなた?」
「あははっ……大丈夫ですよ。私がお姫様だからって、緊張することもありません。この時代の地球での私は、ただの恋する乙女です。ここに通ってるのもプライベートですし、メイドや護衛からのあなたの評判もいいですから、安心して今まで通り『変な女の子』扱い、してください」
「ささ、またゆっくり解していきましょうか。はい、掌開いて、指伸ばしてー」
「そうだ、ついでにもうひとつ疑問を明かしておくと。未来人で宇宙人の私がこんなに『普通』の日本語を話せるのはなぜか、気になっていたりしませんか? 翻訳機とかは使っていませんよ」
「私が日本語を喋れるのは、父親の影響や王室の教育もあるんですが。それでなくても、私の時代では、地球の日本語って宇宙的にメジャーなんです」
「私が読んでいた小説のように、色んな作品が人気という面もありますし……」
明愛、耳元で囁く。
「……お手々を、むにむに。指と指を、すりすり。ツボを、ぐにぐに。スライムを、ぺたぺた。手首まで、ぎゅ……」
「骨が、ごつごつ。爪同士で、かりかり。私と絡んで、ぬるぬる。スライムが崩れて、とろとろ。スライムはひんやり、だけど、手と手が絡んでぽかぽか。……耳元で囁かれて、あなたは、ふわふわ。わたしは、どきどき。どきどき。どきどき……」
耳元から明愛が離れていく。
「……とまぁ、こんな感じで、オノマトペの語感が可愛いってウケてたりもします」
「なので、私は日本語が話せるのも自然ですし……あなたがお婿さんになっても、言葉の壁はありません、というお話でした」
「……うふふ。お顔が赤くなっていますね? 可愛らしいです」
「ふふっ、ええ、マッサージが効いてきたから、ですよね。いよいよ積極的になってきた私にどきどきしている、というわけではありませんよね」
「私の手の小ささに驚いた、ではありませんよね。あなたと出逢ってから、それまで以上に入念に磨いている手が心地いい、とかじゃなくて。囁きでふわふわしちゃったとか、髪の香りが甘くてでもなくて……」
「……どきどきしてるのは、マッサージのせい。このスライムの成分のせい、ですよね。わかっています、わかっていますよ」
調子よく煽る明愛、トーンダウン。
「……まぁ。私の顔が赤いのは、マッサージだけのせいではないのですが」
マッサージの水音が止まり、明愛の声がはっきり聞こえる。
「あんまりにも、色々言いすぎたかな、とか。お婿さんとか言っちゃった、とか。ぬるぬるして変な感じ、とか。左手薬指に触れちゃったとか、サイズも覚えちゃった、とか。それ以前に、あなたと手を絡ませるだけでもどきどきしている、とか……です。私の顔が、赤くなっているのは」
「……髪をかき上げたら、きっと耳まで赤いはずです。それくらい、熱い、です」
「ふぅ……余裕の顔ばかり見せてきましたから、なかなかこの顔を見られるのは気恥ずかしいですね」
「とはいえ。これも私、これこそ私、ですから。さっきも言いましたでしょう? 今の私は、超能力者でも未来人でも、とある星の王女様でもなく、恋する乙女なんです」
「なし崩しとはいえ……改めて、本気だと伝えられてよかったです。好きですよ、あ・な・た……ふふっ」
マッサージ再開。
「さぁ、マッサージを続けましょうか。手が飽きたなら、腕でも耳元でも、いつでも言ってくださいね」
水音、明愛のくすぐったがる声などが少し続き、フェードアウト。
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