第19話 愛が強すぎる


「親父!?」

「ご無事ですか!」


 私が彼の首筋に剣をあてがったところで、扉が開かれた。アンソニ様と警備の騎士たちが雪崩れ込んでくる。殺すつもりなら問題ないが、今日の目的はジークフリートを殺すことではない。

 どうにか時間を稼がないと、と口を開く前に、当のジークフリートが叫んだ。


「手を出すな!」


 腕から大量の血を流して跪き、首筋に刃を当てられながらなお鋭い発声。


「これは決闘だ。俺は負けた。ディーネ・アンディール、約定をもう一度宣言するがいい」

「……噂を撒く他国の手の者と手を切るように」

「承った。アンソニ、聞いたな」

「ま、待てよ親父!? 俺は、別に……」


 警備の騎士たちは思わぬ展開に戸惑っている。その中に一人、二人。騎士にあるまじき殺意を放つ者が紛れている。狙いは私か……ジークフリートか。他国の諜報員だろう。

 暗殺でうやむやにされる前に確定してしまわなければ。


「結構です。その約定が果たされるならば、私は卑劣な手段で決闘を迫った咎をいかようにも償いましょう」


 名誉を懸けた決闘自体は、貴族として誤りではない。昨今は流行らないし、天秤宮が目指す法の支配とは真逆の方向ではあるけれど。

 ただ、決闘に至るまでの私の行為は明らかに悪質である。それを明らかにすれば、敗北したマイノー家の名誉も守られるだろう。私の首と引き換えに。

 そういう意味で、私の首はマイノー家に差し出すものだ。他国の暗殺者にくれてやれるものではない。

 周囲の者たちがざわつく。ジークフリートには約定を書面に認めさせようと思っていたが、これだけの人数が宣言を聞いたのなら不要だろう。


「…………ああ」


 ふっと吐息がこぼれ、力が抜ける感覚。戦士としてはるか格上の相手との決闘で張りつめていた神経が緩んでいく。体力も気力も限界だった。傷一つない勝利は余裕の表れではなく、一手でも傷を受ければ勝てないという最低条件だった。

 勝算があったとはいえ、勝てたのは奇跡に近い。細い可能性を手繰り寄せることができた理由は、ああ、きっと。


 ――愛、でしょうか。

 

 笑ってしまうほど都合のいい解釈だが、まあ。今日くらいはいいだろう。

 限界を迎えて膝が落ちる。ジークフリートの剛剣を何度も防いだ手に握力は残っておらず、剣が床へと滑り落ちた。厚手の絨毯に音もなく刃が刺さった瞬間、他国の諜報員が二人、動いた。

 視界の端に鈍い煌めき。シンプルな作りの短剣。刀身が濡れて見えるのは毒か。身を躱す余裕はない。多少の毒には耐性があるが、動けなくなれば結果は同じ。

 生きて帰れれば最善ではあったが、仕方ない。目的は果たした。裏切花ダリアの娘として、相応しい末路ではあろう。

 そう思っていたのに。

 受け入れたはずだったのに。


「――ディーネ!!」


 その、愛しい声を聞いた瞬間に、涙が溢れてしまった。


「セルジュ、さま」


 開かれたままの扉から駆け込んできたセルジュ様が、剣で短剣を叩き落とす。

 逆側からの短剣は、ドレスを着た美人が鞭で絡め取っていた。


「無様なことね、お姉様!」


 弟のクラインだ。何故二人が一緒に? そんな疑問が一瞬浮かび、セルジュ様に抱き締められてかき消えた。

 しなやかだが鍛えられた腕に、力強く包まれるように抱かれる。今はただ、その幸福しか考えられない。


「無事でよかった。待たせてすまない」

「セルジュ様、せる、じゅ、さま」


 確実な死から、暖かな抱擁に。落差で思考が痺れている。身も世もなく縋り付いて、何故か溢れて止まらない涙で肩を濡らす。何かを……お礼とか、お詫びとか、伝えなければならないことはいくらでもあるのに……唇は彼の名を呼ぶだけで精一杯だった。


「不届き者を捕らえなさい!」


 クラインの鋭い叱責で、状況がわからず固まっていた騎士たちが動き出す。その動きを背景に、私はただセルジュ様に抱き締められていた。

 黒いヴェールを彼の手が丁寧に持ち上げる。視線が合って、恥ずかしくて目を逸らした。


「……ディーネ」

「……はい」

「怪我はないか? 痛みは? ……立てるか?」

「……はい」


 こくりと頷く。その動きで溢れた涙を最後にしようと、まぶたに力を込める。立つ動きは、結局セルジュ様に縋り付くような無様な姿勢になった。彼の胸は頼もしくて、甘えてしまう。


「……どうして、ここに?」

「貴女の実家を訪ねて居場所を聞いた。遅くなってしまったが、間に合ってよかった」

「すごかったんだぜ、眼鏡を光らせてババアに詰め寄って。『俺の妻はどこにいる』ってさ。ババアがあんなに気圧されてるのは初めて見た、最高に笑えた」

「く、クライン。失礼なことをしてないでしょうね」

「妹君……いや、弟君にはお世話になった。彼の迅速な動きがあったればこそだ」

「ですってよ、お姉様。では私は賊を追って参ります。お二方はどうぞごゆるりと――おい騎士ども、勇猛伯の名に泥を塗る気か! 走れッ!」


 鞭を鳴らして騎士たちを鼓舞し、クラインは逃げた諜報員を追う。私も、と言いかけて、言葉を塞ぐように頭を抱き寄せられた。胸に顔を寄せる姿勢で、吐息すらままなくなってしまう。わずかに感じる汗の気配は、セルジュ様が本気で走ってきてくれた証だ。

 視線を上げる。眼鏡がわずかにずれている。透明なレンズの向こうで、瞳が優しげに細まった。


「愛している」

「ぴぇあ」


 待って。やり直させて。そんな優しい微笑みは、ずるい。


「貴女は貴女であるだけで、愛おしい。……だが」

「……ふぁい」

「貴女の考えがあり、求めるもの、目指すものがあるということを忘れていた。……恥ずかしながら、貴女の決断で目を開かされた心地だ。愚か者だが、許してほしい」

「許す、なんて。私こそ、勝手を……もう、貴方のそばには……」

「離すつもりはない」

「…………また、我儘を言うかも、しれませんよ? 貴方が愛してくれた私では、なくなってしまう、かも」

「より魅力的になると言うのなら、期待してしまう」

「……ばか」


 勝てるはずもない。だって、私の胸はこんなにも、喜びに打ち震えているのだから。

 悔しいくらいに幸せで、痛いほどに愛おしい。表現しなければ爆発してしまいそうな感情のまま、背伸びして口づけを求めた。はしたない私の衝動に、彼はそれ以上に答えてくれて――


 ――応急手当を受けたジークフリートがいかめしく咳払いをするまで、そうしていた。

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