第17話 裏切花〈ダリア〉の娘
マイノー家の
「止まれ。何者だ」
「獅子宮からの遣いです! マイノー家のご当主にと承っております!」
騎士はまだ年若い。緊張しているのか、高い声を上擦らせて、背筋を必要以上に伸ばして獅子宮の紋章を掲げて見せる。革の胸当てと剣だけを身につけた軽装だ。
戦を司る獅子宮から使いがあることは珍しくないが、新月の夜に、というのはいかにも剣呑だ。騎士は先輩である相方に視線を向ける。
先輩の騎士は無遠慮に来訪者を見つめる。疑わしそうな視線で全身をくまなく見つめた後、あくびを噛み殺し、頷いてみせた。
「いいんじゃないか、証もあるし。侍女を呼んでやれ」
「了解しました。通れ」
「ありがとうございます!」
「おい、馬鹿。剣はここに預けるんだよ」
「はッ! 失礼しました!」
若い騎士は剣を鞘ごと外して預け、侍女に取り継がれて屋敷の中へ。
それを見送って、先輩の騎士は首を傾げた。
「……うーん。獅子宮にあんな顔のいい騎士がいたら、俺のしっとセンサーが働くはずなんだが」
▼
騎士のふりをしてマイノー家の屋敷に潜入したディーネは、蝋燭を持った侍女に案内されながら、ばくばくと脈打つ心臓を必死に宥めていた。
――知りませんでしたわ。しっとセンサーなどという感知技術があるなんて。
男性が男性に向ける嫉妬心を利用した技術だろうか。百戦錬磨の祖母から教わっていないということは、
さておき、首尾よく屋敷の中には入れた。忍び込むより、正門から入った方が案外安全なものだ。騎士の歩き方を保ちながら、侍女の後をゆっくりと歩く。
階段を登り、当主ジークフリートの書斎に向かう。侍女のノックを受けて、入れ、と声がした。
「失礼します」
騎士らしく声を張り、室内へ。ランプの灯りで書き物をしていたジークフリートが顔を上げる。
彼が見たのは、若い騎士ではなく――
「……何者だ」
「アンディール家の娘、ディーネと申します。お初にお目にかかります、勇猛伯ジークフリート様」
黒い
黒の帽子、黒のヴェール、黒のショール、黒の手袋。複雑な縫い込みがうっすらと浮かびあがる黒のドレス。スカートはパニエが必要ない程度に広がった縦長の印象のAライン。胸元と腰回りにだけレースをあしらった、黒尽くめの
決戦礼装、〈
そのスカートを軽く摘んで、腰を折った。
「深夜の来訪をお許しください」
「用向きは」
「スターツ家のセルジュ様に対する疑念を晴らしに」
「貴様のような穢らわしい女が来ること自体が、奴の不義の証拠だ」
さすがは勇猛伯というべきか。暗殺者に対して恐怖は一切ないようだ。一方で油断もしていない。ペンを持っていた手は既に懐の短剣を掴んでいるし、視線は隙なく私を捉えている。
彼を暗殺するとなれば、相応の苦労があるだろう。
だが、今日の私は――否。
これからの私は、暗殺者ではない。
「私は語る言葉を持ちません。ですので、まず噂について解除を求めに参りました。正しい情報を、正しい理性で以て論じれば、セルジュ様の正義は明らかになるはずですわ」
「正義を語るか、暗殺者風情が」
「いいえ、決して語りません。私は
正しい人が、輝かしい道をまっすぐに進めるように。
私は闇を払おう。
黒の手袋をそっと脱ぎ、床に落とす。
「ジークフリート・マイノー。真実と名誉を懸けて決闘を申し込みます。私が決闘に勝ったなら、あらぬ噂を囀る他国の手のものと縁を切りなさい」
視線だけで人が殺せるなら、私は三度ほど死んだに違いない。
花の国最強の武人と名高いジークフリート・マイノーは、暗殺者の小娘から決闘を申し込まれたという事実だけで、血管が切れそうなほどに激怒していた。机を殴りつけ、勢いよく立ち上がると壁にかけられていた剣を掴む。全身に力と怒りが漲っていた。それでも斬りかかる前に声を上げたのは、貴族としての矜持であったか。
「ディーネ・アンディール。決闘を受けよう。首はあの小僧と共に並べてやる」
スカートの下に仕込んだやや短い剣を抜いて、構えた。
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