第14話 距離感が近すぎる

 王都が誇る二重の城壁、〈花弁〉。その外側と内側の城壁の間を南北に流れるイートン川は、王都の人々にとって大切な水源であると同時に、古くから詩に詠われてきた風景だ。この川沿いでは貴族も庶民もなく、ただ流れる水と吹き抜ける風に思いを馳せる。

 そのイートン川の遊歩道を、私とセルジュ様はゆっくりと歩いていた。

 腕を組んで、肩を寄せ合う距離感で。


 ――近い!


 この距離感に慣れることは永遠になさそうだ、と思う。自宅での抱擁ハグや舞踏会のダンスならまだいい。『そういうもの』として覚悟ができているからだ。

 だが、川面を煌めかせる陽光の下、周囲にも人が多く歩いている外で密着するのはとても恥ずかしい。心臓がどきどきと跳ねている。利き腕を拘束されているのもよくない。


「ディーネ、眩しくはないか?」

「は、はい。ありがとうございます、大丈夫ですわ。ただ……」


 本日はお外を歩くと言うことで、流行の幅広帽子にお出かけ用のシンプルなのワンピースを選んだ。青みがかった白の生地は昼の外出着のお気に入りだ。細い黒のベルトを二本、斜めがけに腰に巻いてアクセントをつけた。

 セルジュ様は今日もスーツだが、ダークグレーのそれは普段よりも柔らかな仕立てで、少しだけ隙がある印象を見せており、目を惹く。


「ただ?」

「……その、近く、て」

「もう少し遠出が良かったか。申し訳ない。そうだな……今の案件が落ち着いたら、しばらく休みをとって俺の領地に行かないか。田舎ではあるが、豊かな土地だ」

「それは素敵ですわね……いえ、嬉しいのですがそうではなく。こ、この近さで歩きにくくはありませんか」

「貴女が傍にいてくださる以上に、俺の足取りを軽くすることはない」


 ――気分ではなく、物理的な距離のお話なのですが!


 頬が熱い。絶対赤くなっている。帽子の広いつばを傾けて顔を隠す。陽光の下では誤魔化せなかった、帽子をかぶってきて良かった。

 セルジュ様の足が止まる。


「……?」

「大丈夫か?」

「へぁ!?」


 帽子のつばを丁寧に持ち上げて、セルジュ様が覗き込んでくる。真っ赤な頬を見られてますます顔が熱い。我ながら消え入りそうな声で、大丈夫で、と答える。

 す、と最後まで言えなかったのは、セルジュ様の指先が頬を撫でたからだった。


「ふぃ……!?」

「ふむ。少し赤いが、熱があるわけではなさそうだ。無理をさせていたならすまない、少し休もうか」

「だ、だ、大丈夫、です、ので」

「……そうか? では、もう少し先まで。それと、できれば顔は隠さないでほしい。貴女の瞳が見えないのは惜しい」

「はひ……」


 結局セルジュ様に縋り付くような姿勢でまたゆっくりと歩いていく。散歩しているだけなのに、心臓は全力疾走した後のように早鐘を打ち、涼しい風が吹き抜けても頬の火照りは収まらない。

 辿り着いたのは川縁に芝生が広がっている一角だ。王都の民の憩いの場で、子どもたちは駆け回り、恋人や夫婦が寄り添っている。

 その片隅にセルジュ様が腰を下ろす。上着を脱いで芝生に敷き、どうぞ、と示してくださった。


 ――座れと!?


「そ、そこまでしていただかなくとも」

「では俺の膝に座るか?」

「おほほほ愉快な冗談ですわ」


 真顔で言われたがきっと冗談だろう、そうに決まっている。失礼、と断って上着を取り、丁寧に畳んで抱えながら芝生に尻を下ろした。

 ふう、と一息つく。疲れたわけではないが、幸福と羞恥と緊張で精神的に踊り続けていたような心地だ。今朝から、否、昨晩に『デートをしたい』と誘われてからずっと。いかなる状況でも眠れる訓練を積んでいなければ、一晩中そわそわしてしまっていただろう。


「……良い風が吹きますね」


 今もなお発展を続ける王都に、広いスペースはあまりない。広い川の上を吹き抜けて芝生を揺らす風が、火照った頬に心地よい。

 イートン川はお世辞にも清らかとは言えない水質だが、それも王都の生活を支えているがゆえだ。隣のセルジュ様は川ではなく私に視線を向けながら頷く。


「時折、ここに来る」

「息抜き、ですか?」

「それもあるが、何より……」


 セルジュ様の瞳がふと私から離れた。行き交う人たちと、陽光を反射する水面とを眺める横顔は、普段より少しだけ……力が抜けて見えた。

 見蕩れながら、言葉を待つ。わずかな沈黙を抱き締めるように。


「川や風は公平だ。ただ流れ、吹いている」

「……はい」

「貴族とはそうあるべきだと考えている。何かを支えるからこそ貴いのだと……そうあって欲しいと思っている。そのためには法の適正な運用が必要で……俺は正義や公正ではなく、自分の、いわば我儘のために動いている。貴女には伝えておきたかった」

「……お言葉ですけれど」


 普段の、話すべき事柄を完璧に見通しているような確信がこもった話し方とは違う、訥々とこぼれる言葉に聞き惚れる。一呼吸を置いて、言葉を挟ませてもらった。

 斯様に知性の深い方でも、自らの行いは見えにくいものか。なんとなく面白みを感じて、口元をつい綻ばせる。


「貴方のは、我儘などではなく。理想、と呼ぶものと思いますわ」

「理想、か……そう、良いものでは……」

「とても素敵で、美しい。……困難だとは思いますけれど。聞かせて下さって、ありがとうございます」


 泥の底にいる私のような暗殺者にも。

 セルジュ様の理想は、星のように美しく思えた。


「私も、微力ながらお手伝いをさせていただきたいと、そう思います」

「そばにいてくれるだけで、俺にとっては望外の喜びだ。だが……ありがとう」

「はい」


 そっと肩に触れるセルジュ様の手。身を委ね、抱き寄せられる。

 川の煌めきが眩しくて、帽子を傾ける。帽子の影の下で吐息を重ねた。



 帰宅した私たちを待っていたのは、職権を濫用した咎でセルジュ様を王宮に召喚する、喚問状だった。

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