第12話 舞踏会にて

 貴族の子女の重要な仕事のひとつが、社交である。

 舞踏会や晩餐会に招き招かれ、顔をつなぎ、縁を深める。そうして編まれる社交の網が、複雑な政治問題を解決するために重要になってくるのだ。

 正直にいえば、社交は苦手だ。苦手だが逃げられるものではない。アンディール家の娘ではなく、スターツ家の嫁としてはなおさら。


「ごきげんよう。お招きいただき感謝いたしますわ」

「ようこそお越しくださった」


 そういうわけで、私は今夜、セルジュ様と婚姻を結んでから初めての社交場に立っている。

 招いてくださったのはスターツ家と付き合いのある公爵家で、セルジュ様と共にお邪魔した形だ。広いダンスホールを照らす灯りは煌びやか。お気に入りの灰緑色セージグリーンのドレスは、少々地味だったかもしれない。


「では、早速だが一曲踊ろうか、ディーネ」

「あら……せっかくですから、他の方とお話ししてきた方が良いのでは?」

「貴女以外の方と踊るつもりはない」

「…………嬉しいのですけれど、セルジュ様。舞踏会の意義が……」


 喜べばいいのか呆れればいいのかわからないまま、手を引かれてホールの只中へ。ゆったりとした三拍子が流れる中、セルジュ様に導かれてステップを踏む。

 今日のセルジュ様はいつもの古典的オーソドックスなタキシード。金の鎖でアクセントをつけている。ステップを踏むたびに金の鎖が揺れ、銀の眼鏡が煌めく。なんとも似合っていて格好良い。私だけでなく、周囲のご婦人がたも大いに見蕩れている。


「……ドレス、新調しないとです」

「今日の装いもとても似合っているが」

「貴方にふさわしく……というのは難しいですけれど、少しでも釣り合うようにならないと」

「貴女は貴女のままで魅力的だ」


 踊りの振りをして身を寄せ、真っ赤になった顔を見られないようにする。鼓動もステップも乱れそうだからやめてほしい。もちろん実家の訓練でダンスも叩き込まれているから、どんなに動揺していても身体は勝手に駆動するのだけれど。

 とん、と背中に軽い衝撃。

 不慣れな様子で踊っていた組が、距離を取り損ねてぶつかってきたのだ。

 どちらも年若く、ご令嬢の方はデビューしたてという様子で微笑ましい。軽く会釈する。


「失礼」

「申し訳あり……ひいっ!? アンディール家の!? ごめんなさい殺さないで!」


 令嬢が顔を青ざめさせ、パートナーの男性と共に慌てて遠ざかっていく。最近はセルジュ様のおかげで実感する機会が減っていたけれど、アンディール家に対してはままある反応だ。

 ちょうど曲も終わりかけだったので、セルジュ様に目配せして踊りを終える。歓談する貴族たちの方へ向かうと、さっと人混みが割れていく。


「お疲れ様。酒をいただこうか」

「はい、セルジュ様」


 セルジュ様と共に壁際に寄り、お酒を受け取る。上品な香りの白ワインだ。遠巻きに向けられる視線を肴に一口。

 はふ、と吐息が漏れる。

 さりげなく少しだけ体を離そうとしたら、腰を強めに抱かれた。


「……ダンスは終わっていますよ?」

「離れる理由にはならない」


 ご令嬢がたからの鋭い視線が痛くて、とは言えないまま大人しく寄り添う。正直なところ、優越感など感じる余裕もなくただ申し訳なさが先に立っていた。『なんでお前がそこにいる』といわんばかりの視線には、いえ全く仰る通り、と恐縮する他ない。


『あれがアンディール家の……』

『先月死んだ男爵も……』

『スターツ家の若造も酔狂な……』

『暗殺の片棒を担いでいるらしい……』

『地味な娘だが恐ろしい……』


 ――今。聞き捨てならないことが聞こえましたわね。


 私に対する噂は構わない。裏切花ダリアの娘であることは事実で、アンディール家は噂以上のことをしているからだ。

 だがセルジュ様に対しての誹謗は許されない。


「セルジュ様」

「どうした?」

「…………ええと、その」


 名を呼んでから気付く。後ろ暗いことをするので一人にしてください、などと言えるはずがない。


「呼んでみただけですわ」

「そうか。貴女の声で名を呼ばれるのは、何度目であっても心を震わせる」

「……ありがとうございます」


 私の台詞である。

 結局、離れられたのはしばらく経ってからだった。セルジュ様のお知り合いの方が、うちの姪と踊ってくれないか、とご紹介に来たのだった。


「申し訳ないのですが、俺は……」

「せっ、セルジュ様。社交、大事ですから。私は気にしませんから。お願いですからどうか」

「……わかりました。俺でよければ喜んで」


 本気で断ろうとしたのがわかったので慌ててフォローする。アンディール家の嫁は嫉妬深い、とか新しい噂が立ちかねない。

 ともあれセルジュ様が離れた隙に、ウェイターを一人、手招く。


「ご用でしょうか?」

「ええ、“サンジア産の林檎酒はあるかしら。祖父が好きだったの“」

「少々お待ちください」


 ウェイターの男性は愛嬌のある笑顔を浮かべて一度離れる。

 視線をセルジュ様の方へ戻すと、まだ年若いご令嬢の手を引いて和やかに踊っている。セルジュ様のリードは強引さがなく、穏やかで自然なものだ。基本通りの動きを的確に導いてくれる彼の手は、ダンスが上手くなったと思わせる類のリードだった。

 ステップには人柄が出るという。アンディール家の訓練……ダンス中に転びかける訓練とか、リードされるように見せて男性パートナーを誘導する訓練とか……を受けた身からすると眉唾物の言説だが、セルジュ様を見ていると一理あるかもしれないと思う。

 伸びた背筋としなやかに伸ばされる腕に、厳格な天秤を想起する。


「………………お美しい」


 我知らず、吐息と言葉がこぼれた。はしたない唇をグラスで隠す。

 ちょうど戻ってきたウェイターに空のグラスを渡した。


「申し訳ありません、マダム。ご要望の酒はご用意がございませんでした。代わりにこちらを」

「ありがとう」


 林檎酒のグラスを受け取る。泡が弾ける爽やかな香り。そのグラスの下に一緒に渡された紙片をドレスの隠しポケットに仕舞った。『耳』の中でも有能な男だ、流石に迅速で滑らかな仕事だった。

 その後は少しセルジュ様のお知り合いの方と歓談し、一曲が終わり戻ってきたセルジュ様を出迎える。姪の女性はぽぉっと上気した表情を浮かべてセルジュ様を見つめている。さもあらん。


「お相手ありがとうございました。またのご縁を」

「はい……セルジュ様……」


 ――惚れましたね。気持ちはわかりますわ、痛いほど。

 全く罪作りなセルジュ様。ふわふわした足取りで離れるご令嬢を見送ると、セルジュ様はこちらに視線を向ける。眼鏡が光った気がした。


「先ほどの男は?」

「あら、貴方のお知り合いだと……」

「ウェイターの方だ」

「……見ていらしたのですね」


 誤魔化せませんでした。


「彼もアンディール家の『耳』ですわ。少し調べ物をお願いしました」

「調べ物?」

「ええ、噂について」


 紙片にはこうあった。


『セルジュ・スターツはアンディール家に籠絡され、暗殺を隠蔽している、との噂。出所は不明。複数の経路。作為の可能性あり』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る