第10話 局長、ダリオ・ファイーズ
天秤宮は三階建ての石造で、局長室というプレートが打ち付けられた扉はその最上階にあった。
セルジュ様が扉をノックする。
「どうぞ」
低く深みのある声に招かれ、二人で室内へ。待ち受けていたのは――刃だった。
「!?」
鋭い踏み込み、上段から振り下ろされる剣。剣を握るのは壮年の男性だ。その顔には凶暴な笑みが浮かんでいる。咄嗟に腰に手をやりかけて、セルジュ様の体が邪魔になる姿勢のせいで一瞬遅れる。
避けられるか。私はともかくセルジュ様を怪我させるわけには――
私が動く前に、セルジュ様が一歩前に出た。手には護身用の
続いて、大いに愉快そうな笑い声。
「うわっはっはっは! 腕を上げたな、セルジュ!」
「局長。戯れはほどほどになさってください」
……局長?
斬りかかってきた男性を、セルジュ様の影からまじまじと見つめる。赤髪とひげが豊かな五十絡みの男性で、大柄な体格が熊を連想させる。並の騎士なら両手で扱うような重厚な剣を軽々と操り、腰の鞘に収めた。
天秤宮局長、ダリオ・ファイーズ。法の守護者にして、花の国随一の騎士。
事前に知っていた情報からは想像もつかない様子に、セルジュ様の後ろで呆然とするしかない。戯れと言っていたが、剣には確かに殺気が宿っていた。
「そちらの美しいご婦人は?」
「怪我はないか、ディーネ。驚いたと思うが、獣が跳ねたものと思って無視してほしい」
「は、はい……ありがとう……ございます」
「上司を無視するとは度胸もついてきたなぁ、んん?」
ダリオ局長はあくまで楽しそうに、大きな執務机に腰掛ける。行儀は悪いが、不思議と似合っていて絵になる。
セルジュ様は短剣を仕舞い、こちらに向き直って視線を注いでくれる。表情こそ変わらなくとも、心配してくれているのがはっきりと伝わってきてこそばゆい。
「私は怪我はありませんわ。セルジュ様こそ、腕は大丈夫ですか?」
「問題ない」
「よかった。……では、あの、ご紹介いただけると助かります」
微笑んで、大丈夫です、とアピールする。ダリオ局長が楽しげに眺めているのが恥ずかしい。
「こちらは天秤宮の局長、ダリオ・ファイーズ殿。危険だからそばに寄らないように。局長、こちらは先日妻になってくださった、アンディール家のディーネ嬢です」
「は、い、いいえ? よ、よろしくお願いいたします……ディーネ……スターツと申します」
「ぐわははは、酷い言い様だな! ダリオだ、セルジュは難物だろうが付き合ってやってくれ」
『確かに』と『貴方も大概です』、心に浮かぶ感情を沈めて曖昧に微笑む。
「それにしても、なるほど大した女性だ。卒倒するどころか、太刀筋をしっかり見ていたな」
「局長。人の妻を試すようなやり方は控えていただきたいのですが」
「許せ、許せ。一度、アンディール家の技を見てみたかったのだ」
「私は……その、そういうのは苦手でして……ご期待に添えず申し訳ありません」
「ご謙遜を。とはいえ、無礼を働いたのは申し訳ない。結婚祝いは奮発しよう」
うわはは、とダリオ局長だけが大きく笑う。豪快な笑い声で、全てが刺激的な冗談だったように思えてしまうのも人柄というものか。
ともあれセルジュ様に促されてソファに座り、対面にダリオ局長が座り直す。切り出したのはセルジュ様だった。
「次に彼女に、冗談であっても危害を加えようとしたら、決闘を申し込んででも誅します」
「ううむ、惚れておるな。お前と決闘するのも面白そうだが、まあ、心得た」
「セルジュ様! そ、その話題はもういいですから! お仕事のお話をいたしましょう!」
嬉しくなってしまうから、ほどほどにしていただきたい。正直にいえば、セルジュ様の背に庇っていただくのは安心感がすごかった。童話のヒロインになった気分である。アンディール家は童話に出るとしたら襲いかかる側か、毒を渡す魔女の役だが。
「左様、仕事の話だな。先日マイノー家のバカ息子に毒入りのワインを贈った者だが、あれはアンディール家の手のものかね?」
――剣と同じで、まっすぐ、力強い踏み込み方ね。
楽しそうにも凶悪にも見える笑みのまま、ダリオ局長の問いが振り下ろされる。
とはいえ、セルジュ様と共にこの法の庭に来ると決めた時点で、覚悟はできていた。はっきりと頷く。
「ご賢察の通り、アンディール家の計画ですわ。止めてくださって、ありがとうございます」
「その礼は有能な執事に伝えておくとしよう。貴女も関わっていたのかな、ディーネ嬢?」
「私は別の方向から情報を集めるよう指示されていました。……暗殺の方には、関わっておりません」
「その割には随分的確にアンソニを動かしていたようだが?」
答えようとする私を、セルジュ様が軽く制した。
「尋問のために連れてきたわけではありません、局長。彼女は暗殺を防いだのです」
「綺麗な声で鳴く小鳥に毒を仕込む連中もいるだろうさ」
「彼女が綺麗な声であることは認めますが」
「……そこではありません、セルジュ様」
不意打ちを受けて、何を言おうとしたか忘れてしまった。ええと。ええと。
ダリオ局長が私を疑うのは当然のこと。潔白を証明できれば良いのだが、それができないのが暗殺だ。暗殺者の刃は白と黒の間、朝と夜のはざま、知性と意識の間隙で振るわれる。
ならば私のすべきことは。
「アンディール家の暗殺は、現在、当主代行の祖母バルネが全て取り仕切っています。その後は弟のクラインが引き継ぐでしょう。私自身も、いくつかの暗殺に関わっております。実際に刃を振るったことはありませんが……その罪から逃れるつもりはございません」
意識して背筋を伸ばし、顎を引く。
皮肉なことに。本音を伝えたいと思えば、嘘を信じさせようとする態度と同じくなってしまう。
「アンディール家が罪を清算し、暗殺という手段を放棄する。それが私の目標です。そのために、どのような協力もいたします」
婚姻はあくまでそのための都合がいい
ダリオ様は逆に、大袈裟なほどに大きく頷いて笑う。
「結構、大いに結構。セルジュに
「はに……っ!? そ、そのような」
「局長。ディーネが魅力的であることは間違いありませんが、無礼は許しません」
「ちょっと複雑になるのでセルジュ様、少々お待ちくださいませんか」
そのやりとりの何で理解に至ったかはわからないが、ダリオ様は納得してくださったらしい。ソファから立ち上がってこちらに手を差し出す。私も立ち上がって握手を交わした。分厚い手は剣と手綱を握り続けた騎士のそれだ。
「よろしい。折角だ、協力してもらうとしよう。暗殺という手段を、時代遅れの概念にしてやらねばならん」
「……まさしく、望むところです」
そこからは細々としたやりとり。まだ正式に天秤宮に所属するわけにはいかず、しばらくはセルジュ様のお手伝いをするとか。祖母から情報を求められた際の対応方法とか。『耳』の捜索とその対応とか。ダリオ様は豪快に、セルジュ様は鋭利に、知性の刃で本質を切り裂くような印象。いずれも聡明で、しかし視座が異なるお二人は相性の良い組み合わせに思えた。
ひとまずは天秤宮や王宮に絡みついた、アンディール家をはじめ他の旧家の影響力を把握する。当面の方針をそう定めて、短い会議はお開きとなった。
「……ダリオ様。ひとつ、よろしいでしょうか?」
「どうぞ、ひとつと言わず」
「アンソニ様の事件の実行者。捕らえられた彼の処遇は、その、どのように……?」
「ほう。なぜそれを知りたがる?」
楽しげな表情で問い返される。ダリオ様の会話は常に核心を求めるようで、どうにも緊張してしまう。防いで返すのではなく、相手の攻撃ごと切り伏せるような太刀筋を思わせる。
「……防ぎきれなかった仕事の結果を、知りたくて」
「く。俺好みの綺麗事だ。やつは今後裁判を開くことになるが、それまでは身許引受人の監視下に置かれる。下っ端だし、事件は未遂。まあ、生命は取られん程度の罰になるだろうさ」
「身許引受人……」
「母親だ。親の薬代を稼ごうとして、ちょいと怪しい仕事に手を出した、と」
仕事を発注した側の人間としては、ひたすら申し訳なさが募る話だった。親を思う青年の心情を利用して、悪事の片棒を担がせようとしたのだ。アンディール家が『穢らわしい』と形容されるのも無理からぬ話だった。
貴族を害しようとしたのだから、即座に極刑となっても不思議はない。それを避けたのは、温情ではなく、『罪と罰』に対する天秤宮の公正さだろう。罰されるべきは他にいる。私や、祖母だ。安堵と罪悪感に、自然と吐息が漏れた。
丸まりかけた私の背に、セルジュ様の手がそっと触れる。
「……セルジュ様」
「気に病まないでほしい。防げなかったのはあくまで俺たちだ」
……なぜだろう。セルジュ様に慰めてもらうのは嬉しいはずなのに、なぜか頷くことができない。
それでも、心遣いは胸に沁みるようだった。顔を伏せるように頭を下げる。
「……ありがとうございます」
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