第6話 誓い
順番が前後したのは理由がある。
私が月の三女神を信仰していると知ったセルジュ様が、月の神殿の
『貴女を見守る神にこそ、俺の誓いを聞き届けてもらわねばならない』
……とのことである。
私は仮初めの花嫁のつもりな訳で、あまり真摯に誓われてしまうと罪悪感を自覚せざるを得なくて辛いのだが。ともあれそういう理由で、月の神殿が日没を告げる鐘を鳴らす中、神殿を訪れたというわけだった。
「では、お二人に問いましょう」
婚姻の誓いを導いてくださる神官は、優しそうな中年の女性だった。王都で神官をしているのだから、信仰と知性とを兼ね揃えた人物なのだろうが、隔意を感じさせない親しみやすさを振りまく穏やかな笑顔だ。胸元に月の三女神の聖印が揺れる。
「セルジュ・スターツ。貴方が奉ずる太陽の神の名の下に、陽光の恵みが分け隔てなく降り注ぐように、ディーネ・アンディールに真実の愛を注ぎ、光の下を共に歩むことを誓いますか」
セルジュ様は白を基調としたタキシード。正装ではあるが、披露宴で着るような華やかな装いではなく、あくまで神の庭を訪れる整った服装という印象だ。白は太陽の神を象徴する色でもあり、銀髪もあいまって実に凛々しい。眼鏡の奥の瞳はあくまで真剣で……だというのに、発言の前にはっきりと私を見た。
「誓います」
――私ではなく神を見てくださいまし。
「結構。では、ディーネ・アンディール。貴方が信ずる新月の女神の名の下に、安らかなる夜の静けさのように、セルジュ・スターツに真実の愛もて寄り添い、共に眠りを守り合うことを誓いますか」
私の方は黒を基調としたしなやかな生地のドレス。肌の露出は最低限で、飾りは唯一、首元に銀の細鎖だけを身につけた。セルジュ様の凛々しさと比べるとあまりに地味で暗いとは思うのだが、あまり華やかに飾るのも神殿には相応しくないし、と悩みに悩んだ結果である。
安らかな夜の静けさ。夜闇を司る、月の三女神の末娘……新月の女神はヴェールで顔を隠した姿で描写される。私もできれば顔を隠したかった。緊張と羞恥で頬がこわばっているのがわかる。声が上ずりそうになるのを必死に抑えて、頷いた。
「……誓います」
視界の端でセルジュ様の表情が少しだけ変わるのが見えた。安堵、だろうか。
私の方も、誓いを口に出すことができて安堵していた。同時に、刃のように突き刺さる罪悪感。愛される資格もないというのに白々と、神もセルジュ様も裏切る仮初めの誓い。暗殺者、穢らわしいアンディールの娘には相応しい。
「よろしい。それでは、誓いの口付けを」
どことなく楽しそうな神官に促されて、二人で向かい合う。セルジュ様の表情は改めて見るといつも通りの怜悧なものだ。眼鏡の
ぎくしゃくと伸ばしかけた手をそっと導くように彼の腕が伸びてくる。ええいままよと身を寄せて、早々に瞼を閉じた。セルジュ様は女の扱いにも慣れているようだし、任せてしまえばうまくやってくれるだろう。
……と、思ったのだが。
「……???」
三秒が経過し、十秒を数えても、軽く抱いた腕に動きはない。胸がほんの少し触れ合う距離。少しだけ上向けた唇に触れるものはない。
はしたないと思いつつ、ちらりと片目を少しだけ開いてみる。
セルジュ様とばっちり目が合った。
少しだけ抱き寄せられ、彼の顔が近づいてくる。慌てて瞼を閉じ直すのと、唇が触れるのが同時だった。
数秒。
「…………は」
「すまない。見蕩れていた」
離れた瞬間、吐息が漏れて。思考の隙間に差し込まれるような、甘い言葉の刃。
耳まで真っ赤になって、彼の腕の中で小さくなるしかなかった。
「神の子らの道行きに、満月の輝きが、巡月の導きが、新月の安らぎがありますよう」
神官のありがたいお祈りを受けて神殿を出てもなお、胸の鼓動は収まらなかった。
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