第4話 契約と覚悟
「貴女は暗殺を防いだ。恐らくはアンディール家の方針に背いて。いかがだろうか、ディーネ」
すべて、バレている。お祖母様にも隠しおおせたのに。
否定すべきか、とぼけてみせるべきか。いっそ認めてしまうべきか。ほんのわずかな逡巡を、セルジュ様は見逃してはくれなかったようだ。
「もしも貴方のお考えが正しいとして……今日招いてくださったのは、それを確認するためだったのですか?」
とはいえ、一応の建前というものはある。言い訳のような『もしも』に対して、セルジュ様は小さく頷く。
「その通りだ。もし貴女が暗殺という行為を厭うなら、協力を要請するつもりだ」
「……協力、とは? 未熟な私に、できることがあるのでしょうか」
未熟――貴族としても、暗殺者としても。それは口には出せなかったけれど、物心ついてからずっと私の内心を焦がす感情だった。たった今、セルジュ様の知恵を見せつけられてその感情はますますくすぶっている。
「我々天秤宮は今、法の運用の改革を進めている。罪と罰は、政治と暗殺ではなく、法によって定められるべきだ。そのための協力者として、貴女は申し分ない」
言ったのが彼でなければ、大袈裟と笑われるかもしれないほどの発言。けれど、手を少し伸ばせば触れ合ってしまう距離にいる私には、本気の言葉だとはっきりと伝わってきていた。低く落ち着いた声に感情の揺らぎがないのは、ただ堅い氷のような知性が隠しているだけだと、視線を合わせて話すうちに理解する。
同時に、全く別の感情どこからか湧き上がってくるのを自覚した。
――少しだけ、残念だわ。本気で求婚されていると期待したわけではないけれど。
無意識に、口元にほんの僅か苦笑が浮かぶ。
セルジュ様はあくまでアンディール家の協力者を求めているのであって、私はその候補に偶然選ばれただけ。その熱が向けられる対象が自分でなくとも良かったという事実が少しだけ残念で、残念に思う自分が意外だった。
「とはいえ、貴女にも考えや立場があるだろう。返事は後日で構わない。アンディール家が天秤宮にも『耳』を潜り込ませていることはわかっている」
「それでこちらにお招きいただいたのですね」
「王都で最も安全な場所だ」
――婚姻というのも、私を呼び出す口実ね。
年頃の男女が二人で行動するなら、婚姻は確かに都合がいい設定ではあるだろう。形式的な婚姻のために、あんな手紙まで作りこまなくても良いと思うが。
セルジュが自分のカップへ手を伸ばす。ディーネが入れ替えたカップに。紅茶を飲む仕草はよどみなく、吐息一つ漏らさない。応じて私もカップをそっと持ち上げて、良い香りを味わう。紅茶に詳しくないと謙遜していたが、値の張る茶葉であることは明白だった。
話に一段落がついたことを共有するひと時の沈黙が、どことなく心地よかった。
「ふむ」
セルジュ様がカップを置き、ファイルを閉じる。
「俺には違いがわからないが、貴女はカップにもこだわりがあるのだな。その辺りの好みも覚えていきたいところだ」
「げほっ!?」
「さて、重要な方のお話だが」
顔を真っ赤にして咽せる。祖母にバレたら特訓を課せられるかもしれない失態だ。セルジュ様はそれ以上は指摘せずにこちらに向き直り、眼鏡の薄いレンズ越しに視線が絡む。躊躇うことなく、落ち着いた声ではっきりと告げた。
「改めて、貴女に婚姻を申し込む。ディーネ・アンディール、貴女を愛している。俺の伴侶になっていただきたい」
「……………………?」
頭をことんと落ちるように傾ける。
「結婚してくれないか」
容赦のない追撃。
「なっ……ええ……そのお話は……口実なのでは……?」
「口実? 俺の考えについては手紙に記した通りだが」
「それは……あの、大変結構なお手紙を頂いてしまって……でもあのええと」
「アンディール家の当主を代行なさっているバルネ刀自からは了承を頂いている。とはいえ、貴女の気持ちが一番重要だ。返答を聞かせてほしい」
貴族の婚姻はすなわち政治だ。個人の好悪と家の繋がりは比べられるものではなく、優先すべきは後者であった。だからこそ貴族は恋物語を好むのだ。
私の意思を問うセルジュの言葉は、そういう意味でひどく優しく、少しだけ残酷だった。
選択の余地はない。両家の主が同意している婚姻に異を唱える自由など、貴族の娘にはないのだ。
けれど。
「……セルジュ様。私は……私には……」
――
「あなたに愛される資格がないのです」
完璧に微笑む。アンディール家の女にとって、笑顔こそが最上の刃だ。
婚姻が形式だけのものならば、あるいは素直に受け入れたかもしれない。けれど、想いが本物だとわかってしまった以上、それを受け入れてはならない。
「無論、婚姻は喜んでいたします。アンディール家による……諜報はさておき、暗殺は止めるべきだと思っておりますし、協力もいたしますわ」
セルジュ様は答えない。ただ視線はこちらを確かに見据え、目だけではなくすべての感覚を向けてくれているのが本能でわかる。
……沈黙に、疑問を挟むことにした。
「なぜ、私なのですか?」
先日の夜会で会うまで、私とセルジュ様の間に縁はなかった。家同士も関わりはないし、むしろ商売敵だ。セルジュ様の立場と能力と見た目ならお近づきになりたいと願う女性は多いはずだし。情報を並べるほど、私ではないだろう、という思いが募る。
そんな益体もない問いかけに、真剣な声音が返ってきた。
「美しいと思ったからだ。貴女の行動が。振る舞いが」
「……はぇい」
真っ直ぐ突き刺されたような感覚。
「貴女の言葉を否定したくはないが、これだけは伝えておく。俺は貴女を愛しているし、そこに資格など存在しない。ただ想いがあるだけだ」
「…………ず、ずるい、です」
熱い感情を知的に囁かれるのは、なんというか、脳の髄が痺れるような体験だった。
仮初の婚姻。互いの利益を実現するためだけの関係。そうでなければならないのに、セルジュ様はそれで済ますつもりはないようだった。
彼からの愛は私の鼓動を速くさせ、息は苦しく、目は潤む。
まるで溺れているような心地。
「……よろしく、お願いいたします」
「ありがとう、ディーネ」
消えそうなか細い声と、落ち着いた声が重なる。
俯いた頬に彼の指が伸びてきて、導かれるまま顔を上げた。端正で怜悧な顔に、ほんの少し赤みが差しているように見えた。
視線が絡み、顔が近付く。
わずかに首に力を込めて抵抗したら、少し強い力で首の後ろを引き寄せるように撫でられた。
「……ん」
触れ合う、柔らかな感触。
今後の生活には覚悟が必要そうだった。応えてはならない愛に耐えるという覚悟を、胸中で固く握りしめる。
――結局。この時の覚悟など全然足りていなかったのだと、のちに思い知ることになる。
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