第2話 裏切花の紋章

「また失敗したのかい、ディーネ」


 舞踏会から戻った私を待ち受けていたのは、アンディール家の当主代理たる祖母バルネの叱責だった。

 ドレスから着替える間もなく、祖母の執務室で立ち尽くす。祖母の言葉に対して首を横に振って答える。文字通りの口答え、である。


「失敗も何も、何度も言っているではありませんか。暗殺などすべきではない、と」

「アンディールはそれを百年やってきたんだ。一端の口は一人前になってから叩くんだね」

「もう、お祖母様が現役だった戦乱の時代ではないのですよ」

「だからこそ、さ。他国と通じて国を蝕む連中は、単純な戦より余程厄介だ」


 マイノー家の次男アンソニは、他国の貴族と組んで禁制品の輸入に関わっている。表沙汰にできる証拠はないが確かな情報だ。祖母はその情報を元に、私に指令を下していた。


「そもそも、あんたが『告発できるだけの情報があればいいのでしょう』というから最初は好きにやらせたんじゃないか。なのにとんだ体たらくだ、色仕掛けも使えない生娘が」

「それは……その……に、苦手なのです、そういうのは」

「弟の方がよほど上手くやる。全く……」


 はぁ、と深々とため息。祖母の顔にはいくつもの皺が刻まれているが、今日は特に皺が深いようにディーネには見えた。無力感と罪悪感、そしてという若干の安堵を内心に隠して立ち尽くす。

 予備動作もなく祖母の手が霞んだ。目で追うのが精一杯の動き。


「ひにゃっ」


 べしっと、何かが顔にぶつかる。手を伸ばして受け止めたものは封筒だった。


「次の話だ」

「な、なんですか? お手紙?」

「スターツ家の当主を知ってるかい」

「え、ええ……セルジュ様、ですね」


 今日の舞踏会での諸々は知られなくて済んだのかと、少し視線を逸らしつつ頷く。


「今日、あんたが助けられて無様を晒した男だよ」

「……お祖母様。日常会話でカマをかけたりするの、やめませんこと? 意地が悪いですわ」

「心を乱すあんたが拙いだけだよ。その男からの手紙だ。あんたを嫁にもらいたいと言ってきた」

「………………はい?」


 慌てて封筒を開く。手紙には几帳面な読みやすい文字と簡潔な文章で、私との婚姻を望む旨が記されていた。他に解釈のしようがない明白な文章は、さすが法を敷く天秤宮の俊英だ、と他人事のように思う。

 宛先はアンディール家の当主と、当主代行。家同士の正式な話であるとの意思表示だ。


「私とセルジュ様の間にも、アンディール家とスターツ家の間にも、縁はなかったと思うのですが……」

「こっちの内情が知りたいんだろうさ。天秤宮が建ってからお務めにも支障が出ているからね、ちょうどいい。嫁入りして、あんたも色々と探ってきな」

「そ、そんな理由で結婚しろというのですか!?」

「使えない娘の使い道としては上々だ。家格としても悪くない。嬉しくないのかい、少なくとも顔はいい男じゃないか。あたしもあと五十年若ければねぇ……」

「自重なさってください」

「あんたがちゃんとしていれば隠居してやるものを。全く……アンディール家がダリアの花を掲げている理由を忘れるんじゃないよ」


 アンディール家の紋章には、裏切花ダリアがあしらわれている。

 かつて、ダリアの花を愛したある女王は他者に栽培を許さず、その美を独占していた。他国の貴族が庭師を買収してその秘密を盗み出すまでは。

 ゆえに花の国ではダリアは裏切りの象徴とされる――諜報と暗殺を以て国の裏側を守護してきたアンディール家は、王家への背信を決して許さない。正道、正義を裏切ってでも。


「こいつを持って下がりな」

「これは?」


 祖母から投げつけられるもう一通の封筒。封蝋は開かれておらず、スターツ家の紋章である狼の印が捺されていた。舞踏会で向けられたセルジュ様の鋭い視線を思い出し、背筋がぞくりとする。『更に調査が必要』……婚姻の話も、その一環なのだろうか。


「そっちはあんた宛てだ。恋文ってことだろう」

「……こ、恋文」

「赤くなってないでさっさと行きな。絆されるんじゃないよ」


 追い立てられるように部屋を出て早足で自室に戻る。侍女のプリシラに着替えを手伝ってもらい、寝巻きに身を包むが早いか、机について手紙を丁寧に開いた。

 当主宛の簡潔にして明瞭な手紙とは対照的に、私宛の手紙には長々と文章が綴られていた。文字は几帳面で少し硬い印象だが、読みやすく美しい。しなやかなあの指が筆を握る様子を想像して、喉をこくりと鳴らした。

 その喉から――手紙を読み終えて声が漏れた。


「へひぁ」

「……どうしました? お嬢様」

「ななっなんでもありません見てはダメ!」

「なになに? ――貴女の黒髪は夜空のようだ。白のかんばせは優しくも高潔な満月の女神レイテアの顕現と呼べるでしょう。本来ならば贈り物として宝飾のひとつでも添えるべきですが、貴女の思慮深さを映す瞳よりも美しい宝石が存在するとは思えず……」

「読み上げないでえええっ!!」

「情熱的ですね……」

「あの方が……情熱的……?」


 思考まで見通すような鋭い視線。表情を変えない、冷徹な態度。公正無私の天秤宮の在り方を体現するような、あのセルジュ・スターツ様が……?

 頬を赤く染めてひたすらに首を傾げる私を、手紙は二枚にも渡って褒め称える。とめどなく溢れる美辞麗句の奔流の最後は、こう締めくくられていた。


 ――もし婚姻を結んでくださるならば、貴女を深く愛し、あらゆる困難からお守りすると誓いましょう。

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