裏切花と天秤 ~暗殺一族の娘ですが、冷徹な法執行官に溺愛宣言されました。嘘はつかない方なので覚悟していましたが想像以上でした。ここにはこれ以上書けません〜
橙山 カカオ
第1話 『穢らわしいアンディール』
舞踏会の賑やかさを裂いて、女の叫び声が響いた。続いて、頬を叩く高い音も。
「ディーネ・アンディール! 穢らわしいアンディールの暗殺者!」
ざわめきの中心に、対照的な二人の令嬢。
非難しているのは深紅のドレスが金の髪を映えさせる、マイノー家の令嬢、ミニア。
叩かれた頬を赤くして俯くのは、複雑に結った黒髪に落ち着いた色合いの紺青のドレス、アンディール家の令嬢、ディーネ。
ディーネは唇を少し噛んで、ターコイズブルーの瞳が僅かに涙で潤む。
「兄に毒を盛ったのは貴女なのでしょう!? 兄に言い寄っていたのも知っているのよ!」
「それ、は……! ……アンソニ様は、ご無事、なのでしょうか」
「白々しい。でも、残念ね。執事が気付いてワインは捨てたそうよ。目論見が外れたわね」
ディーネの唇から、ほう、と吐息がこぼれた。強張っていた身体から力が抜けてその場にへたり込む。その様子はミニアにも、周囲で見守る貴族たちにも、企みを暴かれて諦念した姿に映った。
――アンディール家が。
――マイノー家に手を伸ばしたか。王家に批判的だったからな。
――穢らわしいアンディール。暗殺一族は、娘もやはり……。
――優しそうな顔をして、とんだ卑怯者だ……。
ざわざわと抑えて抑えきれぬ囁きが飛び交う。ディーネが犯人であることは明らかだという雰囲気を背に、ミニアが見下ろして告げる。
「ここで罪を告白なさい。お父様は大変にお怒りですが、懺悔するなら優しい処刑を選んでくださるでしょう」
勇猛伯の異名を取るマイノー家の当主であれば、それは確かに慈悲の表れではあった。ディーネは僅かに身を震わせ、何かを迷うように視線を床に落とす。
ゆっくりと立ち上がり、背筋を伸ばしてミニアをまっすぐに見据える。今にも溢れそうな涙を堪えていた。
「……私ではありません。けれど……お話できることは、ありません」
「そう。卑怯者らしい答えね」
ミニアの声はいっそ穏やかだった。制御できないほどの怒りをたたえて揺れる瞳。もう一度頬を叩こうと振り上げられた手が……誰かに、掴まれた。
「そこまで」
「何をッ……、あ、あなたは」
観衆と化した貴族たちの中から踏み出してきたのは、長身の男だった。細い眼鏡で隠しきれない、灰瞳の鋭い視線。銀髪を後ろに撫で付け、一房だけの黒髪がさらに鋭い印象を与えている。一分の隙もない、
スターツ家の若き当主、セルジュ・スターツ。突然の闖入に、ディーネも、手を掴まれたミニアも呆然と見つめるしかできない。
セルジュはそっと手を離すと、二人の令嬢から等距離の位置に立って眼鏡の位置を指先で整える。
「失礼。マイノー家で発生した毒殺未遂については、その犯人を先ほど捕らえたところだ」
「なっ……!? 聞いていませんわ!」
「捜査のため情報を制限していた。天秤宮を代表して謝罪を申し上げる」
天秤宮――法の執行を司る組織。二年前に建った天秤宮の副長にして随一の法執行官であるセルジュの言葉には、謝罪と言いながら有無を言わせぬ重みがあった。
ミニアが黙り込む。その瞳に怒りがまだ燻っていることも意に介さず、セルジュは続ける。
「こちらのディーネ嬢は、此度の事件には無関係だ。不正確な情報を広めるのは推奨できない」
「セルジュ様……」
思いがけず庇い立てられて、ディーネの瞳から涙がこぼれる。頬を濡らしながら呆然と、セルジュの怜悧な横顔を見つめた。その視線がディーネの方を向く。
「ディーネ嬢。貴女も冤罪に対しては適切に反論すべきだ。情報が揃ってこそ正しい判断が下せるのだから」
嗜めるにしては優しさのない、突き放したような冷徹な声に、ディーネも黙り込む。周囲の貴族たちも囀りを止め、断罪の場となったはずの舞踏会は重苦しい沈黙で制圧されたようだった。
沈黙を気にしないのは、それをもたらしたセルジュだけ。
一歩ディーネに歩み寄り、眼鏡の薄いレンズを通して、ディーネの青の瞳をまっすぐに見つめる。ディーネは僅かに首を傾げて見せるのが精一杯だった。
「あ、あの……?」
「……尤も。完全に無関係かどうかは、更に調査が必要なようだが」
囁き声は、二人にだけ聴こえる大きさ。ディーネはびくりと身をすくませて、自分の腰に伸ばしかけた左手を右手で押さえる。
どういう意味でしょうか、と掠れた声を返した頃には、セルジュはすでに背を向けてその場を離れていた。
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