第六章 決別とハシバミ

どうして毎度のごとく私は試練を越えなければいけないのだろう。どうして私はこんな目にあわなければいけないのだろう。いいことなんて何一つ無いくせに。どうして。途方もない絶望感とどこへ向けたらいいのかわからない怒りの波が私の胸を交互に押し寄せ始める。

「みやちゃん、」

「何?」

 私は自身の右隣にいるあずきへと振り向く。こんな時こそ考えを共有しなければいけないのに、頭がパニック状態になっていてつい語尾が強くなってしまう。

「みやちゃん、ここは一旦旅館に戻って考え直そ。なんとなくだけど、前にみやちゃんのお家があったみたいに私達が泊っている旅館は残ってると思うの。大丈夫だよ、みやちゃん。絶対に残ってるから。もしなくても、またその時に考えようよ」

「そんな……」

 あまりのあずきのポジティブ加減に私は次に出す言葉を躊躇ってしまう。どうして。どうして、この状況で彼女はこんな前むきに物事を考えることができるのだろう。戻って考えてもこの意味不明な事実は変わりようがないのだからもう、諦めた方が楽なのに。私は、再度あずきを見返す。彼女の顔の文字は私の気持ちとは裏腹に「希望」になっていた。どうして、どうしてなの。なんでそんなに前向きに物事が考えられるの?どうして、諦めないの?行く先が分からず終まいの私が生んでしまった怒りの矛先がだんだんとあずきへと向かい始める。駄目だ。出まかせで言葉を発してしまっては。けれど、そんな奥底にある良心なんて気にも留めず、気づくと私の口からは棘が出始める。

「あずきちゃん、もういいの」

「へ?」

 急に表に現れた私の弱音を聞いて、途端にあずきの顔の文字がぎゅるぎゅると目まぐるしく変わり始める。

「もういいって、どうして?」

「もう、終わりにしましょう、って意味よ」

 自分自身の心の中の静止を振り切り、私は棘を出し続ける。

「分かってるでしょ?あずきちゃんも。もう私達はこの世界から出ることはできない。どうあがいても」

「終わりって、そんな」

 あずきの声が震え始める。顔の文字は相変わらずどういう気持ちになったらいいのかわからなくて目まぐるしく変化していっている。あずきも薄々わかっているはずだ。私達はここに永遠にいる運命だということに。私達は、誰かの遊びの駒として使われていることに。けれど、またあずきは私の気持ちとは裏腹に、言葉を選んで陽の当たる方へと運んでいく。

「そんなの、」

 ぎゅっとあずきは拳を握り締める。

「そんなの、まだわかんないじゃん」

 顔の文字を「希望」にしてあずきは一歩、私の前へと踏み出して距離を詰めてくる。

「まだわからないよ」

 さっきわからないといった時よりも、強くあずきは呟く。どうしてまだわからないのだろうか。このままいっても何も変わらないことなどとうにわかっているのに。

「みやちゃん。まだ、私達旅を始めて数か月しか経ってないよ。まだ、全然いろんなところに行ってないよ。諦めるの、早すぎるよ」

 丁度いいころ合いではなかろうか。これ以上行けばどこで踏ん切りをつければいいのか。わからなくなってしまうし。

「まだ他に誰かいるかもしれないし元に戻れる方法だって沢山あるはずなのに。きっとまだ、」

 まだまだってさっきからありもしない可能性の話ばかりで、なんでそんなに、どうしてわかりもしない先のことを。次第にあずきへと向けられ始めた怒りの矛先は、確実に攻撃する意味を持ち始め、明確な敵意を持つ。それは意味もなく、ただの八つ当たりの言の葉の矛。一度攻撃すれば相手が一生傷ついて、自分がすっきりするだけのこの世で一番こわいもの。私は彼女と出会った中で一番大きく息を吸って、それを構える。

「まだまだってじゃあ、この状況をどう説明したらいいの?」

 一突き。心の中で少しずつ溜まっていあずきへの蟠りが水をたっぷり入れたバケツに穴を開けたかのように徐々に漏れていく。それは一つだけじゃなくて二つ、三つと私が放つ言葉に応じて漏れ出す箇所も増えていく。

「あるかもしれない、じゃもう駄目なとこまで来てるの。目の前の現実を見た?なんで私達を取り囲む建物や風景だけが消えていっているの?なんで乗り物だけがきれいさっぱり消えてるの?なんで?おかしいでしょ、どう考えても」

 だけど。地面へとなだれでた水はどうかき集めても元の量には戻らないことなんてわかっているのに。そんなこと言う前から分かってるのに。どうしてやってしまったのだろう。さんざん穴を開けたところで、私は彼女の顔を見てしまう。あぁ、取り返しのつかないことをしたのだと、そんなところで初めて私は気が付いてしまう。

「なんか、ごめんね」

 そう声を発した私の目の前にいる人物は、今まで見たことがない感情を刻んでいた。

「ごめんね、みやちゃん。そうだよね。そりゃあ、そうだよ。私、いつも、みやちゃんに任せてばかりで何にも考えてなかった。ごめんね」

 あぁ、やってしまった。なんてことを、私は。突き切って冷静になったふりをしているだけの頭で、私はようやく自我を取り戻す。

「違う、今のは違う。違うの。あずきちゃん」

 必死に水をかき集めるように私は身振り手振りで自身が犯した罪を弁明しようとする。

「ううん。いいの」

 こくりとあずきは頷く。

「私の方はいいの。大丈夫だよ、みやちゃん。大丈夫だからね」

 少しばかりあずきは微笑んだ。

  


  その後私達は一言も話すことなく旅館へと戻った。

「残ってた、わね」

 旅館の出入り口の前で呆気にとられたように私達二人は佇む。不幸中の幸いなことにあずきの言った通り、旅館は残っていた。

「そう、だね」

 えへへと何かを誤魔化すようにあずきは笑う。

「あずきちゃん、」

 私は、少し後ろにいるあずきを見る。時間が経っていくごとに私は一過性の感情をあずきにぶつけてしまったことを一層、後悔していた。

「何?みやちゃん」

 顔の文字を「驚」にしてあずきは私を見る。

「その、」

 どうして、こういう時思ったように動いてくれないのだろうか。私の口は、もう一度彼女に謝ろうと動こうとしているものの思うように動いてくれない。

「大丈夫だからね、みやちゃん」

 そうこうしている内に、それ以上はしゃべらせまいとでもいうかのようにまたあずきは何かを誤魔化すようにして笑う。

「それよりも早く部屋に戻ろ、ね」

「ええ、そう、ね」

 言葉は一度発してしまえば回収することはできないし、一生残る傷をつけてしまう。そんな幼稚園児ですらわかっていることができなかった自分を悔やみつつ、私はあずきに流されるがまま部屋へと戻った。

  


  あれからどれくらいの時間が経ったんだろう。はっと夢に急かされるようにして私は目を覚ます。部屋に戻ってすぐ、私は頭を冷やすためにベッドに突っ伏して眠っていた。少しの間しか眠っていないが、その間に私は変な夢を見ていた。それは、朝、規則に促されるまま学校へと行き、夜遅くまで起きていたことを後悔しながら睡魔と戦いつつ授業を受け、休み時間には話す友達がいないから寝たふりをひたすら続ける、そんな私にとっては何の変哲もない、ごく普通のありふれた日常を描いた夢だった。

 寝ぼけ眼をこすり、うーんと毛伸びをして私は再び仰向けでベッドに寝る。頭を冷やすために眠ったはずなのに、夢のせいでなんだか頭の整理が上手くできた気がしない。結局どこへ行こうとも私は変わらないのだな。再び眠りにつこうとするも体は言うことを聞いてくれなくて、強引に目を開いて私は天井を見つめる。あずきに今すぐに謝らなければいけないのにどうして思ったようにできないのだろうか。しかし今こうして自身を振り返ってみれば、私のこういう変に固執した部分は今に始まったことではない。この三年間いつもそうだったのだ。自分が全て悪いのに、自分で作った苦しみを受け止めきることができない。そんな苦悩を脱却できない己にもまた相も変わらず嫌気がさしてきて、死にたくなってくるという負のジレンマの連続だ。考えれば考えるほど、気怠くなってもどかしくなってきたので気分転換のつもりで私はカーテンを開ける。外はさっきまで止んでいたのに雨がまた降っていた。

 

 雨粒をしばらく見ているとなんだか少しお腹が空いてきたので、食べるものがないか私はあたりを見回す。三百六十度、丁度一周しかけたところで視界の端にコンビニの袋とお菓子が映り込んでくる。あれは……さっきあずきが持ってきてくれたものか。衝動的に、よたよたと情けなく私はベッドから起き上がり、机の横に置かれた椅子に座る。何か、ないかな。袋に手を伸ばし、かさかさと音を立てながら乱雑に袋を漁ると、お菓子の缶詰のようなものが出てくる。なんでもいい、食べるものを。少し力を入れて缶を開け、中から出てきたクッキーを一つだけ私は口の中に入れる。なんだか少しぱさぱさしていて甘みがあまり感じ取れない、不味くはないのだが美味いとも言えなかった。どこのクッキーか気になって缶の絵柄を見る、それはドリーマーランドであずきが食べていたクッキーだった。あの時少し食べた後鞄の中に入れたままだったのかな。なんだかドリーマーランドへ訪れたのもほんの二か月ほど前のはずなのに、なんだかひどく懐かしい気さえする。

一枚、また一枚と私はクッキーを口の中に入れ続ける。何故だろう。そんなにおいしくないはずなのに。そんなにおいしくないはずなのに。不思議とまた一枚、また一枚と私はクッキーを頬張ってしまっている。なんで、なのだろう。サクサクと租借する音と同時に口の中が徐々に乾ききっていくのを感じる。なんであずきはこんなひねくれものの私にお節介を焼いてくれるのだろう。水分を失って逃げどころがなくなった小麦粉が少しずつ口の中を侵食していく。どうしていつもこんな私に手を差し伸べてくれるの。どうして私がしんどくなった時に背中をさすってくれるの。わからない。なんでなの。いつの間にか少しずつしょっぱくなっていくクッキーを変わらず私は口の中へと入れ込む。

『みやちゃんはさ、元の世界に戻っても私と仲良くしてくれる?』

 いつだったか夜空の下で不安を帯びた声色で尋ねてきた彼女の声が私の頭の中を駆け巡ってくる。あぁ、そうか。そうだったんだ。何故私はこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう。それは彼女が私のことを親友だと思ってくれたから、ただそれだけのことだった。私の為を思って、一緒に帰りたいと願って、この状況を何とかして抜け出したいと思ったから。わかっていたはずなのに。私はわかりきった振りをして、カッコをつけて知らないうちに彼女を関わりの外から追い出していたのだ。だから、気づけなかった。口の中でストックが溜まっていたクッキーが少しずつ胃の中へと押し込まれる。やっぱりこのままじゃ駄目だ。私はぎゅっと拳を握り締める。あずきにきちんと謝ろう。あずきとちゃんと話そう。でも……ふと雨粒がついた窓ガラスに目を向けると、薄く反射する自分と目が合う。でも、許してくれるだろうか。いや、後のことなんて、

「駄目だったらその時に考えればいい」

 ふとあずきから譲り受けの言葉が口から漏れ出す。いつの間にかこんなところまであずきに影響を受けていたのだな。より一層、私はさっきよりもあずきに会いたくなってくる。今すぐ、行こう。こうしちゃいられない。思いに促されるまま、私は立ち上がり部屋の扉を開けた。

  


  あずきの部屋の前へ向かうと、オートロック式の扉がめんどくさいのか扉の隙間に何かが挟まれてあった。

「あずきちゃん、いる?」

 何度か私は扉をノックする。しばらく聞き耳を立てて待ってみるも中から返事は返ってこない。今は話したくないのかもしれない。それはそうだ。私の都合で来ているのだからあずきにだってタイミングというものがある。

「もしいるなら、何か音を出して。私、心配で。出してくれたら直ぐに帰るわ」

 今日が駄目ならあずきの心が私と話したくなるまで待てばいい。再度私は、扉の側で聞き耳を立てる。されども、少し待ってみるもなかなか返事は帰ってこない。まさか。

「ごめんなさい。入るわよ」

 私は思い切って部屋の扉を開け、中に入る。入ると、部屋の電気が消えていることに最初に気付く。電気をつけ、あずきがいないか私はあたりを見回す。けれどもいない。念のため風呂場の中やクローゼットの中を見てみるもやはりいない。どこか買い物に行ったのだろうか。いや、コンビニにさっき行ったしそれはあり得ない。もう一度、私は部屋の中をぐるっと見渡す。

「っ」

 火照っていた自分の体からさっと熱が引いていくのを感じる。寝袋等の大きい荷物はあるのにあずきがいつも背負っているリュックがない。あずきちゃん、出て行ってしまったの?急にお腹の底から得体のしれない不安が這い上がってくる。あぁ、私は本当に取り返しのつかないことをしたんだ。まだあずきちゃんに何も返せていないのに。話さなければいけないことが沢山あるのに。打ち明けなければいけないことが沢山あるのに。どうすれば、私は。

『まだ絶望するのは徳じゃないよ』

 頭の中でまた誰かの声が聞こえる。そうだ、まだだ。まだ間に合う。不思議と感覚がいつの間にか前よりも薄くなった足にぐっと力が入る。こんなところで勝手に終わった気になっていては前までの私と同じだ。ふと、大丈夫だからねと言ったあずきの笑顔が浮かんでくる。大丈夫なわけがない。こんな訳の分からない世界でそれでも歩いて進もうとしているのに。怖いわけがない。行こう、あずきちゃんの元へ。まだそんな遠くには行ってないはずだ。傘も持たず私は直ぐに旅館を飛び出した。

 

  旅館を出て右も左もわからないまま、土砂降りの中を一心不乱に駆け抜ける。外はさっきよりも気温がまた一段とぐっと低くなっているけれど、体から出る熱はそれを凌駕していた。あずきに会いたい。謝りたい。私をもっと知ってほしい。親友でいたい。一緒に元の世界に戻りたい。諦めかけたわずかな希望が所々にできた私の心のちぐはぐを縫い合わせる。

「はっ、はっ、はっ」

 雨粒なのか汗なのか、それとも涙なのかわからない液体が私の頬を不規則に伝う。

「あずきちゃん、あずきちゃん」

 心の内で溜まっていた言葉が水を得て、魚のように飛び交う。会いたい。会わなければいけない。もっと早くもっと、もっと。

「あっ」

 不意に何かに躓き私の体はバランスを崩す。視界がスローモーションの映像を見ているかのようにゆっくりになり、ぐしゃっという濡れたアスファルトの地面と身体が接触する音と共に、倒れこむ。でも、今の私にはそんなの痛くも痒くもなかった。また私は前を向いて走り出そうと私は伏せてしまった体を無理やり起こそうとする。

「ふんぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。」

 ようやく膝を立てれるようになった左足に力を入れ、前へ体を起こそうとする。

「ふんぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっぅうう、うっ。はぁ、はぁはぁ」

 力の限界がきて、数センチだけ上がった体は地面へと倒れこむ。もう一度。もう一度。体を起こそうと躍起になり自然と全身に力が籠る。

 

だが、次の瞬間、私はその体を起こす必要性は途端になくなってしまった。


「みや、ちゃん……?」

「え?」

 あずきちゃん?私が声のする方を見ると「驚嘆」と顔に書かれた少女が、そこにいた。力が抜け思わず尻もちをついてしまう私に、少女は急いで駆け寄りしゃがみこんで傘をかけてくれる。

「みやちゃん、血が凄く出てる!痛くない?大丈夫?」

 彼女はポケットから綺麗なハンカチを取り出し、しゃがみこんで私の膝に充てる。

「あずき、ちゃん?」

 間違いない、見間違う、はずがない。私は目を凝らしてもう一度彼女を見る。あずきだ。あずきちゃんだ。そこにいるのは、まごうことなき姫山あずきだった。

「どうしてこんなところに?傘はどうしたの?」

 あずきは急いで背負っていたリュックを地面に置き、中から包帯を取り出して私の膝にぐるぐると巻き始める。

「少し擦りむいただけなんだから、そんなに大胆な処置しなくていいのに」

「そんなことない。痛い、痛いよ」

 彼女の顔の文字に刻まれた文字が少しずつ変わる。まるでそれは自信が痛みを感じているようだった。

「あずきちゃん」

 私は視線の下にいるあずきを見つめる。邂逅一番にやらなければいけないことがあるのに、思わず普段と変わらぬ態度を取ったことを反省し、本題を切り出そうとする。けれども、こんな状況で言ってしまうのはなんだか卑怯な気も少しばかりする。

「ん?どしたの、みやちゃん」

 包帯を巻きながらあずきは顔を上げてくれる。あずきはきっと、優しいから謝らなくても、自然に許しているだろう。だからこそ、この瞬間を逃してしまえばきっと二度と言えなくなる、そんな気がする。だから、今ここで。さっきまで頑なに動こうとしなかった口角が少しずつ開き始め、喉の奥からは私がやっと待ちわびた音程で声が出てくる。

「私、あずきちゃんとお話しがしたくてあずきちゃんを探してたの。さっきは本当にごめんなさい。あずきちゃんは全然悪くないのに。私を元気づけようとしてくれただけなのに強く当たってしまって。私、あずきちゃんにどう顔を向けたらいいか」

 一度言ってしまえばすぐに終わることなのに。どうして私はこんなことも言えなかったのだろう。

「大丈夫だよ、みやちゃん。許すも何も私、初めから怒ってないよ。ただ、ちょっとびっくりしただけ。むしろ素直なみやちゃんの気持ちが知れて良かったと思ってるくらい」

 優しく、あずきは呟く。でも、傷を作ってしまったのは変わりようのない事実だ。

「けれど、あずきちゃんを傷つけてしまったことに変わりないわ。ごめんなさい」

 私はあずきと頭がぶつかりそうになるくらい頭を下げる。こんなの誤ったところであずきの心は癒えないのに。なんて自分勝手なのだろうか。

「いいって、いいって。気にしてないよ。大丈夫だよ、みやちゃん。うぇぇっと、ほら。頭を上げて、ね」

 あずきは両手で私の顔を無理やり上げる。

「でも、」

 許すわけないじゃない、と言って欲しいわけではない。かと言って簡単に許してほしいわけでもない。私は、どうしたいのだろう。めんどくさ過ぎる性分だ。

「でも、じゃないよ。みやちゃん。私が気にしてないって言ったら気にしてないの。大丈夫だよ。それに」

 瞬間、今まで見たことのないくらい眩しい笑顔が瞳に移りこむ。その姿にどこか安心を覚えつつも、何かが抜け落ちた気になる。だけども、そんなの気にしない。なんせ今見えているあずきの笑顔は、とても綺麗で素敵だから。

「頭下げてばっかだと可愛い顔が見えないよ」

 にひひとあずきは笑った。少しだけど、何かに許された気がした。私がここで生きていいと、そう、いわれた気がした。

「ごめんなさい、ほんとうにごめんなさい」

 本当に私は自分勝手でめんどくさくて、どんくさくて駄目な女だ。被害を与えた側なのに、目元から大粒の涙が出てしまう。

「謝らなくていいって、みやちゃん。もう謝るの禁止だよ。ごめんは言わなくていいからね」

「うん、うん」

「よし、よし。じゃあ友好の証としてハグをしようか」

 あずきは両手を私の後ろに回す。私よりも少し暖かい熱が体を包み込む。

「ほら、みやちゃんも」

「え?」

「ハグだよ、ハグ。やらないと一生後悔するよ」

「わ、わかったわ」

 私も両手をあずきの後ろに回す。あずきの持っていた傘が地面に落ち弧を描く。

「二人共、濡れちゃったね」

 えへへとあずきは笑う。柔らかな声に思わずぎゅっと手に回したあずきの服を握ってしまう。

「ねぇ、あずきちゃん」

「どうしたの、みやちゃん」

「私、あずきちゃんに言いたいことがあって」

「何、何?愛の告白?」

「そう、かも」

「そうなんだ」

 あずきの声のトーンがさっきよりも落ち着いたものになる。

「私、ずっとあずきちゃんに言いたいことがあって」

「うん」

「ずっと、隠してたことがあるの。あずきちゃんには関係のないことかもしれないけれど、でも、それでも聞いてほしくて」

「関係のないことなんてないよ。みやちゃんのことは私にとってはすっごく大事なこと」

 今度はあずきがぎゅっと強く私の服を握りしめる。

「ありがと。そう言ってくれて嬉しい。私ね、」

 自然に体が震える。寒さで震えてるんじゃなくて何かに怯えて。呼吸のリズムも徐々に曖昧になっていくのを耳で感じる。

「大丈夫だよ、みやちゃん。大丈夫」

 さっきよりも強くあずきは私にハグをする。なんだか少し体の震えが止まった気がする。意を決し私は口を開ける。

「私、実は高校に入学してからずっと友達がいなくて。そんな今の自分が大嫌いなの」

「うん」

「中学の時は沢山って程じゃないけれど友達がそれなりにいて毎日が楽しくて仕方なかったの。沢山思い出を作ったり、少しだけだけれど恋愛したりして」

「うん」

 あずきが首を縦に振ってくれているのが肩の感触から分かる。

「本当はもっとみんなといたかったんだけど、私は背伸びをして高校は友達がほとんど行ってないところに進学したの。だからかな。中学の卒業の時期が近づいていくにつれてこの思い出を大切にしたい。この思い出を忘れたくないって言う気持ちが強くなっていって」

「うん」

「それで高校に入ってから無意識に人を遠ざけてしまうようになってしまったの」

「そうなんだ」

「うん。だからどうって話じゃないんだけれど、それだけ。聞いてくれてありがと」

「そっか」

「うん。変、だよね」

 へへへと私は笑う。自然とあずきを抱いていた腕の力が抜け、瞳は地面へと向かう。変な維持だ。忘れる訳がないのに。いい訳に過ぎないのに。何にも理にかなっていないのに。何かが解決するわけではないのに、喋ってしまう。私はただの気持ちが悪い人間だ。

「変じゃないよ、みやちゃん。何にも可笑しくない」

 あずきはまた強くハグをし直す。

「ありがとう」

 はったりでも嬉しかった。こんな自分を嘘でも受け入れて、認めてくれる人が

「きっとみやちゃんはみやちゃんの友達がいつ帰ってきてもいいようにいつでも思い出を共有できる居場所を作ってたんだよ。みやちゃんは優しいから思い出を大切にしたくてそれを必死に守ろうとしてたんだよ。変なことなんて一つもない。違う?」

 あぁ、あぁ。そうだ。そうだった。ほろほろと今日、何度目かわからない涙と鼻水がでてくる。私は何を意固地になっていたのだろう。私は皆とまたお話がしたくて。また会いたくて。たったそれだけなのに。それだけのことだったのに。

「ずっと一人で頑張ってたんだね」

 宥めるようにあずきは囁く。瞬間、せき止めていた何かが崩れ、心の中が満たされていく。そうか、私は認めてほしかったのか。等身大の自分を。ありのままに生きようとしている自分を。どうしようもなくて抜け出せなくて悲鳴を上げている、そんな自分を誰かに知ってほしくて。私は。力のなくなった腕に温かさがまた灯る。

「ありがとう、ありがとう、あずきちゃん」

 さっきのあずきのハグよりも強く、脱力していた両手を再びあずきの後ろに回す。

「うぉ、力強っ。みやちゃん、意外に甘えんぼさんだね」

 掌をあずきは私の頭にのせる。何と言われようが構わなかった。こんな自分を好きでいてくれる人がいる、それだけで、私が見る世界は瞬く間に温かみを持っていくのを感じる。

「みやちゃん」

 しばらくした後、あずきが私の名前を呼んでくれる。

「何?」

 私はようやく落ち着いた声色を取り戻す。

「提案、なんだけどさ」

「うん」

 あずきの肩に埋まった顔を私は上げる。

「私との時間を試してみない?今度はさ、私がみやちゃんの居場所をつくる番だと思うんだ」

「いいの?」

 思わぬ提案に私は少し驚いてしまう。こんな私と時間を共有してくれるの?

「迷惑じゃない?」

「ううん。全然迷惑じゃないよ。いいに決まってるじゃん!」

 あずきは顔の文字を変え、「喜」にする。

「ありがとう、本当にありがとう」

「ありがとうは、こちらこそだよ。私と友達になってくれてありがとう、みやちゃん」

「うん。こちらこそ、ありがとう。あずきちゃん」

 頭にのせていたあずきの手が離れ、もう一度私の腰に回る。今、この瞬間、私は誰よりも幸せ者になっている自信があった。

「さ、そうと決まれば、みやちゃん。出発しようか。このままだと風邪ひいちゃいそうだし」

 また少し時間が経って、あずきは私の腰あたりにかけた両腕をほどく。

「ありがとう、あずきちゃん」

 私もあずきと同じように腰に掛けていた腕をほどく。

「いいってことよ」

 あずきに肩を持たれ私達は元来た道を引き返す。いつの間にか空を立ち込めていた雲はなくなり太陽が照っていた。

 

 

それから私達は歩いて旅館まで戻り、急いで部屋に戻ってシャワーを浴びた。お互い、雨に濡れて服がびしょびしょになっていたからだ。

「は~一息一息」

 着る服がなかったので本日二度目の浴衣に身を包んだあずきがさっきまで私が寝ていたベッドに座り込む。

「今日だけで二回もお風呂に入っちゃったわね」

 同じく着る服がなかったので浴衣に身を包ませたばかりの私はその隣に座る。

「何か食べる?」

 顔の文字を「極楽」にしたあずきが私を見てくる。

「少しだけ。あずきちゃんは?」

「食べる」

「わかった」

 私は、お菓子がばらまかれた机の上に放り出されているキャンディ包みにされたチョコレートを手に取り、あずきに渡す。

「はい、どうぞ」

「ありがと」

 両端を少しずつ開け、中から出てきたチョコレートを親指と人差し指でぎこちなくつまんであずきはゆっくりと口の中に入れる。その動きを真似るように私も包みを開け、チョコレートを口の中に入れ、少しばかり租借して呑み込む。

「これ、美味しいね」

「ええ」

 少し甘さが控えめなのがオトナな感じがしていい。

「ところであずきちゃん、さっきはなんで外に出ていたの?」

「あぁ、それはですね」

 あずきの顔の文字がくるくると変わる。もしかして本当に出ていくつもりだったのだろうか。

「ほんの少し。いや、本当に少し。ちょっとだけ、何かが食べたくて、も一度コンビニに……」

 あずきは顔の文字を「白状」にして何かを抑えるために少し下を向く。

「さっき行ったのに?」

「はい……」

 反省するようにあずきは両手の人差し指をぶつけ合う。なんだ、そうだったのか。

「まだ、食べる気だったの?」

「さっき一緒に行った時に買った量だと心もとないというかその、」

 私は自然に笑みがこぼれてしまう。

「ふふっ。やっぱり食いしん坊なのね、あずきちゃん」

「わ、笑わなくてもいいだろうがよ~」

 あずきは私の肩をぽかぽかと両手をグーにして小突く。

「ごめんなさい、ごめんなさい。でも、よかった」

「何が?」

 ひとしきり小突き終わり、あずきは私を見る。

「家出じゃなくて。もう、会えないのかと思った」

「私、そんな直ぐにいなくなるほど薄情な女じゃないよ。むしろ図々しいよ」

 ほら、とあずきは肩を私の肩へとぶつける。

「そうかしら?私の方が図々しいと思うのだけれど」

 お返しに私も肩をあずきの体にぶつける。二度、三度、四度。負けじと私達は肩をぶつけ合う。きっとこの先も私達はいろんな壁にぶつかって、ぶつけあって生きていくのだろうな。

「あ~あ。これから、どうしよっか」

 ぶつけ合いがある程度すんだところであずきは体育座りになり、体をプラプラと前後に揺らす。

「とりあえず、前と同じで歩き続けるしかないわね」

「だね~」

 前後に揺らすのを止め、今度は左右にあずきは体を揺らし始める。

「けれど、ある程度どこに行くかは決めておいた方がモチベーションにもなるし、やっておいた方が良さそう」

「いいね、それ。みやちゃん、次はどこに行こうか。北かな、南かな?」

「ある程度北には行ったし、南に行くのはどうかしら?」

「え~絶対北がいいよ。これから雪が降るし。雪だるま沢山作れるじゃん」

「あずきちゃん、雪国を舐めたら死ぬわよ。向こうの雪は都会っ子が想像するような雪の量じゃないんだから」

「え~」

 体育座りをほどきあずきは足をバタバタさせる。

「ふふっ。これについてはもう少し慎重な話し合いが必要ね」

「だね。じゃあ、お菓子でも食べながら議論するとしようか」

「ええ」

 あずきは机に置かれたコンビニの袋をひっくり返し、ガサガサと揺らす。

「あれ?これだけだっけ?」

 ひい、ふう、みぃ、よんとあずきは今あるお菓子の数を数える。

「あずきちゃんが知らない間に食べたんじゃないの?それに元からこれくらいだったと思うのだけれど」

「さすがの私でもあんな量、あ!そっか。隣の部屋に置いてきたんだった」

 あずきは勢いよくベッドから立ち上がる。

「そんなにあるのね」

「おうとも。ちょっと取ってくるね!」

 小走り気味にあずきは部屋を出ていった。



おかしい。お菓子を取りにあずきが隣の部屋に出て行ってからもう十分以上経っている。なかなか帰ってこないあずきに私は少なからず心配を覚えていた。トイレにでも行っているのだろうか。私は机の上に置かれたお菓子を少しつまむ。けれどもあずきは二十分、三十分と経っても帰ってはこなかった。


流石に変だと思い、あずきの部屋に向かうと前回同様、扉の隙間に何か挟んであった。

「あずきちゃん」

 恐る恐る、私は部屋をノックする。

「みやちゃん?」

 しかし、前とは違って普段と変わらぬあずきの声が返ってくる。まずは、そこにいてくれることに私はほっと一安心する。

「心臓に悪いドッキリはよしてよもう。お邪魔するわよ」

 私は冗談を交じわせてドアを開ける。中に入るとこれまた前回とは違って電気がついていた。

「みやちゃん?」

 あずきの声が私の足元の方から聞こえてくる。探し物をしているのだろうか。

「あずきちゃん?」

 私は声がした方を向く。

「あずき……ちゃん?」

 私の少し前であずきは匍匐前進をしているかのように床に這いつくばっていた。

「あずきちゃん!! どうしたの?何かあったの、大丈夫?」

 私はすぐさまあずきの元へ駆け寄り、彼女の体を見る。パッと見目立った外傷はない。しかしあずきはどうにも立ち上がれそうにはなかった。

「あはは、ドジっちゃった」

「どうしたの、何が」

「大丈夫、大丈夫。ちょっと、ね」

 たははとあずきは笑う。

「痛いところはある?」

 私はあずきの手首の内側を触り、脈を測る。

「痛いところはないんだけど、ちょっとバランスが。よいしょと」

 私の手を振り払い、あずきは地べたに手をついて立ち上がろうとする。

「お、ぉぉうとっと」

 上体を起こそうと伸ばしていた膝を曲げたところで体が前後左右に揺れ始め、そのままあずきは横へ倒れそうになる。

「危ない!」

 間一髪で、私はあずきの背中を支えた。

「ありがとね、みやちゃん」

 あずきはそっと私の顔へ向けて手を伸ばそうとしてくる。けれども

「あれ?みやちゃん?おーい。あれ?みやちゃん?」

 私を触るはずだったその腕は真上にいる私の顔を綺麗に逸れ、空を切っていた。

「あずき、ちゃん?」

 少しずつ私は口の中の水分がなくなっていくのを、感じる。

「どうしたの?みやちゃん」

 相変わらずあずきの腕は空中を撫でるようにして動いている。

「もしかしてあずきちゃん、目が……」

 その瞬間、急に私の脳から電撃が走ったかのような衝撃が発される。まさか。私は自信の足や手を動かそうとする。そこで初めて、私は理解する。物を食べる時に前よりも味が薄く感じたのも足に力が妙に入りづらくなったのも、すべて疲労のせいではなかったのだ、ということを。

「みやちゃん、」

 それ以上、私が考えのリソースを割く暇を良しとしないかのように体を支えているあずきの顔の文字がくるくると変わり「告白」になる。                            

「ごめんね、目が見えなくなっちゃった」  

 大事ではないかのようにあずきは顔を見上げ微笑んだ。

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